第3877話 滅びし者編 ――接近――
暗黒大陸へ向かう航路の最中に発見された幽霊船により構築された幽霊船団。この対応のため、各地から霊力や退魔の力を操る者を招集。それでも足りないと考えたカイトはソラやセレスティアらも動員する事にする。
そうして彼らの簡単な訓練を終えて1週間後と少し。カイトは今回の作戦で使用する船へと幽霊船との交戦を睨んだ仕上げを施すと、再び海賊島へと渡航。数日の天候の影響による待機を挟んで、ついに退魔師・除霊師達の一団を乗せた船が出発する。というわけで出発して数時間。海賊島に居た頃より波風は高くなり、霧こそ出ていないが空気も多量の水気を含むようになっていた。
「……ジメッとした空気。絶好の幽霊船の出現日和ですが。バルフレア。念押しだが、お前だけは絶対に前に出てくれるなよ。お前、流石にもう一発<<霊砕き>>を食らったら、流石に今度は命が無いぞ」
『わかってる』
カイトの苦言に対して、バルフレアはどこか辟易とした様子で答える。そんな彼だが、現在は流石に前に出るつもりは彼をしてないらしく、後方支援となる船の更に後ろ。飛空艇に乗っていた。
というわけでよほど無茶をしないと前線には出れないし、飛空艇にはティナもソレイユも乗っている。おおよそ問題ないはずだった。
「本当に頼むぞ。お前が行動不能になる、って事はすなわち遠征はご破産。マジで各国とユニオンの協調にも影響が出かねん」
『わかってるってば』
「そうだろうが……念押しはさせてくれ。支援者としてな」
流石に現状でのバルフレアの行動不能、もしくは殉職はあまりに痛手過ぎる。しかも折しも反冒険者ユニオン協会の記者が冒険者ユニオンの粗探しをしているというのだ。迂闊な事は出来なかった。
『……本音は?』
「面倒はゴメンだ。お前が消えちまったらオレが全部やらにゃならんようになるだろ。マジで、それだけはゴメンだからな」
『本音が聞けて嬉しいよ』
心底御免被る。そんな様子でぶっちゃけたカイトの発言に、バルフレアはそうだろうなと楽しげに笑う。バルフレアが主導してこそいるが、各国暗黒大陸の調査は必須と考えていた。
なにせ誰も調査さえ出来ていない場所だ。<<死魔将>>達が拠点を置くにはこれ以上無い立地条件だろう。となると彼が殉職したとて調査は続行するしかないが、バルフレア亡き後に誰が調査を主導出来るかというと、これはもはやカイト以外に誰もいない。
しかもその後に待ち構えているのは地球との国交樹立と、更にその先の地球とエネフィア双方の往来の監視。いくらレヴィの支援があろうとこれら全てを一人で取り纏めねばならない、と考えるだけでカイトは背筋が凍りそうだった。
「言っておくが、流石のオレでもこれ以上の余裕はないぞ。まだ単に神輿に担ぎ上げられるだけなら、担ぎ上げられてやらんこともないがな。君臨すれども統治せず、ってやつだ。だが実務もやれ、ってんなら絶対に御免被る」
『流石だよ、お前は。世の中の大半が夢物語に語る事を実現出来る癖に、心底嫌っていうんだから』
実際に他の誰かがこんな事を言えば与太話にしかならないが、カイトに限っては本当に天下統一が出来てしまうのだ。だが、この男だけは絶対にそれを拒むだろう。バルフレアはそれが理解できていればこそ、笑うしか出来なかった。
「実現出来ちまうからだろ。今でさえ苦労苦労の連続なのに……それが何十倍だぁ? 冗談はキッツい」
『それでも民衆がお主を望むのは、結局民衆にとって為政者の選ばれ方は問わんからじゃ。貴族として上から押し付けられようと、自分達に善政を敷くなら善。選挙で自分達が選んでも、悪政を敷くなら悪……ま、選挙をした所でお主の圧勝になろうな。結局結果と実績が全て……くくくく……お主は本当に変な所で真面目な奴じゃからな』
「うるせぇやい」
