第136話 失敗―果―
少しだけ時は遡る。それはまだ、コフルがマクスウェルの街を出発する以前の事だ。会議が煮詰まる公爵邸とは別に、学園ではのんびりとした空気が流れていた。
「今は……17時か。もう一時間もすればカイト達がマクスウェルを出発するな。」
「ええ、後2時間もすれば、コフルさんが来られるはずよ。」
部室で待機している瞬と楓。他にはグライアとティアに弄ばれているティナや他の面子も各々思う場所で待機していたり、習ったばかりの使い魔を使って学園から生徒が出ていないかの監視を行っていた。と、そこへ差し入れとばかりに大きな皿にお菓子を満載してソラが入ってきた。
「おーす……あ、一条先輩。お菓子持って来ました。食べます?」
お菓子は由利の作であった。他にも魅衣達いつもの面子が各々本やらお菓子やらを持って来ていた。彼らは空いた時間を活用して、由利の作ったお菓子を家庭科室まで取りに行っていたのである。
「お、そうか。貰おう。」
「お兄ちゃん、由利さんのお菓子。どれも凄い美味しいよ。」
そう言ってソラが持った大皿からクッキーを一枚抜き取って食べる凛。出来たての味はやはり違うらしく、幸せそうであった。それを受けて、嬉しそうに由利が笑う。
「ありがとー。」
「ティナちゃんも食べる?あ、お姉さん達もどうですか?」
「ほう、カイトの世界のお菓子か。興味あるな。」
「ティナには余が食べさせてやろうなー。ほれ、口を開けろ。」
「グライア姉上、余は精神まで幼くなっておらん!」
そう言って二人してティナをからかうグライアとティアだが、三人共この後すぐに戦闘が有るということを知っているのに、余裕であった。まあ、この三人から余裕が無くなるとすれば、それは相手がカイトか、もしくはカイトが苦戦する相手ぐらいだろう。そうして、結局一同の前でからかわれる事に恥ずかしくなったティナが脱兎の如く部室から逃走し、二人がその後ついてまわる様にクッキーを片手に出て行く。
一方、残された面子はこの後に何が起こるかなぞ知らないのでリラックスして待っていると、かなり好評だったらしく、直ぐに持って来たお菓子が切れてしまった。
のんびりとソファに寝っ転がり、雑誌を読みながらお菓子を摘んでいた魅衣だったのだが、ふと手に当たる感覚が無くなりお皿を見て、空だった事に気付いた。少し残念そうな魅衣だったが、無くなった物は仕方がない、と溜め息を吐いた。
「あら?お菓子なくなっちゃったわね。」
「あ、じゃあ家庭科室にまだ有るから持ってくるよー?」
「あ、でも食べ過ぎたら夜ご飯が……それに、体重が……」
由利の言葉に、魅衣が二の腕を掴んで難色を示す。幾ら運動の多い冒険者とはいえ、元々は彼女らも年頃の女の子だ。魔術で筋力をあまり必要としない事もあって、少しだけ、魅衣は体型が心配だったのである。
「大丈夫では無いでしょうか?最近皆さん冒険者として十分な運動はされてますわ。それに、魅衣さんなら気にするほどでは無いでしょう。」
そう言って瑞樹が魅衣の全身を見積もる。平均よりも若干薄い胸を除けば全体的にバランスの取れている体型の魅衣は、確かに気にする必要は無いだろう。それに後押しされ、魅衣が嬉しそうに立ち上がった。
「それもそうよね!じゃ、持ってこよっと。」
そう言って立ち上がった魅衣だが、しかし、更に瑞樹が小さく続けた。
「とは言え、確かに美味しすぎて食べ過ぎるのは難点ですわ……私なぞ、最近またブラが苦しくなってしまい……私の方こそ少し食事を制限すべきでしょうか?」
実はこの面子では瑞樹が一番由利のお菓子を食べていた。そして今も少しだけ口惜しがっている自分が居る事に、瑞樹はきちんと気付いていた。まあ、言い訳になるかわからないが、彼女は身長からスタイルから平均のそれを大きく上回っているし、戦い方にしても一撃重視のハイパワー型だ。それ故に若干他人よりも燃費が悪いのだろう、と瑞樹は諦めていた。
