第146話 それぞれの受け止め方―ソラと由利―
「……はい、これをお持ちになって、寝る前にご使用下さい。もう一度説明しますが、このお香は精神を安定させる力があります。寝る前に使用すれば、穏やかに眠る事が出来ます。催眠導入剤の効果もありますので、どうしても、寝られない時にもお使いください。」
「ありがとうござました。」
戦いも終わり、惨劇の後が残る天桜学園の周辺だが、今は静けさを取り戻していた。まだ、外は若干明るかった。あれだけの事があったのに、終わってみれば実際には30分も経過していなかったのだ。ソラ達の診断や処方も含めて、今は19時を少し回った所であった。
ソラと由利は精神状況を鑑みて、教師たちや天族の医師達の薦めを受け、一番初めにカウンセリングを受けたのである。今は丁度、二人の診断と簡易な治療が終わった所だった。二人が一緒が良い、と頼んできたので、それに応じたのだ。
「……問題は少ない、か……」
この天族の女性は、かつてのカイトを知っていた。いや、正確に言えば今回来た全員が知っている。それ故、どこか哀れな顔で、ソラの治療結果を精査する。
「偶然……?それとも、必然?」
次の患者が来るまでの間。小さく、彼女の呟きが、消音の結界が張り巡らされて、カーテンを使って簡易に造られた個室の一室に響く。
「対人戦に関しての精神修練の跡……もともと、カイト殿はこの結果に到れる事をわかっていた、というわけ?……いえ、どちらでも構わないわ。結果こそが全て。」
彼女は冒険部の上層部たる彼らがどれほどの傷を心に負っているのか、とかなり心配していた。だが、結果は彼女の予想を大きく下回る物であった。
「……この国、ううん。この世界で誰も殺さない、なんて『甘え』。そんなことは不可能。」
彼女は、一人少しだけ残念そうに呟いた。そう、『甘え』なのだ。いや、ティナから言わせれば、今回のカイトが選んだ『殺人を見せるだけ』、というのも本来は『甘え』だ。本来はカイトの様にいきなり『殺人』に入る事も少なくない。
だが、ティナにしてもカイトのその『甘え』は彼の『優しさ』に端を発する物だと知っているので良しとしたし、段階を踏ませるのは悪くは無いので、今回の作戦を上策とした。
「羨ましいわね……そんな世界。」
本当に、心の底から、『殺人』をしなくて良い世界に羨望を向ける。だが、それが不可能なのはこの世界では『常識』であった。特に冒険者ならば、それは顕著だ。なにせ、公爵領では今回の一件でなければ盗賊たちは出ないが、他の領地は異なる。カイト達がある種、僥倖と捉えて今回の一件を利用したのも、うなずけるほどだ。なにせ、ソラ達のトラブルを除けば、完全に安全だったのだ。
では、何故、彼らがこんな事をしたのか。それは簡単だった。今後、どうあがいても冒険部の面々は公爵領から出て活動をしないといけなくなる。そんな時、もしカイトもティナも居ない状態で盗賊に出逢えばどうなるか。彼らはどうあがいても、彼らが殺さなくては生き延びれないのだ。カイトもティナも、そこは良く、いや、非常に良く理解していた。理不尽に命と尊厳を奪われたくなければ、奪うしか無いのだ。
「盗賊や海賊達は人と思ってはならない……」
彼女は、冒険者達の鉄則を呟いた。たとえ自分達と同じ姿を持ち、自分達と同じ精神構造をしていても、決して人と思ってはならない。それは、この世界の『常識』であった。そうしなければ、とてもではないが心の方が保たない。
それに、見逃した所為で街や村が襲撃される可能性は高いのだ。奴らの命乞いを決して聞くな。獣が吠えているだけだと思え。それが、良くも悪くも先人たちの教え、であった。彼らの中には当然、盗賊たちの命乞いを受け入れ、見逃した者も少なからず居るのだ。だが、そうして起きた惨劇を見て、彼らはその考えを改めざるを得なかった。それ故の言葉だった。こんな後悔をしたくないなら、という優しさであり、厳しさであった。