クズハからカイトに統治の決定権が移行してすでに数十ヶ月。しかし民衆からの不満はほとんど生じていない。それは悲しいかな、彼でもクズハでもアウラでも為政者が誰かは関係がないという事でもあったが、同時に彼がきちんと善政を敷いている証明と言えるだろう。というわけで恥ずかしげに応ずるカイトだが、そんな彼はだからこそ話題を逸らす。
「で、ティナ。わざわざ会話に割り込んだんだ。なにか理由はあるんだよな?」
『うむ……計器に反応があった。そろそろ出る頃じゃぞ』
「おっと……どうやらおしゃべりはここまで、か」
確かにカイト自身も周囲の空気がジメッとして幽霊船が出やすい環境が整いつつある事を明言している。なのでそろそろ兆候があっても不思議はないかと思っていたわけだが、案の定だったようだ。というわけで、カイトは自身の指揮下の面々へと念話を飛ばした。
「ソラ。そろそろ出そうだ。準備は大丈夫か?」
『準備は大丈夫……だけどそろそろなのか? なーんも変化ないけど』
「今はまだ、だな……アリス、ソーニャ。二人とも、オレの近くに移動しておいてくれ。そろそろだ。場所はさっき伝えた通り、船首近くだ」
『はい……あの、カイトさん』
『問題ありません。気遣いは結構です』
「……なるほど」
どこか言い難そうなアリスの言葉を遮って響いたソーニャの声に、カイトはおおよそを察したようだ。途端、彼の顔が引き締まった。
「アリス、ソーニャは引っ張ってでも連れてこい。オレがなんとかする」
『はい』
『っぅ……』
「ギルドマスター命令だ。拒否は自分で対処出来るようになってから受け付けてやる」
しかめっ面が目に浮かぶようだ。カイトはソーニャの状態を理解していればこそ、いつもの何処かおちゃらけた彼女に見せる様子を引っ込めてギルドマスターとしての指示を下す。そんな彼らの様子に、一人置いてけぼりになったソラが心配そうに問いかけた。
『どうしたんだ?』
「霊気に当てられただけだ。元々感知能力の優れたソーニャだ。兆候が出た時点で影響を受けたんだろう」
『大丈夫なのか?』
「大丈夫じゃないから対処する、って話だろう」
ソラの問いかけに、カイトは肩を竦めながらもそう告げる。そして肩を竦めた彼の所へと、アリスに支えられるような形でソーニャが現れる。だがそんな彼女の呼吸は少し荒く、顔色も少し悪かった。
「はぁ……まぁ、ユニオンの職員を引っ張り出したオレが悪いんだが」
「……」
どこか自嘲するような声音のカイトの言葉に、ソーニャはどこかバツが悪そうだ。やはり自分でも足手まといになってしまった、と感じている様子だった。というわけでカイトは魔力で即席のソファを編み出すと、そこにソーニャを座らせる。
「アリス。霊障対策は?」
「すでに展開しました……でもあまり効果はなくて……」
「だろうな」
どこか無念そうなアリスに対して、カイトはさもありなん、と思うだけだ。そもそも今回の作戦に従事している除霊師・退魔師でさえ、幽霊船に遭遇した事がない者は少なくない。
なのでソーニャ同様に影響を受けている者はチラホラとおり、総じて甘く見ていたと言って過言ではなかった。だがカイトのその全てに対応できる余裕はない。なので彼が対処するのはソーニャだけだ。
「ソーニャ。まずは目を閉じて、オレの声に意識を集中。その上で呼吸をまずは整えろ」
「……はい」
流石にこのまま足手まといになる事だけは避けたかったらしい。更にはカイトがいつものように茶化すような声音ではなかった事も大きいだろう。ソーニャは素直にカイトの指示に従う事にしたようだ。そうして目を閉じて呼吸を整える彼女のみぞおちへと、カイトが手を当てる。
「少し変な感覚があるだろうが、我慢しろ。侵食されたエリアへ退魔の力を送り込んで、一旦状態を元通りにする」
「……っぅ」
どうやらこの治療はソーニャは経験済みだったようだ。カイトの言葉に、目を閉じた彼女の顔が僅かに歪む。とはいえ、治療である以上は遠慮はできない。なのでカイトはそれを無視して退魔の力をソーニャへと送り込みながら、今度はソーニャを見ながらアリスへと告げた。
