寂しい王子様(後編)
ドサッツッ、ズシャッ、ドシャッ。
『やったっ! とうとうやったわよ! カモーン、ヴィル!』
あーはははーっ。
突然、地面に穴が空いたかと思うと、土まみれの女性が這い出てきた。
そして、胸をそらし、わからない言葉の歓声を上げ高らかに笑い出した。
少年はそれを茫然と眺めていた。
周囲の女官や警護の騎士達は、苦笑しながら、見ないふりをしていた。もう少しひっそりとしていただきたいと思いながら。
女性は辺りを見回し、すぐに少年に目を止めた。満面の笑顔を浮かべる。
「か、あ、さま?」
少年が呟く。
女性は少年に向って一目散に駆けてきた。両手を広げるや。
「大きくなったわね、ヴィル。本当に本当に本当に世界で一番かっこいいわっ!」
彼女はぎゅうぎゅうと少年を抱き締めた。少年は泥の着いたドレスに顔を押し付けられ頬が痛いと思っていた。その顔は嬉しさが溢れる。
いつも思い描いていた。母上は必ず会いに来てくれると。庭の影を、木々の間を探して、探して何度も見つめていた。
何処かに現れて両手を広げて自分を呼ぶ母の姿を、何度も想像していた。
笑顔で立つほっそりとした母を、自分が守るんだ、と。
だけど。
少年が想像していた再会の場面とはまるで違っていた。想像の中の母は華奢で少し儚げですらあったというのに。
この騒々しい行動、そして手加減をしない勢いに、少年は涙を浮かべた。
母はこういう人だった。確かに女官達に比べれば遥かに華奢なのだが、弱さを微塵も感じさせない。
ここにいるのは本当の母様なんだ。抱きしめられながら少年は母の柔らかい身体に頬をこすりつけた。
「母様、顔が痛いよ」
少年は、涙声にならないように精一杯強がって見せた。だが、母の腰に回した腕は離さない。
「あらっ、男前な顔が台無しになるところだったわ。よく見せてちょうだい。ああ、本当に、陛下に似ず男前ねっ」
彼女は息子の頬を両手で包み、その顔を目を細めて見つめた。そして何度も頬を撫でる。
少年は照れ臭そうに見上げていた。
「母様、遅いよ」
「ごめん、ごめん。地面が意外に固くてね。掘り進むのに時間がかかってしまったのよ」
最初、王妃は、王太子宮へ正面から堂々と息子に会いに行った。無理を承知で。やはりというか当然のことながら中には入れてもらえず、何度も門前払いをくらった。
しかし、そんな事は彼女にもわかっていた。何度行っても無駄であろうことは。
王太子宮を訪れることは王妃にとってはカムフラージュでもあった。それで会えれば儲け物くらいのことだったのだ。
王妃は元々会えなくなることを知っていたため、会うための方法を息子が産まれた時から考えていた。用意周到に。
息子が二歳の頃には庭園工事の計画案を提出した。道がないなら作ればいいと思い立ち、庭園工事とは表向きで王太子宮への地下道を掘るための計画だった。
王妃の庭園散歩好きは知れ渡っていて、数ヶ月後には王太子と離れ離れになることを考慮し、王妃の慰めになればと庭園工事の許可が降りたのが一年半前の事だった。
庭園工事のための資金は彼女自身が密かに蓄えておいたので、困ることはなかった。
出産後、王妃は縫いぐるみというものがないと知り、これで一儲けしようと思いついた。仕立屋にへそくりを投資し、子供向けの縫いぐるみを作って売るよう指示したのだ。
請け負った仕立屋も、王妃に気に入られるほどの業者である。売れないはずはなかった。
そうして王妃がデザインしたぷっくり丸々した縫いぐるみ”バリろん”は、たちまち王都中の子供に大人気となった。続いて”クマろん”を発売。高級なものから安価なものまで品揃え豊富に売り出し、飛ぶように売れた。今では製造待ちで入手困難な状態となっている。
今や王妃のへそくり資金は急速に増加しつつあり、庭園工事資金くらいは端金だった。
それから一年少々、庭園工事の視察の傍ら、王妃は黙々と地下道を掘り続けた。さすがにそれを業者に頼むことはできないので。
工事に携わっている者にはそれはわかっていたが、じきに諦められるだろうと思っていた。王妃の力は弱く、すぐに音を上げられるだろうと。
しかし、一ヶ月たっても、二ヶ月たっても彼女は土まみれになりながらただ掘り続けた。穴を掘り、手押し車で土砂を運ぶ。また、暗い穴の奥で掘る。自由になる時間いっぱいを使って、それは繰り返された。
固い岩の地層が彼女の行く手を阻むと、岩を溶かす液体を作ったり、組み合わせれば爆発する粉を、とある神殿の神官から入手し使用したり。その作業は、詳しい知識を持つ者にとってみれば、惨事になりかねない非常に危険な内容だった。
この頃には、庭師という名の影の騎士達が、王妃の作業にこっそり参加するようになっていた。陛下の指示を受けてのことである。放っておけば王妃に命の危険があると判断したらしい。
そんなこんなで王宮内の一部の人々に見て見ぬふりで続けられた王宮奥の庭園から王太子宮の庭園への地下道がようやく貫通したのが今日だった。
「遅くなってしまったけど。お誕生日、おめでとう、ヴィルフレド」
そう言うと王妃は、背中に背負っていた物を降ろした。紐を解き、土に汚れた布を外すと、丸い縫いぐるみ”クマろん”が現れた。
息子が目を見開いているのを、王妃は嬉しそうに眺めた。勉学の邪魔になると息子に与えられていないだろうと彼女は思っていた。
ぎゅっと腕に抱く息子には、クマろんは少し大きい。でも、すぐに小さくなるんだろう。去年に比べて、こんなに大きくなっているのだから。
王妃は息子のオレンジ色の髪を撫でた。相変わらずふわりと柔らかく、頬には赤みもさして顔色がいい。
「クマろんって言うの。この子は寂しがりやさんだから、時々一緒に寝てあげてね」
「うん。クマろん、可愛いね」
「でしょう? お母さんとどっちが可愛い?」
「クマろん」
「……」
即答され、王妃の顔は一瞬硬直する。
「そ、そう。……前は、母様は可愛いって言ってくれていたのに」
「母様は、違うんだって、父上が言ってた」
「違うって何が?」
「可愛いくないって言ってた」
「……ほう、陛下が、そんなことを、言ってたの、ね。ふっふっふっ。可愛くない、ですって? そう、そんなことを、ね」
王妃は引き攣った笑いを貼り付け、楽しそうに話す息子の頭を撫で続けた。柔らかなオレンジ色の髪を。
王妃ももちろん察してはいた。陛下が言った可愛くないというのは、おそらく話の極一部なのだろうと。
前後がなければ、正しい意味をなさない。陛下の話は、幼い息子には難しすぎたのだ。だから、簡単に聞き取れた単語から組み上がった言葉なのだろう。
だが、だからといって、父は母を可愛くないと言ってた、と息子が思っている事実は消えない。
どうしてくれるんだ。去年までは、母様可愛いって言ってくれてたのに。母様と結婚するって言ってくれてたのに。陛下のばかやろーっつ!
王妃はにっこり笑顔で息子を見つめながら、彼方へと怒りを向けていた。