そう、カイトやティナが盗賊たちに常に辛辣な言葉を発し続けるのはその為だ。そして、カイトもティナも何度も、繰り返しそれをソラ達自身の正体を知る者達に対して告げていた。それ故、心の奥底でそれを知って、それを心のどこかで理解したが故に、彼らには思うよりもショックが少なかった。この様子だと、屋上で戦っていた者達が一番ショックが大きいだろう、それが彼女の予想であり、事実であった。
「優しくて、いい子達、なんでしょうね……」
ソラと由利の診断結果を見ながら、彼女はそう言う。優しい子達、だからだろう。心の奥底で、ソラは殺す事に対して、最後の一線を越える事が出来たのだ。大切な者が居て、それを守りたい。だが、ここで躊躇えば奪われる。だから、躊躇わない。衝動的ではあるが、それがこの世界に染まる第一歩だった。
「……哀れではあるけど……私は私に出来る事をするだけね。」
おそらく、もう元の世界に戻っても普通の生活は出来ないだろう。地球の現状を知らない彼女だが、少しだけ世界の運命を呪う。本来ならば彼らはこんなことをしなくても良い世界で生きて来たのだ。だが、不可思議な現象が、その世界から弾き出した。それさえなければ、医師として、この世界で生きる先達として、そう思う。
だが、そればかりは彼女でも、否、カイトであっても抗いようもない現象だ。もう此方の世界に来てしまった以上、生き残りたいなら諦めるしか無い。彼女はそんな沈痛な諦めと共に、次の患者を迎え入れるのであった。
一方、ソラと由利は二人、屋上に来ていた。ソラが自分の為した事をきちんと見ておきたい、と願い出たからだ。
「……っ。」
そうして、屋上に出て、惨劇の跡を見て、涙が溢れて、震えが来た。死屍累々。比喩ではなく、事実、そうであった。その一端は、間違いなく自分にある。ソラは、それをわかっていた。
「……ありがと。」
ソラが小さく、つい固くなった手を優しく握り返してくれた由利に礼を言う。それに、由利は小さく、頷いた。そうして、二人は屋上の一角に腰掛け、処方してもらった精神安定薬であるお香を使う。本来は寝る前にだが、辛ければ使って良い、とも言われていたのだ。
「……ねえ、どうしてカイトに何も言わなかったの?」
そうして、暫く何もせず、じっと震えが止まるのを待って、由利が口を開いた。
「……わかってるだろ?」
返すソラもお香のおかげか時間が経って少し落ち着いたのか、落ち着いた声で告げる。
「……うん。」
「アイツに聞いても、多分、今は何も教えてくれない。多分、まだ、早い。」
当たり前だが、ソラだって文句の一つは言いたかったし、カイトをぶん殴りたくもあった。後々ぶん殴るつもりでもある。だが、自身がカイトの性格を知っているが故に、今は出来なかった。友の性格を知っているが故に、自分達の事を思っての行動だと理解し得るほどに近しいが故に、出来なかったのだ。
「必要ならば、やる。ちっ……親父そっくりだ。」
ソラが少しだけ、苦笑した様に告げる。そう、カイトは必要ならばやる。二人共、気付いていた。カイトが謝罪したのは、俊樹少年の作戦を読み違えたことであって、この策を弄した事には謝罪しなかった事に。彼はこの悪辣な作戦と非道な行動を必要と認めたに等しかった。
「聞いても……多分そう言われるよねー……」
二人の考えは正解だった。カイトもティナも、何故この作戦を取ったのか、と問われれば、真実そう答えるだろう。だがもう一つ、確信があった。
「何故、必要なのかの理由を聞いても……まだ教えてくれないな。」
これも、正解だった。何故、必要なのか。それを問われれば、カイトは必要だったから、と答えるだけだろう。それがわかる自分達が、少し嬉しくもあり、少し無念でもあった。理解出来てしまえば、文句も何も言えなくなる。だが、二人共何故、教えてくれないのかについては、一つの結論を得ていた。
「必要だから、教えない。」