ちなみに、溜息混じりに誰も聞こえない程度に密かに呟いた筈なのだが、運悪く机を挟んですぐ近くに居た魅衣にだけは聞こえたらしい。瑞樹の一部を凝視しながら魅衣が口を開いた。
「喧嘩売ってる?ねえ、喧嘩売ってる?」
「いえ、そういうわけでは……でも、魅衣さんぐらいのサイズの方が、可愛いブラが有りますし……羨ましい限りですわ。」
お互いがお互いに少しだけ羨望の眼差しでお互いの胸を垣間見る。女子の平均から圧倒的にかけ離れたサイズの胸を持つ瑞樹の悩みであるが、それ故、逆の意味で平均から離れた魅衣には理解されない。お互い、持つが故、持たぬが故の悩みであるので、分かり合うことはない。そんな親友と最近新たに出来た友人の悩みに、どちらかと言えば持つ者である由利が笑って立ち上がった。
「あははー、まあ、私が行ってくるねー。」
「あ、じゃあ、俺も行く。」
「よし、今度は俺も行こう。座ってばかりだからな。」
「あ、先輩。お供します。」
「ああ。神宮寺、桜田、少しの間指揮は任せるぞ。」
ソラと瞬が由利の荷物持ちに立ち上がり、先輩だけに荷物持ちさせるわけには行かないと翔も立ち上がる。そうして、それを受けて楓が三人を見送ろうとした所で、放っていた使い魔が異変を察知した。
「ええ、行ってらっしゃい……ちょっと待って。」
「何?……どうした?」
「外……これは多分、あっち。生徒が一人塀を乗り越えようとしてる。」
「何!?」
楓が使い魔の視界を頼りに、ある方角を指さした。楓の言葉に驚いた瞬達が大慌てで見れば、丁度俊樹が学園を取り囲む塀を乗り越えようとしているところであった。それを見た瞬は、朝の報告を思い出して途端に嫌な予感がした。そうして、一同の中でも特に目の良い由利が俊樹の持つ荷物がかなりの重量であることに気付いた。
「あんなに重そうな荷物持って、何やってるんだろー?」
「おい、翔、お前はすぐに部室に行ってユスティーナにこの事を報告しろ。場合によってはグライアさん達にも応援を頼んでくれ。桜田、お前は使い魔を使って全員を集めてくれ。神宮寺、手筈通り指揮は任せる。」
朝の報告を受け取っているが故、瞬の脳裏からは嫌な予感が離れない。なので瞬はなるべく万全を期す事にして、最も足の速い翔に学校の案内に出た三人を呼びに行かせる事にした。そんな瞬に、翔は彼が何をするのかを問い掛けた。
「先輩はどうするんですか?」
「俺は奴を止めに行く。ソラ、由利。悪いが一緒に来てくれ。まだ結界の内側なら、危険は無い。その間に止めるぞ。」
「了解です。」
今回ばかりは、瞬を責めることは出来ないだろう。彼らとて結界が破られることは把握していないのだ。ティナが張った結界は影響は出ないが、その更に外側にある結界は別なのであった。そちらは襲撃者への油断を誘う為の見せかけの為に破砕されることになっており、塀の外側が、丁度その破砕される結界とティナの結界の境目であった。
「おい、ティナちゃん!緊急事態だ!」
そうして、勢い良く駆け抜けた翔は、2階に上がった所で教室を覗いていた三人を見つけ、開口一番そう言う。そうして更にさっき見た物を説明すると、ティナの顔がすぐに険しいものに変わった。
『カイト……ちと確認したいのじゃが。』
『ん?何だ?』
会談中である為、それなりに暇なカイトはすぐに応答する。
作戦開始予定まではまだ後30分少しあった。ティナが結界の外側を偵察させている使い魔にしても、まだ賊徒共が準備中である事は掴んでいた。
それ故に、この状況での俊樹少年のこの行動は理解出来なかったのだ。逃げるにしても早過ぎるし、そうでないなら、いたずらに警戒を誘発するだけだ。今の時点から学園から脱走する意味が無かった。なので、作戦の予定に変更がないか、ティナが時計を確認しながら確認する。
『確か、奴らの行動開始は18時30分じゃったよな?』
『ああ、そのはずだ……まさか、奴らが行動を起こしたか?』
『いや、まだ奴らも部隊展開中じゃ……まさか、余の使い魔を誤魔化せる筈もあるまい。』
