第142話 断罪
魅衣と瑞樹を眠らせた後、カイトは学園周辺の敵の掃討を中断する。二人の現状を探らなければならないからだ。と、そうして、彼女らが飲まされた小瓶を精査していると、後ろから声が掛けられた。
「……どうしようもなければ、抱くおつもりですか?」
後ろから声を掛けたのは、桜である。横にはクズハとユリィが。別に二人に何もするつもりは無いのに、何故かカイトの額からは汗が一筋流れ落ちた。男のサガとして、仕方がなかった。そうして、別に気にしなくても良いのに、カイトは怯えた表情と声で丁寧な口調で返した。
「……桜さん?どういった事でしょうか?」
「ええ、当然ですよね?弱った女の子を自分のモノにするのは得意ですよね?」
「お兄様の常套手段です。」
「うん。カイトの常套手段。」
ちなみに、ユリィは単に茶化しているだけだ。なので、彼女はカイトが死体から取り上げた男とは別の男が持っていた小瓶を引き寄せ、中身を確認する。
「こいつらほんっとに下衆。」
ユリィが盗賊たちの死体に向かって吐き捨てた。その顔は苦々しく歪んでいた。彼女が取った小瓶は当たりで、二人が飲まされた媚薬の入っていた小瓶だったのだ。今にも盗賊達に八つ当たりしに行きそうなほどに激怒していたが、討伐はほぼ全て終わり、後はコフルやルゥ達による逃走した者達の討伐に移っており、もはや悲鳴さえ聞こえてこなかった。
「なんだったんですか?」
ユリィの顔が芳しくない事を見て取った桜が、友人の身を案じる。桜は先ほどまでは単に何かの熱に冒された様な状態だと思っていたのだが、ユリィの表情からただごとではないと気付いたのだ。
「媚薬よ。それもとんでもなく強力なやつ。」
「なるほど……さっきのはそれでか。」
ユリィから小瓶を受け取り、匂いを嗅いでくらっ、と来て、カイトもさっきの彼女たちの異変の原因を把握する。それなりに毒物などへの耐性が高い自分でさえこれなのだ。耐性が全くない彼女らならば、あそこまで理性が無くなるのは仕方がなかった。
「材質は?」
「サキュバスの最上位、クラス・<<始源の堕落者>>の体液を精錬したんじゃないかな。あの娘達って、気に入った人には簡単に体液あげちゃうから……。製品開発も盛んなんだよねー。今年出来た新薬だよ。」
カイトには最近出回っている媚薬の事などわからなかった為、試しに問い掛けたのだが何故かユリィは即座に答えた。
「解毒薬は?」
「まだ無かったのですが、確かお姉様が開発されていた筈ですね。」
「おい、公爵家では開発してないのか?」
その瞬間に誰もが嫌な予感しかしなかった。そうして、嫌な予感のしているカイトがクズハに尋ねる。しかし、クズハとユリィは恥ずかしげに頬を赤らめただけだった。ちなみに、何故クズハがこんなことを知っているのか、という疑問はこの嫌な予感によってかき消された。
「……こっちの備蓄はあります。」
「大体100本ぐらい……」
そう言って掲げるのは小瓶。ユリィが更にいらない情報を追加する。
「なんで?どうして?何故ですか?」
思わず三回聞き直すカイト。今この時ほど、自分の仲間の行動が信じられない瞬間は無かった、と後のカイトは述懐する。ちなみに、その瞬間はこの時を含めて少なくとも数十回ほど彼の述懐の中にあったのだが。
「だって、カイトがいけないんでしょ!最近冒険部の活動にかかりきりでかまってくれないんだもん!」
「ええ、お忙しいのはわかりますが……少しはいいじゃないですか!私達だって少しでも回数を増やしたいんです!」
「そりゃそうだが……んなもん使わそうとすんな!」
死臭漂う戦場の中で、二人は悪びれもせず言い切った。カイトは少し言い淀むが、取り敢えず怒っておいた。
「くっ……こうなれば、私も参加して食い止めるしかありません!」
桜は途中本音が漏れている事に気づいていない。彼女もこっちの方が随分重要らしい。お嬢様もだんだんと肝が座ってきて良いとは思うのだが、カイトと関わる女性はほぼ全てこうなっていくのがカイトの悩みの1つであった。
「おい!始めっから止めることを考えてないな!」
