ナファフィステア視点◆出産して、しばらく後のこと◆
息子のヴィルフレドが産まれて、バタバタしているとあっという間に時間が過ぎてしまった。
乳母もいるし、子育て知識豊富なベテランな女官も加わり、王宮奥は非常に活気に溢れている。その中で、私ははじめて母になったので緊張というか、不安というか、内心いろいろあるわけだけど。
「王妃様、お茶をお持ちしました」
リリアが私の前にやや青っぽさと甘さが入り混じった独特の香りのするカップを置いた。
たぶん、このお茶は滋養強壮のためだと思う。リリアはいつも気を使ってお茶に変化を付けてくれていたのに、こう毎日同じお茶を続けるのはおかしい。担当の女医さんからの助言か、陛下の指示なのだろう。
自分では産後の回復は順調だと思っているけど、一般的にどうかと言われるとわからないし、この国の人達とは人種的にも体格的にも違うので比較にならない。なので、身体が全回復と感じるまでは、文句言わずに大人しく従うことにしている。
「ありがとう、リリア」
私はカップを受け取って、窓の外を見た。
「ヴィルが暮らすことになる東宮って、奥宮から見える壁の向こう側の建物よね?」
大きなガラス窓からはバルコニーとその向こうに高い壁が見えるけど、ここからは見えない。バルコニーに出れば、壁の向こう側に三階建てくらいの割とこじんまりした建物が見える。王宮内の本宮からみて東に位置するので東宮という。そこで息子は四歳になれば王太子としての英才教育を受け暮らすことになるのだ。母から離れて。
「はい。王太子殿下の紋章が決まれば、建物の内装なども整えていくことになりますので、騒々しい音が聞こえてくるかもしれません。歴代の王妃様は、ご実家や親族の邸でお過ごしになっていたそうですが……」
リリアは言葉を濁した。
私には実家がないし、泊めてもらえるほど親しい人もいないので、住まいを移すことは無理。それに、陛下が許さないだろう。前よりもしょっちゅう王宮奥に顔を出しては、私の姿が見えないとイライラしているくらいだから。
妊娠中は王宮奥の二階から出られなくてストレスが溜まっていた私だけど、今はヴィルがいるから息子を置いて外泊しようなんて思わない。これまでの王妃だって、我が子を残して実家に戻るのを望んだのではなく、半ば強制的に王宮から離されたのではないだろうか。子から引き離されるなんて、どんなにか……。もちろん、王に嫁ぐような上位貴族家の娘は子育てはしないものらしいから、本当に実家で休みたいと思った王妃もいたかもしれないけど。
「あの壁に扉を作れば、ここから東宮はすぐに行けるわね」
私はお茶を飲み、そう呟いてみる。
リリアはギョッとしたように一瞬固まった。あの壁に穴を開けてしまえば、対外的には私とヴィルが会っても内緒にできるかなと思ったんだけど。
王太子が幼い時期に住まいを移すのは教育だけでなく王妃から隔離するのが目的なのだから、壁に穴をあけることが許されないのは当然で、私もそれはわかっている。ただ、それを私が実行するとして、リリア達がどう思うかと反応が知りたかったのだ。
わかったのは、かなりヤバいことなんだなって感じだけ。残念ながら、私に他人の心を読む才能はなかった。
王太子は王妃から距離を置いて育つべきという方針を否定したいわけじゃない。私は四歳までじゃなくずっと一緒に暮らしたいけど、息子は王となる以外に選択肢がないのなら、相応の教育を受けるべきだと思う。だから、その歳になればヴィルが東宮で暮らすのはやむを得ないし、私も邪魔はしないようにしたい。
でも、我が子に何かあれば駆け付けられる手段は絶対に確保しておきたい。陛下が何とかするだろうなんてのは別問題。私がヴィルの育つ姿を見ていたいし、ヴィルのために私だからできることがあるかもしれないのだから。
だから……。
「長い梯子があれば、あの壁を乗り越えられるかしら」
「危険ですのでお辞めください」
「梯子は自分で作ったりせず、ちゃんとした業者に頼むわよ」
「そういう問題ではございません」
即座に否定するリリアに笑いながら、私は東宮攻略法を真剣に考え始めた。表向き息子と会っていないという体裁を保ちつつ自由に逢うには、奥宮の庭から壁一枚隔てただけというこの立地を活かすのが手っ取り早い。さて……どうするか、と。