常人ならばこれを油断と取るだろうが、ティナに関しては問題がない。ティナの使い魔も圧倒的な実力を有している。今回使用しているのは全て高性能のスタンドアローンの自律型で、少しの違和感でも、最高クラスの術者に匹敵する使い魔達によってダブルチェックを敷いている以上は誤魔化せることはない。伯爵の手勢と賊徒が張っている隠蔽程度では、透明な板で隠れているつもりになっている程度にしかなっていなかった。
『……では、どうした?』
『卯柳とやらが外に出たらしい。今ソラ達が追いかけたらしい。まあ、さすがにすぐに戻ると思うが……』
『さすがに今動いても此方に警戒させるだけだろう?何を考えているんだ……まあ、いい。ユハラ達にも賊共の行動の確認をさせる。そっちはそっちで出て行った三人を呼び戻してくれ。』
『うむ……む?』
わけがわからない俊樹の行動に頭を捻る二人だが、最悪を考えればまずはソラ達を連れ戻す事が先決であった。なので、二人はまずは外に出ようとしていた瞬達を呼び戻すことにする。が、二人が相談している間に、向こうの方の説得が早く済んだようで、此方に帰還しようとしているのが使い魔越しに見えた。それを見て、ティナが安堵の溜め息を吐いた。
『どうした?』
『どうやら卯柳とやらを連れ戻すことが出来たようじゃな。すぐにソラ達も戻ってくるじゃろう。』
瞬が後を振り向いて歩き始めたのに合せて、ソラ達も歩き始める。その報告を聞いたカイトもほっと一安心したが、しかし、次の瞬間。その期待は裏切られる事になる。次の瞬間、パリン、というガラスが割れる音がしたのだ。最も外側の結界が破砕された音であった。最悪な事に、まだ瞬達三人は破砕された結界の外側であった。
『カイト、緊急事態じゃ!結界が……』
『ああ、今こっちもユハラから報告があった!そっちはすぐに指揮してくれ!』
『うむ!』
ティナは即座に念話を切断すると、結界が破砕されたことに気付いて大騒ぎとなる冒険部の面々の指揮を開始すべく、大慌てで部室へと戻るのであった。
一方、少しだけ時は遡って、学園の塀の外に出た瞬達だが、最も外側の結界に出る前に俊樹少年を補足する事に成功した。彼が重い荷物を持っているお陰で塀を越えるのに手間取り、その隙に距離を詰める事に成功したのだ。
そうして彼の後に立った所で、槍を構えて瞬が口を開いた。道中瞬からソラと由利の二人も朝の一幕を知らされているので、二人も各々武器をいつでも抜ける状態で待機して、俊樹を睨んでいる。
「おい、卯柳。ここで何している。」
「っ……いえ、その、只の散歩ですよ。」
俊樹少年は既に登録を終わらせて久しい第一陣の学園生達が、ティナの指導の下で遠視用の使い魔を習得している事を知らない。それ故、実は学園全体が見張られているとは露とも思わず、冒険部の部室とグラウンドに待機しているブラス達の部隊から死角となる場所を選んで脱走したのだ。それなのに後から声を掛けられたものだから、心底忌々しい様な顔をしていた。
「散歩にしてはずいぶんと遅い時間だな。それに、今日は外出禁止だ。部屋へ戻れ。ソラ、お前体力あるんだから、荷物もってやれ。」
「うっす。ほら、持ってやるから貸せよ。」
すでに周囲が暗くなり始めているし、彼が持つ荷物も見るからに重そうだったのだ。散歩という言い訳は瞬でなくとも受け入れ難かった。なので瞬は自分は油断なく武器を構えたまま、ソラに命じて俊樹の荷物を持たせる。それを受けたソラは強引に俊樹の荷物をひったくり、距離を離す。そうして尚も動かない俊樹を瞬は促した。
「どうした?戻るぞ。」
まさか襲撃の準備が整えられていると知らない瞬は、疑わしい事は後で部室で問い詰めれば良い、そう考えて俊樹少年を促した。想定外はともかくとして、そんな油断の無い瞬に、俊樹少年が願い出た。
「……一条先輩、取り敢えずその槍を仕舞ってくれませんか?怖いですよ。」