「……何のことですか?」
しれっとそう言う桜。そうして騒いでいる内に、ティナがやってくる。
「カイトよ。終わったようじゃな。」
「ティナ!何も聞かずにこの媚薬の解毒薬をくれ!」
そう言ってカイトは魅衣達が飲まされた媚薬の入っていた小瓶をティナに渡そうとする。しかし、ティナがそれを受け取らなかった。彼女は当然だが、これら一連の騒動を見ていたのである。彼女は非常にニヤついた笑顔で告げる。嘘を。
「これはここ1年で出来たらしい新薬での……余も臨床試験もしておらんのに、親友には試せんのう……」
「お前!最初から見てたな!」
「うむ!」
即断である。ティナはカイトに愛でられる女が増える事を良し、としているのだ。彼女がここで魅衣や瑞樹という極上の女を逃がす手は無かった。おまけに、魅衣の思いにはずっと前から感づいていたのだ。親友として、手筈を整えないはずが無かった。
「大丈夫じゃ。魅衣と瑞樹に先ほど聞いたらお主なら良い、との答えを得ておる。あ、きちんと媚薬の効果は一時的に消した状態で聞いたからな?」
「は?……な、どこ行った!」
二人から聞いたというティナの言葉に自身が二人を隠した異空間を確認するが、二人が居なくなっていた。どうやらティナに強奪されたらしい。
「まだまだ、魔術ならお主には負けんわ!」
カイトの焦った表情を見て、ティナが平坦な胸を張る。何故か偉そうである。カイトにしても、負けたのは事実であるので文句は言えない。
「ティナちゃん?いいから渡してください?」
桜が威圧感を満載して問いかける。桜はカイトに愛でられる女が増える事に反対の筆頭であった。二人は親友と呼べる間柄であるが、この点だけは、理解しあえなかった。
「ぐっ……こればかりは桜にでも渡せん。というか、今から作らねばならんので、何方にせよ無理じゃ!材料が無いんじゃ。材料が届くのを待っておったら日が昇るわ!しかも、明後日のな!」
「は?ちょっと待て、お前持ってんじゃ無いのか?」
桜から放出される真っ黒で威圧感満載の威圧に思わずティナがかなり仰け反ってしまうが、そこは元魔王だ。なんとか気を取り直して、実情を告げる。と、その言に、確かさっきクズハはティナが持っている様な事を言っていたので、カイトが首をかしげて問い掛けた。
「む?だからさっきも言ったじゃろ?ここ1年で出来た新薬じゃと。そんなもんの解毒薬なぞ、開発できてはおるが、作ってはおらん。必要がなかったからの。作った試薬は全て臨床試験に回したわ。」
「……材料は?」
「む?……確か、サキュバスの体液に龍の鱗の粉末などを溶かして、それを更に一定温度で何時間か撹拌。さらにその後……」
「いや、いい。」
ティナがカイトの求めに応じて材料と製法を上げていくが、誰も聞いてもわからない。なので、カイトが先に結論を求めた。
「要は出来ない、ってことだな?」
「うむ。発散せねばこの薬の効果は抜けん。諦めよ。」
「はぁ……。」
そうしている内に、カイトは後ろに誰かが立った事に気付いた。その荒々しくも弱々しい気配だけで、カイトは誰かを判別する。
「ソラ……大丈夫か?」
「……大丈夫じゃねぇ……」
ソラは、未だ震えていた。無理もない。先ほどまで殺人に手を染めていたのだ。ようやく安全が確保されて、今頃になって怯えが来ていたのである。そうして、由利はそんなソラの手を強く握っていた。今彼が耐えられているのは、その御蔭であった。
「……おい、カイト。」
そう言ってソラが顔を上げる。
「スマン!お前の言いつけを守らなかった!」
「……何?」
ソラは謝罪するや、頭を深々と下げた。てっきり罵倒されると思っていたカイトは、きょとんとしてしまう。仕方がないだろう。カイトは最悪、この場で親友や先輩を失う覚悟でやったのだ。それで受けたのが、逆に謝罪だ。驚いても仕方がない。
「お前は知ってたんだろ?今日襲撃があるって……」
その言葉にカイトは何も答えない。事実だからだ。
「お前は何回も注意してたんだ。今日だけは、外に出るな、って。それを守らなかった俺達の失態だ!スマン!」