そして、今、私はとある貴族家の庭園を訪れている。庭園散歩が大好きな私は庭に興味を持ち、ゆくゆくは奥宮の庭園を改築したいと思っているので、王都にある美しいと評判の庭園を見学したいとの請願を出し、それが認められたのだ。
「そなたの邸の庭園はなかなかに面白い。大きな庭ではないが、それぞれ木々の大きさが絶妙である。図面から想像する以上によい」
私の隣に立つ陛下が、ぐるりと辺りを見回して言った。
「ははっ。お褒めにあずかり恐悦至極にございます」
陛下の言葉にカチンコチンに固まったまま答えているのは、この貴族家の当主である。上ずった声の調子から、少し震えているのかもしれない。服の下は冷や汗だらだらかいていそうで、気の毒なほどだった。
貴族家といっても下位貴族だそうだから、国王から直々に言葉を賜る機会なんてそうないのだろう。当主だけでなく、この邸中に緊張感が漂っている。過ごしやすいいい天気なのに。
「庭を見たいゆえ、そなたらはしばらく下がっておれ」
「はっ、は、ははっ」
当主と従者は姿を消した。それとともに、リリアや陛下付き騎士達も私達から少し離れる。でも、庭園自体がそれほど大きくはないので、せいぜい十数メートルといった程度だ。
そこでようやく私は被っていた薄絹をめくり上げた。薄ぼんやりとは見えていたけど、これでやっと視界がクリアになり評判の庭を見ることができる。でも、庭園よりも貯めてた苛々が抑えきれず口を開いた。
「どうして陛下がついてくるのよっ。私だけなら、邸の当主だってあんなにオドオドすることはなかったし、もっといい雰囲気でこの庭を見学できたはずだわっ」
私は思いっきり不機嫌な顔で陛下を睨みながら不満をぶちまける。
「それに、わざわざこんな布で私を隠す必要ってあった? 金髪の鬘かぶってるんだから、隠さなくったっていいでしょっ」
ここは王宮外だし、当主の手前、黙っていたけれど。無表情な陛下の顔を見たら、つい不満が爆発してしまったのだ。
この国の庭園は整然と人の手によって形まで整えられたものが美しいとされている。しかし、この邸の当主は、王都の邸の庭園に自領地の景観を表現しているという。線で引いたような直線ではない通路、大きな木のそばに置かれた小さなベンチ、こんもりと土の盛られた丘らしきもの、奥にはやや背の低い木々が茂り森に見えた。これは当主の領地にあるどこかの景色の縮図かもしれない。私の前に広がる庭には当主の領地への愛情が込められているのだろう。
だから、当主に詳しい話を聞きたかったのに、陛下ときたら。
「当主には直にお話を聞きたかったのに……。後でお礼を言うから、その時は邪魔しないでよね」
「当主と言葉を交わしてはならぬ」
「はぁ? どうしてよ」
「布から顔を出すでない。目が見える者なら、そなたが誰であるか一目でわかる」
いつの間にか、陛下は不機嫌になっていた。
ここへ到着するまでの馬車内では穏やかな雰囲気で機嫌がいいと思っていたのだけど。
「私だとわかったら何だって言うのよ? 王妃がここに来たら不都合があるの?」
「警備が手薄な場所に王と王妃がそろっているのだ。不都合しかあるまい」
「陛下は帰ればいいでしょ。それなら」
「そなたが一人で私邸に居るのは許さぬ」
私の言葉を遮るように、陛下はきっぱりと否定した。
陛下が戻っても私のそばにはリリアやボルグもいるから一人じゃない、と言いたいところだけど。
「ちょっと歩きましょうよ。素敵な庭なのに見もしないで言い合ってばかりではもったいないわ」
私は陛下の腕をぐいぐい引っ張り、庭園の小道に誘った。
ヴィルを置いてきているので私にはのんびりしている時間はない。陛下と言い争うより、ここに来た目的を果たさなくては。
しかし、
「この庭、面白いわ。奥の方は木の柵も小さく作られてて、うまく遠近感を演出してるのね。よく見たら小さな家があるじゃない。正面だけの作り物だけど」
私はすぐに庭園に夢中になってしまった。テーマパークにいるような感じでワクワクが止まらない。
