第3884話 滅びし者編 ――甲板――
暗黒大陸へ向かう航路の最中に発見された幽霊船により構築された幽霊船団。この対応のため、冒険者ユニオンは皇国へと協力を要請。各地から霊力や退魔の力を操る者を招集する。
というわけで元々幽霊船の除霊を要請されていたカイトは、その中でも最大のガレオン船に近い幽霊船の除霊を行うべく、アリスとソーニャの二名を連れて幽霊船へと乗り込んでいた。というわけで入って早々の無限回廊という出口の無い空間にたどり着いたカイト達だったが、それも難なく突破。船内に向けて、今度は幽霊達が行き交う甲板を進んでいた。
「話し声……とか聞こえませんね。近くを通ってもなにか反応する事もありませんし……」
「この甲板に居る連中は生前の動きをトレースしているだけか、幽霊船に後から取り込まれた幽霊達なんだろう。ほら、あれを見てみろ」
「……あれは……」
カイトの指差しを受けて、アリスはその先にいた一体の幽霊を見る。それは他の多数の幽霊のように船乗り達が好む格好とは違う、おそらく船員ではないだろうと思われる幽霊であった。
「服が違う幽霊……? それに……格好から船員という様子がありません」
「おそらく幽霊船に撃沈させられた船の乗員か、幽霊船と遭遇して船は逃げ切れこそしたものの、戦いで死んだ者という所だろう。この幽霊船の乗組員ではなかったのだろうな。格好が違うのはそれ故だと思われる」
幽霊船の特徴の一つと言えるだろう。カイトはどこか緩慢な動きを見せる幽霊の一体を見ながらそう口にする。
「死んで冥府に送られるより前に冥海に飲み込まれたか、海に放り投げられて冥海に一緒に引きずり込まれたか……どちらにせよもう幽霊船……いや、今回は幽霊船団か。それの引力に引きずられてしまって、船員という扱いになってしまっている。それで自意識を持てるほどの力もない結果、ああやって船員として扱われているんだろうな」
「謂わば後天的に幽霊船の船員という属性を付与されてしまった、と……」
「そう考えて良いだろう……甲板の連中は大半がそういった特定の意思を持たない雑用係みたいなもんだろう。下手したら自分達が幽霊となっている事さえわかっていないかもしれないな」
だからこちらが動き回っても何も警戒せず、それどころか気づく様子さえないのだろう。カイトは自分達を無視して甲板の清掃や操船の真似事を行っているような幽霊達をそう評する。と、そんな事を口にした彼に、アリスが怪訝な様子で問いかけた。
「ですがそれだとふとした事で逃げられたりしないのですか?」
「極稀に、はあるんだろう。実際、付近の海賊共はそれを警戒していた様子だしな」
「そうなんですか?」
「らしい」
だからあの商船の船員は海賊達からある意味丁重に扱われていたんだろう。カイトは無法者達が幽霊に怯える姿を想像して笑う。とはいえ、海の上で生活する海賊達だからこそ、殊更に幽霊船を警戒したのは無理もないだろう。普通は勝てない相手だからだ。というわけで笑った彼であったが、すぐに本題に戻った。
「……だがま、逃げた所で幽霊船側は興味もないんだろう。そもそも幽霊が現世に留まれているのは幽霊船ありきでの話だ。幽霊船から離れた幽霊の辿る末路は二つだけだ」
「一つは幽霊船に連れ戻される、もう一つは……あの世へ?」
「そういうことだな。どちらにせよ、幽霊船に依存する幽霊であった限りは冥府か幽霊船の引力には逆らえん。先に死神が迎えに来てくれればあの世行き。幽霊船に引き戻されれば幽霊船へ逆戻り。そのどちらかだ」
結局は死者。死者である以上は死者の原理原則からは逃れられない。カイトはアリスの確認にも似た言葉に、そう結論付ける。というわけでただ自分の意思もなく働かされるだけの幽霊達を、アリスはどこか物悲しい様子で観察する。
「……少し想像と違いました」
「そうか?」
「……もっと、こう……奴隷みたいな扱いを受けているのかな、とばかり……これはこれで幽霊船の奴隷……なのでしょうが……」
「まぁ、そういう幽霊船もあるにはあったそうだ。だが実際にゃ元が奴隷船でもなければそんな事はない。幽霊のほとんどは生前の動きをトレースしているだけだ。生前に奴隷で船を運用していなければ、そんな事は出来ないんだ……いや、そんな事が出来るようにはならない、という所かな。幽霊はあくまで過去の存在。時間が止まった存在である以上、進歩は出来ないんだ」
「所詮、物語なんですね」
「そうだな」
幽霊船はエネフィアでも時折物語に出てくる存在だった。だがそうして描かれる幽霊船の大半は本物を見た事がない想像で描かれており、悪魔に似た存在が死者達を奴隷のように扱う船として描かれているらしかった。というわけで想像だけで描かれた幽霊船に、カイトは少しだけ笑って同意するだけであった。
「まぁ、そういうわけだから警戒する必要はないだろう。もし警戒する必要があるのなら、明らかにこいつは違うとわかる。明白に存在感が違うんだ。だからまぁ、もう少しアリスも肩の力を抜いて良いぞ」
「はい」