そう言って、ソラは頭を下げる。当たり前だが、ソラとてカイトに文句は言いたかった。だが、それを飲み込んでいた。
カイトが襲撃を知っていたとして、何故伝えてくれなかったのか、という疑問はある。しかし、カイトが敢えて伝えなかったのだ。そこには何らかの理由がある、そう断言できるだけの信頼が、この三年の付き合いで築かれていた。
この信頼が、カイトには痛かった。なので、カイトも素直に、下げられる所で頭を下げる。
「……いや、こっちこそ、スマン。オレの作戦ミスだ。コイツが手動で発動できるようにしていた事に気づけなかった。」
そう言って、カイトはステラが投げた俊樹を睨む。ソラは俊樹に姿を認めると、再び怒気を露わにした。目の前でスイッチを起動させられたのだ。当然だが、今回の襲撃が彼の手引であることは既に理解出来ていた。
「っ、お前!」
そう言ってソラが俊樹に掴みかかる。そうして俊樹の顔面を思いっきり殴った。
「どうして、俺達を売りやがった!」
ソラは更に吹き飛んだ俊樹にマウントを取り、馬乗りとなって連続して殴る。俊樹は縛られている為、防御することさえままならず、ただ殴られるだけだ。
「おい、そこで一旦ヤメロ。コイツには相応の罰を受けてもらう必要がある。」
このままではソラが俊樹を殺してしまう、そう判断したカイトがソラの腕を掴んで引き離す。別にカイトとしては俊樹が死ぬことはどうでも良かったのだが、親友の手が俊樹少年の血で汚れるのが、気に食わなかった。
「っ……ちっ!」
うぐぅ、と呻く俊樹に向かって舌打ちをするソラ。それを見て、一旦カイトは再び殺気を纏い、俊樹へと問いかける。
「卯柳……言いたいことはあるか?」
「ぐぅ……あ、が……」
どうやらソラ以外にも盗賊達から暴行を受けたらしく、痛みで話せない様子だった。このままでは何ら弁明も出来ないので、カイトは仕方がなしにユリィに命ずる。
「……ユリィ。痛み止めを。」
「うん。」
そのカイトの命令を受けたユリィは、カイトの望み通りに痛み止めだけを使用した。そうして、痛み止めが効いたらしく、呻き声が止んだ所で、カイトが俊樹少年に問い掛けた。
「もう一度、問う。言いたいことは?」
「はっ、お前。あんだけ居たのを全部殺したのかよ……」
呻きながら何とかそう言う俊樹。ソラの攻撃で口を切ったらしく、ぺっと血を吐き捨てた。その血の中には白い物が見えた所を見ると、口を切るだけではなく、歯も折れたのだろう。
「バケモンじゃないか。」
「ああ、そうだ。そして、お前はその化け物に喧嘩を売った。」
カイトは俊樹の化け物という罵倒を肯定する。自らが常人で無いことなぞ、彼に言わせれば民を率いた時点で理解しておくべきことであった。
「はっ、なんだよ。いいんだろ?こっちの世界じゃ力ある奴が好き勝手にやっても。」
俊樹少年は悪びれもせず、言い放つ。この世界では、力の無い者はただ蹂躙されるだけである。只、それがヒトからだけではないだけである。カイトもこれは否定しない。
もし、それでも大切なモノを守ろうとするのなら、自分で力をつけるか、力有る者に頼るしか無い。それ故に、未だエネフィアでは民主主義が発達しないのである。力の有る個人に頼らざるを得ないならば、彼等に権力が集中するのは当然であった。誰もが聖人君子なぞではない。そうである以上、他人の為に命を張るならば、それ相応の見返りは必要だということである。
「……意外だな。もっと泣き喚くかと思ったぞ。」
そうして、平然と、悪びれる事無く言い放った俊樹少年にカイトが意外感を感じて、どこか見下した表情で告げる。
「ふーん……でも、ゴメンだね。」
俊樹少年は、カイトの想定を否定する。彼とて、既に死刑を覚悟している以上、泣き喚きたい気持ちはあった。だが、それではカイトやソラの思う壺だと思ったのだ。それ故、彼は最後の意地で、それをしなかった。意地でも、自分の逃走を、自分の望んだ自由を阻止した者の気を晴らしてやるつもりは無かったのだ。
「はん、なんだよ。どいつもこいつも揃っていい子ちゃんでさ。」