「見て見て、あそこ! 神殿かしら? あれ、かわいいっ」
陛下の腕を放り出して石造りのものに駆け寄ろうとしたら、
「何処へ行く」
私は陛下に抱え上げられてしまった。
何処にってちょっと数メートル先へ行こうとしてただけでしょう、と呆れる。けれども、陛下としては、私が陛下そっちのけで騒ぐのが面白くなかったに違いない。
「あの神殿を近くで見たかったのよ」
「近づけば逆に粗が目立つ。近くで見る必要はない」
陛下の意見は正しい。張りぼての家々も精巧とは程遠い出来だった。そもそも遠くから見ることを前提として作られたものなのだ。視力のよい陛下には、この距離でも粗が見えているのだろうけど、私にはカッコいい神殿ミニチュアにしか見えてない。近くで見たらがっかりするかもしれないとしても、確かめたいし、それはそれで楽しいんだけど。
もやもやしていると、陛下が呟いた。
「この庭が気に入ったか?」
そばで聞こえる陛下の声に、何度も王宮奥の庭園を陛下に抱えられて散歩をした時のようだと思った。そういえば、前に陛下と庭を歩いたのはいつだっただろう。
出産して階段を使ってもよくなったので王宮奥の庭園散歩を再開したものの、ヴィルはまだ小さいので連れてはいけなくて。出産後に散歩したのはまだ数回だけで、庭園滞在時間もすごく短い。そんなだから、当然、散歩中に陛下と遭遇することはなかった。こうして抱き上げられて歩くのは、半年ぶりくらいになるのか。
私は陛下の首に腕を回し、耳元に顔を近づけた。
「ええ、気に入ったわ。そういえば、こんな風に陛下と散歩するの、久しぶりね」
陛下は答えなかった。でも、聞いてはいる。まっすぐ前を見て、小さな庭の小道をゆっくりと歩く。そんな陛下の横顔を、散歩のたびに見ていたのに、久しぶりだからか新鮮に感じる。
私はしばらく黙って庭を眺めた。陛下と同じくらいの視点は高くて、私のとは全然違うことを実感する。陛下が何を考えているかわからないのは相変わらずだけど、見え方もこれほど違うんだから受け取り方も違うし、考えてることが全く分からなくて当然よね、なんて思いながら周囲を眺めた。
緑に囲まれた中で、私は落ち着き穏やかな気持ちになっていた。
「乳母や女官達に任せて、そなたは身体を癒すことを優先せよ」
庭の奥に進んだところで、陛下がぼそりと呟いた。
私はつい陛下の顔をまじまじと見たけど、いつものことながら無表情なまま。
「もうほとんど回復してるわよ」
「加奈、身体をいとえ」
陛下の言葉に、私は声を詰まらせた。小さい声だけど、口調には断固とした重みがあった。私を心配して発せられた言葉なのだ。
私は元気なつもりだけど、身体が重いと感じることはある。でも、私はサポートがあるから普通に出産した女性に比べれば随分と楽をしていると思っていて、だから呑気に休んでる場合じゃないと気が焦ってしまっていた。ヴィルは日に日に大きくなるし、早く母親らしくならなくてはと。
そんな私を見かねて、陛下は今日の庭園訪問を許可してくれたのかもしれない。私が気分転換が必要だ、庭園散歩で緑に囲まれるのがいいと何度も言っていたから。
「わかったわ。ちゃんと休む」
私がそう言うと、陛下は少しだけホッとしたように見えた。一瞬だったし、私の勘違いかもしれないけど、それが可愛く思えて顔が緩む。
「何だ?」
目ざとく気づいた陛下が、じろりと視線を私に向ける。切れ長の淡い青の綺麗な目だ。皺も多くて、陛下こそ疲れていると思うのに。
「何でもないわ」
陛下が不機嫌そうな顔になり、私はおかしくて完全に笑い顔になってしまう。当然、陛下はますます気に入らなくて、帰りの馬車に戻るまで機嫌が直ることはなかった。
結局、私は当主と話をすることなく王宮に戻った。
王宮に戻る馬車の中での、陛下のご機嫌取りという名の触れあいに、馬車が王宮に到着しても私はすぐに下りることができなかった。陛下の欲求不満ぶりを痛感させられたのだ。
陛下の不満はそっちか……。でも、身体を癒すのが先だし、陛下にはもうしばらく我慢してもらわなくては。
赤い顔でドレスを着崩した私を、リリアをはじめ女官達は満面の笑みで対応してくれたのだった。
~The End~