自分が警戒していることは瞬が槍を持っているからである、そう言わんがばかりに俊樹少年は瞬に武装解除を願い出る。が、一方の瞬も道理としてそれを突っぱねた。
「ん?ああ、ここは一応学園の外だからな。まだ結界の一番外側の中だが……警戒するに越したことはない。ああ、小鳥遊悪いが周囲を警戒してくれ。」
「はーい。」
なんとか警戒を緩めようとした俊樹少年だが、それどころか、逆に更に周囲を警戒されてしまった。これでは迂闊な行動はできない、それを知った俊樹は少しだけ作戦を変更することにした。
「わかりました。っと、天城先輩、僕の荷物は僕が持ちますよ。何時までも先輩に荷物をもたせるわけにも行きませんからね。」
今度は俊樹少年が強引にソラから荷物をひったくり、校舎へ向けて歩き始める。自分たちに背を向けて歩き始めた彼を見た瞬が、少しだけ警戒を解いて歩き始めた。それに続いて、ソラと由利も歩き始める。
「ん?そうか……おい、行くぞ。」
「はぁ……ホントならもうちょっと離れた後にしたかったんだけど……」
が、次の瞬間。俊樹少年が、小さく呟いてソラから奪い取ったカバンの外ポケットから小さな何かを取り出す。取り出したのは、遠隔で結界破砕の魔道具を起動する小型のスイッチであった。俊樹は盗賊たちが自分を疎ましく思っていることを察知していた。それ故に、盗賊から預かった魔道具に大急ぎで細工を施しておいたのだ。
「何?」
小さな呟きであったが、魔術で聴覚をブーストした三人にはしっかりと聞こえていた。その呟きに気付いて、更に彼がポケットからスイッチを取り出したのを見て、一気に警戒感を強める。だが、次の瞬間、三人が俊樹少年が何を取り出したのかに気付く前に、スイッチが押されてしまった。
「じゃあ、頑張ってねー。」
「な!」
そう言ってスイッチを押した俊樹少年は、三人の驚きの声を背に直ぐにスイッチ状の物体を投げ捨てた。そうして次の瞬間。パリンと言う音と共に、結界が崩壊した。三人が驚愕に包まれる中、習ったばかりの身体強化の魔術を使用して、あらん限りの脚力で俊樹少年が一気にかけ出す。方角は学園とは逆の方向だ。
「ちっ、逃すか!」
一瞬の隙を突かれて逃げた俊樹を追いかけようとした瞬だが、即座に停止する。目の前に見知らぬ集団がいたのだ。どうやらその集団にとっても予想外の出来事であったらしく、彼らも驚いていた。
「な……こりゃ何が起きた?まだじゃなかったのか?……って、お前は小僧か。お前、何しやがった!」
彼らは俊樹に魔石を渡した盗賊であった。いきなりの事態に盗賊の親分が怒声を上げる。彼らとて、よもや俊樹少年が自分たちの渡した魔道具に細工出来る腕を持っているとは思いもよらず、こんな事が起きるとは思いもよらなかったのだ。
「げっ……」
同じく走りだした俊樹だが、目の前にいきなり盗賊が現れるとは思っていなかったらしい。足を止めるしか無かった。
「まあいい、こいつもどうせ売るつもりだったんだ。ふんじばっとけ。」
「な!約束が違うだろ!」
俊樹少年の抗議の声を無視して、盗賊の一人が彼に殴りかかり気絶させる。そうして俊樹少年を捕まえた盗賊は彼をずるずると引きずりながら、後ろへ下がっていった。
「ぐぇ……」
「はあ、俺達に約束って……信じるほうが馬鹿だろ?ったく、今まで散々手間かけさせやがって。俺達はスマイルだってロハじゃねぇんだぜ?」
まあ、信じていないからこそのこの状況なのだが、盗賊の親分はそう言って瞬達三人を見て、いやらしい笑みを浮かべる。特に由利が女であることを認め、更にその笑みを深くした。
「おいおい、こんなところに女連れとは……頂いちまえ!」
そう言って誰しもが予想外の状況で、瞬達三人対盗賊たちの戦闘が開始された。
お読み頂き有難う御座いました。
*連絡*
現在執筆中の断章ですが、以前のソラ編よりも長くなりそうです。ですので、複数に分けてソートを実行します。詳細が決まり次第ご連絡を入れますので、その際はご了承下さい。