「アリスも覚えておけ。幽霊船の影響は霊障とかよりも、魂を引っ張られる方が強い。今の体調不良は魂を肉体から引き剥がそうとする力を受けてのものだ。軽度の幽体離脱を強引に引き起こされているみたいなもんだ」
「そうなんですか?」
「ああ……そうして空いた領域に冥府の力が流れ込んで、生命力と反発。気分が悪くなる、ってわけだ」
「なるほど……」
ジメッとした空気が更に湿り気を帯びるに従って、冥府の力が段々と強くなっているような感覚はアリスにもあったようだ。なのでカイトの説明もすんなりと受け入れられたようだ。というわけで彼女が受け入れた事を気配だけで理解して、彼は更に説明を続けた。
「といっても気が使えれば肉体の引力が強くて、よほどでない限り影響はほとんどない。魂が少し離れても気が穴埋めもしてくれるしな」
「は、はぁ……あれ? あの、もし私も気が使えなかったら……」
「ま、同じ目に遭っていただろう」
どこか顔を青ざめるアリスに、カイトは笑いながら気を覚えた事が正解だったと言外に口にする。そんな彼に、アリスが思わず問いかけた。
「もしかしてこの事態を想定していたんですか?」
「まさか。流石に幽霊船は想定外だ……そもそもこの数百年ほとんど出てなかった幽霊船が、こんな幽霊船団と化して出てくるなんて想像も出来るわけがない……よし。ソーニャ。これでどうだ?」
「……ありがとうございます」
「よし。とりあえずこれで吐き気やらは収まっただろう」
確かに見るからに顔色は良くなった。アリスはカイトの処置が始まる前と後で、ソーニャの顔色に血色が戻っている事をはっきりと理解する。それぐらいには明白な変化があったようだ。とはいえ、だ。これはあくまで対症療法。根本的な解決にはならなかった。
「本当ならここから退避するのがベストだが……それは流石に出来んな」
「なにか対処法はあるんですか?」
「まぁ、ベストはさっき言った通り早急にここから離れることだ。だがそれが出来ん場合はいくつか対処はある。例えば退魔の力を有する魔道具で保護したり、例えば周囲の瘴気を力技で振り払ったりな。ただ前者は前々から準備をしておく必要があるし、後者はやりすぎると幽霊船を刺激する。あまり推奨出来る手段じゃない」
なんでオレも使う気はない。カイトはアリスへと言外にそう口にする。
「では他にどのような?」
「またこれになるんですが……今度はちょっと長いというか特殊な方法になる……一応聞いておくんだけど、二人ともエル見なかった?」
「はい? え? あ、いえ……見てません」
「私も……エルーシャさんは見ていません」
何故ここでエルーシャさんの名前が出てくるんだろう。アリスもソーニャも顔を見合わせて、首を傾げる。だがこれにカイトは苦笑混じりだ。
「そうか……適任と言えばエルが適任なんだが。ま、一度やってる以上、二度も三度も一緒か」
「「?」」
何が一度している以上なのだろうか。二人は周囲から自分達の姿を隠す魔術を展開するカイトの言葉の意味がいまいち掴めず、首を傾げる。そうして支度が終わったらしいカイトが首を傾げるソーニャの顎を右手で持ち上げて、左手で彼女の身体を抱き寄せるとおもむろに彼女の唇へと自分の唇を重ねた。
「んむぅ!?」
「!?!?!?」
『お、おい、カイト!? 何やってんの!?』
カイトの行動を受けて、遠目に彼の行動を見て学ぼうとしていたソラまで思わず声を荒げる。そしてもちろん、その行動を受けたソーニャは顔を真っ赤にして思わず暴れ出そうとしていた。
だが彼女に、カイトが過日の教国での一幕のように霊体で繋がったようだ。そうしてなにかを教えられたのか、かなり恥ずかしげではあったがソーニャの身体からわずかに力が抜けた。
「……ふぅ」
「あ……」
二人の唇が離れ、唾液が糸を引く。顔を真っ赤に染めて少し頬を上気させるソーニャが少し名残惜しげに見えるのは、かつてと違い心の準備も何もなかったがゆえの本能的なものなのか、それともカイトを憎からず思っているのかは彼女にしかわからない事であった。