「必要無い、じゃない、よねー。」
そう。必要ではないから教えない、ではなく、必要だから教えられない、なのだ。教えないのは一緒でも、意味合いは違いすぎた。
「だから……俺は待つ。アイツが語ってくれる日まで。」
ソラが、小さく決意を告げる。カイトがそれを必要と認め、そして、自身もそれを良しとした。すでに彼が多くの秘密を抱えていることは理解しているのだ。それを以って尚、彼はカイトを友と認め、親友と呼んでいる。ならば、それに一つ秘密が加わるだけだ。何かが変わったわけでは無かった。
「……じゃあ、私も待つねー。」
由利が、ソラの決意を聞いて、自身もそれに従う事にする。そもそも、彼女は殺人は犯していないのだ。ならば、自身の為に殺人を犯したソラがそう決意したのなら、自分もそれに従うだけだった。
「それに……遠くない様な気もすんだよな。」
小さく、笑う様に呟いた。これはなにかの予想や根拠に基づく物ではなく、本当に単なる第六感だ。だが、それは自身の中のある変化を心の奥底で気付いているが故に、の第六感だった。
そして、それは正解だった。これが、良い変化なのか悪い変化なのかは、カイトにもソラにもわからない。だが、その変化はカイトの友であり続けようと思うのなら、必要な物であった。
その変化が訪れた時、彼がその変化から得た物をカイトに告げた時。カイトは必要が無くなった、と今回の一件について話す事になる。
「そっかなー……聞かなかったらずっと教えてくれない気もするけどねー……」
由利も、笑うように呟いた。まあ、これも事実だ。なので、ソラも苦笑する。どうやら二人共、お香が聞いてきたのだろう。精神に安定がもたらされた結果、ゆっくりとだが、眠気が来ていた。
「なあ……悪いけどよ……」
「いいよー……」
「まだ、何も言ってないって。」
ソラが由利の無条件の受け入れに、笑う。そうして訪れたのは、自身が想像するよりも上の温かみだった。少し手を握っていてもいいか、と聞くつもりだったのに、由利は自身の身体をソラの胸の中に預けたのだ。
「おやすみー……」
「……お、おう。」
少し戸惑った様子のソラの声に、由利が小さく微笑んで、寝息を立て始めた。自身の胸の中にもたれかかり、寝息を立て始めた由利に、ソラは少しだけ驚き、今までとは違う緊張で固くなる。
だが、それも少しの間だけだ。もとより疲労具合で言えば、ソラの方が強かったのだ。ソラは胸の中で眠る女の寝息を子守唄に、ゆっくりと深い眠りに落ちていく。そうして、ソラは守った物の温かみを感じながら、由利は守ってくれた男の小さくて、大きな鼓動を感じながら、眠り始めた。
そして、それを見守っていた者達が居た。
「行け。死体の処理は明日までに終わらせろ。明日の朝。日が昇る頃にはここで惨劇があった事を思い出さなくても良い様にしろ。」
「はい。優先順位は?」
「死体の処理を最優先。武具等の見つかりにくい物は出来る限りで構わん。」
「了解です。では。」
指示を出したのはステラだった。彼女はソラが屋上に上がったのを見ると、二人の精神状況を鑑みて、手勢数人とともに屋上に登っていたのである。もし自殺でもされれば一大事だと考えたのだ。が、その心配は無かった。そうして、手勢の全てが死体の処理に動き始め、一人、ステラが残る。
「小さく、幼い主の友人よ。どうか、主の友であり続けてくれ。」
眠る二人を起こさない様に細心の注意を払い、ステラは二人の前に傅いた。そうして、彼女は二人が焚いていたお香を回収し、代わりにミースが処方した更に強力なお香を置いて、それに火を点けた。
当たり前だが、殺人が避けられないエネフィアではこういった殺人を犯した後に使う精神安定薬やお香、治癒魔術は数多く存在している。たとえ安物を使っても、初めてでも一週間あれば普段の生活を取り戻すぐらいには、殺人が溢れていた。