しばらく問題と言える問題はないだろう。そんな様子のカイトに、アリスも少しだけ肩の力を抜く。そうして船乗り達の幽霊に無視されながらも歩くこと更に数分。大分とマストが近付いてきたあたりでの事だ。
「二人とも」
「「っ」」
先頭を歩くカイトが停止して、右手を小さく挙げた事を受けて後ろの二人もまた停止する。そうして停止した所で、カイトは大鎌を取り出しながら一歩だけ横にズレてアリスに前が見えるようにする。
「アリス。さっき言ってた明らかに存在感の違う連中がこれだ」
「……」
確かに明らかに存在感が違う。アリスは船内へ続く階段を守るような船乗りの幽霊を見て、カイトの言わんとする事を理解する。
「質感……というものがあるように思えます」
「ああ。そこらで行き交う幽霊達が何処か空気やせいぜい霧ぐらいなら、こいつらは半透明ではあるものの確かな質量を感じられる。元々が強かったから……かは知らんがな」
今までの幽霊達が触れれば掻き消える存在だとするのなら、今目の前で立ちふさがっている幽霊達は触れてもおそらくかき消えずに押し返されるだろう。そんな確かな存在感があった。
そしてもちろん、存在感があるだけではなかった。というわけで、今までアリスの教導であるがゆえに黙っていたソーニャが、ここで久しぶりに口を開いた。
「カイトさん」
「ああ……交戦は不可避だな。通してくれるつもりはないらしい……腰にはカットラス。帆船時代の船員の標準装備の一つか。おそらく元々は戦闘員だな。二体は元々この船の船員……だろうが。一体は別物だな。装備が明らかに異なっている。おそらく幽霊船団に撃沈されたか殺された戦闘員の幽霊が取り込まれたか。命令が書き換えられたかで、船の中に行こうとする奴を排除するようだな」
明らかにこちらに敵意の滲んだ視線を向けている。カイトもソーニャも、こちらをじっと見据える戦闘員らしき幽霊の視線をそう理解する。
「アリス、装備の異なる一体に対応しろ。装備から数十年前のラエリアの一般的な船員だ。やれるはずだ」
「わかるんですか?」
「一応ウルシアとラエリア、ウルシアとエネシア、この三つを結ぶ航路に近い。ここ三百年の一般的な装備は頭に叩き込んだ」
「「……」」
アリスは相変わらずと言えるカイトの頭脳に舌を巻き、ソーニャは相変わらずギルドマスターとしては優秀の一言しかない彼の洞察力と事前準備に呆れたように言葉を失う。その一方でだからこそ、と彼は告げた。
「装備の同じ二体はこちらで対応する。こいつらは情報がない。おそらく冒険者くずれか、ワンオフの武器を調達出来る連中だ。金と伝手、そして腕。それらを持っていた奴らだ……厄介だ。取り込まれたか、それとも元々乗っていたかはわからんが……どちらにせよ手に余る可能性は高い。ソーニャはアリスの支援と、万が一の場合にはオレの支援も出来るようにしておいてくれ」
「「はい」」
ここからは本格的な戦闘になりそうだな。カイトはくるくるくる、と大鎌を振り回して見栄を切りつつも、同時にかなり警戒が滲んでいた。どうやら彼もこの相手には油断が出来ないと判断しているらしい。
「ふぅ……」
じりじりじり。カイトはすり足でにじり寄るように動きながら、戦闘員達の動きを確認する。
(どうやら向こうはこちらがある程度近寄らない限りは動かないようになっているか……まだ、完全に自律しているわけではないらしいな)
ならばまだ勝ち目はあるだろう。カイトは相手が幽霊である事から、決して自身の力技一つで勝てるとは考えていなかった。
(二体、こちらで引き寄せたいが……陣形は同じ装備の二人が左右。ラエリアの戦闘員が中央……装備の質はラエリアの奴の方が反応は鈍いはずだ)
先程カイトが推測した通り、一般的に流通していない装備を使っている時点で一般的な戦闘員とは戦闘力が違う事が想定される。であるのなら、ラエリアの戦闘員は単に戦闘員としての経験からここに置かれているだけで、謎の戦闘員二人より遅い可能性は十分にあった。というわけで、それを見越してカイトは一気に加速する。
「っ、アリス!」
「っ、はい!」
やはりラエリアの戦闘員が一歩遅れた。カイトは一気に自身が加速したのに合わせて加速した謎の二人の戦闘員から数瞬遅れる形で動き出したラエリアの戦闘員に、想定通りアリスで対応可能と判断。彼の言葉を受けてアリスが切っ先から霊弾を発射して、ラエリアの戦闘員がカイトと謎の戦闘員の交戦に入りこまないように妨害する。
「ソーニャ! 位置を見失わないようにしっかりオレを掴んでおけ!」
「貴方の気配はわかり易すぎるので問題ありません」
「そりゃどーも!」
繰り出された剣戟を回避して、更に自身を追わせるようにバックステップで跳躍。間違ってもアリス達にターゲットが行かないように、少しだけ離れた場所で戦う事にしたようだ。というわけで、彼はアリスがラエリアの戦闘員と戦うのを可能な限り確認出来るようにしながら、謎の戦闘員達との交戦を開始するのだった。
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