どこか憮然とした表情で、俊樹が告げる。それが特に、彼には気に食わなかった。特に、カイトだ。品行方正のルールを造り、それを他者に強要するカイトは、俊樹少年にとって最も忌むべき存在だった。
自由気ままに、自分がしたいように。そうしたい俊樹少年にとって、自身を縛るルールは悪害にしかなり得なかった。
「そう見えるか?」
「見えるね。僕とは正反対のいい子ちゃんだよ。」
カイトの問い掛けに、俊樹少年が即断する。だが、これはカイトにとっては嘲笑いの種にしかなり得なかった。
「く……くくく……あーっはははは!お前は馬鹿か!」
「……え?」
カイトの急な嘲笑に、俊樹少年が唖然となる。そう、自分とカイトはまったくの別物だ、そう思っていたのだ。だが、カイトはこれを否定する。
「オレとお前は同類だぞ?」
「なっ!何だよ、その姿は!」
狂気の笑みを浮かべ、カイトが告げる。そうして、カイトは本来の姿に戻り、俊樹少年の驚きが響いた。
「来いよ。」
「はっ!」
本来の姿となったカイトが命ずると、それだけで即座にその場には公爵家の面々が勢揃いする。そうして、カイトの後ろに傅いた。
「なあ、聞くぜ?今回の一件、オレはいい子ちゃんかな?」
「さて……それは答えに困る質問ですね。」
カイトに問い掛けられたブラスが、少し心から困った様な顔で答えた。だが、それは誰に聞いても、同じだっただろう。そうして、ブラスに問い掛けたカイトは、悪辣な笑みを浮かべて、俊樹少年に問い掛けた。
「お前……マジでわかんねえの?」
「……え?」
「ここら一帯に盗賊を入り込ませた奴を潰すため、お前は踊らされてたんだぞ?端からお前が盗賊に与していたなんて、知ってたんだよ、こっちは。」
「なっ!?」
俊樹少年が絶句する。それは即ち、彼もまた、盗賊を、その更に裏に潜む者を一掃するために、仲間を売ったに等しかった。ただそれが、仲間の為に仲間を売るか、自分の為に仲間を売るかの差だったのだ。それが理解出来たのを見て、カイトが告げる。
「まあ、ソラ達が外で巻き込まれるとは思いもよらなかったが……」
カイトはそこで、本当に沈痛な表情を、どこか自身の未熟さに怒りを湛えた様な表情を一瞬だけ浮かべる。だが、それも直ぐに自嘲の笑みに変わり、再び悪辣な笑みに戻る。
「……わかったか、小僧?善には善を以ってあたり、悪には悪を以ってあたれ。オレの……マクダウェル公カイトの師の教えだ。貴様がもし生き延びたければ、オレにとっての悪を為すべきじゃ無かったんだよ。悪を為した時点で、お前はオレの策略に組み込まれた。」
そうしてカイトは神々しい剣を顕現させる。その姿は咎人を裁く、死神そのものであった。だが、違うのは、顔に浮かぶのが悪辣な笑みである、ということだった。
そうして、告げられた彼自身の名前の意味に気付いた俊樹少年は、そこで自分がようやく誰に手を出したのかを悟った。
「では、罪人よ。最後に言い残したい事があれば、聞いてやろう。」
だが、その悪辣な笑みも直ぐに消える。次いで浮かんだ表情は、真剣で、冷酷な冷たい表情だ。裁く者の最後の義務として、カイトは俊樹少年に問いかける。これは、他にどんな死刑囚を相手にしても変わらない、最後の慈悲なのだ。
「この化け物が……!」
守るはずの自身さえ、手駒か、俊樹少年が罵倒では無く呪詛として、言外に吐き捨てた。自分が全て彼の手のひらの上であった事を悟った俊樹少年の恨みが篭った視線は、その瞬間までカイトを睨み続ける。
「光栄だな。では……死ね。」
だが、カイトにとってその罵倒は雑音に過ぎず、彼程度の恨みはそよ風にすぎない。もともと、裏切ったのは彼だ。誰よりも戦乱の最深部を生き抜いたカイトや公爵家の面々、そしてその子孫たちにとって、もとより裏切り者に慈悲を掛けてやるつもりは無かった。なので、この場の誰も心が痛むことは無い。
そうして彼が指をスナップさせ、剣を振り下ろそうとする。しかし、次の瞬間、待ったが掛かった。
「待ってくれ!」
その言葉に、カイトは一旦刑の執行を取りやめたのであった。
お読み頂き有難う御座いました。