今回、学園に持ち込まれたのはその中でも天族が処方した高品質なお香だった。それは学園に持ち込まれた量だけでも並の貴族の一年で得られる税収を遥かに上回る品質を有する物だった。
カイトがエネフィアに来てからずっと手を回し続けて、なんとかかき集めたのである。カイトはずっと、こうなることは予想していたのだ。ソラ達がイレギュラーで殺人を犯す事こそは予想外だったが、それでも、アフターフォローは万全を整えていたのである。
「主にバレれば、苦笑されるな。」
そういう彼女自身が苦笑しつつ、その場を一歩離れる。今回彼女が使ったこのお香は、それらを全てかき集めても遥かに上回る品質の物だった。
ミースは、天族で最優の医師だ。それこそ様々な秘密があるカイトの主治医を務めるほどの腕前と口の固さだ。その彼女が、最高の材料を使って作ったお香なのだ。
エネフィアで言えば、おそらく高位の王侯貴族達であっても手に入れられない物だろう。当たり前だが、カイトはそんな事を指示していないし、使える様な手筈は整えられていない。ミースが勝手に調合して、ステラが勝手に使用したのだ。
「……あとは。」
小さく呟いてステラはソラ達二人に体内時間を狂わせる魔術を使用する。こうすれば、少しの睡眠でも十分な効果が得られるのだ。しかも、彼女が使ったのは自身の一族に伝わる秘術に近い物だ。たとえ1,2時間でも、三日三晩眠ったぐらいの効力が得られるだろう。それに、このお香だ。一度の睡眠でも目が覚めた時には、ケロッとなっていることだろう。
「すぅ……」
「すー……」
「ふふ。あぁ、後は一応、風邪を引かない様にしないとな。」
より深くなった寝息を聞いて、ステラが柔和な笑みで二人を見守る。そうして、ふと屋外での睡眠と気付いて、密かに野宿用の簡易な結界を展開し、その場を後にするのであった。
これは、主に隠れて彼女が勝手にやったこと。許嫁を想い、ミースが勝手にやったこと。二人共、いや、クズハやユリィ達も含めて、カイトをずっと慕い続けた少女達はカイトが思う以上に、女として成長を遂げていたのだ。
それ故、これはカイトには発覚しない。するのはずっと先。それこそ学園が帰還した後だ。そうして、彼女達の願いが通じたのか、彼らの友情が壊れることは、ついぞ無かったという。
そうして、更に数時間後。二人は穏やかな気分で目が覚めた。
「ん……んん……」
「……ふぁー……」
そうして、目が覚めてびっくりしたのは、思う以上にショックが無い事だ。まあ、普通に医者が処方している薬を使っているし、これは一時的で当分は使い続ける事になるのだが、それでも、予想以上の効き目と呼んで良かった。まあ、おせっかいな元少女たちの手助けがあったのだから、当たり前である。
「げ……」
「どしたのー?」
そうしてふと、ソラが時計を見ると、すでに夜の11時であった。3時間ほど熟睡していた事になる。
「この薬、すげー……」
「あは……」
驚愕に目を見開き、ソラがお香の残骸を摘む。一度ぐっすり寝れば元通りになっていたソラに、由利が微笑む。まだ色々とあるだろうが、この調子なら問題無い。それは理解出来た。と、そこに、とある人物が屋上に訪れる。
「ん?……おい。ちょっと良いか。」
「なんっすか?」
「ああ……お前は大丈夫か?」
「うっす。取り敢えずぐっすり寝たら、マシにはなりました。」
来たのは瞬だった。彼もソラと由利が大事無い事を見て取ると、頷いて、一つの質問を投げかける。
「あれなんだが……何かわかるか?」
「……ちっ。そっちぐらいは言ってくれよ。」
「ん?」
「ああ、いや……カイトっすよ。襲撃云々は別にして、そっちは教えて欲しかったなー、っと。」
瞬の問い掛けを聞いて、ソラは笑みを浮かべる。獰猛な、戦士の笑みだ。
「先輩。ちょっと。」
そうして、その1時間後。カイトの部屋の前に、三人の姿があった。
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