「うぁ……」
凄いものを見てしまった。教国の廃村でも二人のキスシーンは見たわけだが、流石に今はあの当時と関係も異なれば、状況も異なる。というわけで二人の様子で間近で見ていたアリスは顔を真っ赤に染めるわけだが、間近で見ているわけでもなくただ淡々と友人のキスシーンを見せられたソラはドン引きしていた。
『あの……カイト? 何やってんの?』
「何って……気の呼吸法を一時的にコピーしたんだよ。強引なやり方にはなるが、気が少しは使えないとここから先がキツい。後はついでに多少だがオレの気……生命力を分け与えた。元々ソーニャは生命力が弱い。オレやお前、アリスに比べれば、って話だが」
ソラの問いかけに、カイトは特段なにか不思議な事でもあっただろうか、という様子で普通に答える。これに、ソラは大きく目を見開いた。
『え? あ、そうなの!?』
「当たり前だろ。流石に誤解を招きかねんから周囲からは隠してるが、二人の見ている前でそんな事するんだよ。本気でするならベッドに押し倒してからするわ……いや、ごめん。訂正。部屋に入って押し倒す前にする」
『お、おう……』
確かにこの男ならそうするだろう。ソラは妙に納得しかないカイトの言葉に、思わず生返事をするしか出来なかった。というわけで本当に性的な意味はなかったのだとアリスも察したようだ。逆に恥ずかしい様子をした自分が今度は恥ずかしくなったのか、おずおずとカイトへと問いかける。
「あ、あの、もしかして」
「なんだ?」
「あ、いえ、ごめんなさい……」
「ん? 良いぞ。教導を頼まれている以上、教えられる事なら何でも聞いてくれ」
「いえ、あの……」
もしかしてソーニャの頬が上気しているのは熱烈なキスをしたからではなく、そういうことなのだろうか。そう思うアリスだが、如何せん性的なものにはあまり耐性がない。
なのでどう言えば良いかわからなかったようだ。そしてそんな彼女に、カイトはおおよそを察したようだ。楽しげで、少しだけ嗜虐的な笑みを浮かべて問いかける。
「ああ、なんだ……ディープなキスでもしてたと思ったか?」
「っぅ!?」
「あははは……まぁ、確かにあれじゃ傍目からはそう見えただろうな。実際にはそんな長く舌を絡めてはいない」
「そ、そうだったんですか……って、結局してたんじゃないですか!?」
一瞬は納得しかかったアリスが、珍しく声を荒げる。どうやら彼女も遊ばれていると理解したようだ。だがこれに、カイトは突然真顔になった。
「幽霊船団に対抗出来るぐらいの生命力を渡そうとしたら、多少は体液を介さないとどうにもならんからな。それかもっと長くキスするかしかない。あんまり時間がなかった以上、しゃーない」
『やめとけ、アリスちゃん。今のこいつは何を言っても楽しんじまう。こいつはそーいう奴だと最近気付いた』
「もう……」
「あはは……」
不満げに口を尖らせるアリスに、カイトは楽しげに笑う。そうして笑っていた彼だが、すぐに気を取り直してソーニャの方を向いた。
「っと、それはさておいて。ソーニャ。今は身体が火照ってるだろうが、まずはさっき話した通り生命力を一旦自らの内側に蓄積させろ。言っておくが、もし渡した生命力を失ったらもう一回やるしかないからな」
「「っぅ!?」」
「アリスまで顔を真っ赤にすんなよ……」
少し遊びすぎたか。カイトはまた見せられるのかと顔を真っ赤に染めるアリスに、少しだけ反省しつつも肩を落とす。と、そんな彼を呆れた様子――アリスとソーニャを弄ぶ姿にだが――で見ていたティナが口を挟んだ。
『カイト。遊んどらんと準備せい……いや、お主の準備なぞほぼあってないようなものじゃろうが。横の二人に準備させい』
「っと……おい、二人とも。準備」
「「あ、はい!」」
カイトの促しに、二人が声を大にして応ずる。そうして二人が準備を終わらせるとほぼ同時。まるで二人の支度を待っていたかのように、急激に霧が周囲へと立ち込めるのだった。
お読み頂きありがとうございました。




