寂しい王子様(その後のその後)
寂しい王子様(その後)の後日談です。
王宮奥の廊下を、オレンジ色の髪をふわふわさせた王太子ヴィルフレドが、奥へと進みながら振り返った。
「母様、ほんとうに怒らないかな?」
ヴィルフレドの視線の先には、叔父である王弟ジェイナスがいた。叔父といってもまだ十代半ばで、四歳のヴィルフレドに比べれば大きくなったが、まだ少年の域をでない。
王太子という特殊な立場で、親しく接する人物が限られるヴィルフレドは、立場的にも血筋的にも近いジェイナスを兄のように慕い、懐いていた。ここ一年は、不安を素直に吐露できる唯一の存在である。
ヴィルフレドは三歳まで、この王宮奥に暮らしていた。たった一年前のことだが、幼いヴィルフレドにとってはずいぶん昔である。あれから、ここに来てはいけないと言われ、母に会うことは許されなかった。
この先に母の部屋があるとわかっているが、もし母になぜ来たのかと咎められたら。
つい先日会ったはずなのに、会いにきたヴィルフレドを母が笑って迎えてくれるのか、ここにきて不安が込み上げてきたのだ。だからといって、急く気持ちは抑えられず足は止まらないのだが。
「怒るわけがない。あの通路は、王妃様がヴィルに会いたくて作ったものなのだから。きっと喜んでくれるさ」
本来、王太子宮に移った王太子ヴィルフレドは、許しもなく王宮奥に入ることはできない。王太子は実母の影響を受けて育たないよう、離れて暮らさねばならないのだ。
王宮奥の門から入ろうとすれば、ヴィルフレドは立ち入りを許されなかったはずである。たとえ王宮奥の住人である王妃が許可したとしても、だ。
それは、逆も同じで、王妃が王太子宮を訪ねてもヴィルフレドに会うことはできない。それがしきたりであり、王太子宮に暮らすとは、そういうこと。
だから、王妃は王宮奥から王太子宮へ穴を掘った。それが貫通したのが、つい五日前。
今回、ヴィルフレドとジェイナスは、その穴を通って王宮奥にやってきたのだ。
王妃が掘った穴は、王太子宮の庭と王宮奥の庭を結ぶ。王太子宮と王宮奥は間に大きな壁があるものの、一応は隣接しているので、それほど距離は長くない。
しかし、それはとんでもなく狭く小さい穴だった。ヴィルフレドにはちょうどいいが、すっかり背が伸びたジェイナスは、始終かがんで歩かなければならなかった。王の指示で整備されたはずだが、とても通路とは言い難い狭さだ。
その狭い穴は、中に入れば息苦しいほどの暗闇で、出口の見えない恐怖を感じた。この小ささは、背の低い王妃が掘ったからこそ。掘る作業は王妃のみだったという。長くはないとはいっても、簡単ではない。
ところどころ大きく曲がっているのは、おそらく固すぎて崩せなかった岩石を回避するためだろう。貫通までには、いくつもの困難にぶつかったに違いない。
全く方向のわからない地中の闇で、王妃が息子に会うためだけにこれを掘り続けたことに、ジェイナスは改めて感嘆した。
王妃は、見た目は黒髪黒瞳の小さな子供で、ジェイナスから見ても、子供を産んだ大人の女性には全く見えない。子供というには多少の違和感はあるものの、絶対に大人の女性ではない。
子供のような弱々しい姿をしていながら、息子が三歳になれば引き裂かれると知り、嘆き悲しむのではなく、王を詰るのでもなく、批難し抗うわけでもなかった。息子に会うための方法を考え、自ら穴を掘ることを決意し、実行した。穴を掘るのは一年かかったが、そのために王宮奥に庭を作らせることを願い出て、許可を得てと考えると、完遂まで数年がかりだ。
ジェイナスは、王妃が突飛な行動をするとは知っていたが、数年かけて計画を遂行できる人だとは理解していなかった。彼女の小さな子供のような容姿が、そう思わせないのである。
王妃がドレス姿で公務を行う傍ら、土にまみれて息子に会うための穴を掘っていたなどと、誰が信じるろうか。穴を掘りはじめた時、彼女にそれができると誰が思っただろうか。
ジェイナスは、王宮奥を訪ねた時、何度か土に汚れた王妃の姿に遭遇した。汚れているのは、王太子に会うため庭に穴を掘っているためだと知り、彼女が哀れに思えた。
あんな小さな非力な身体で、王太子宮までの穴が掘れるとは思わなかったからだ。息子と離された悲しみや寂しさ、悔しさを、みっともなく汚れることで、兄王や周囲の者に訴えているのだろう。どうしようもできない気紛らわしならば、そっとしておくべきだと思った。
それは、ジェイナスの全くの勘違いだったが、似たような考えから王妃を見守っていた者は少なくはなかったに違いない。
一年をかけ、王妃はとうとう穴を完成させた。
それを我がことのように喜び、安堵とした者は王宮奥には大勢いただろう。ヴィルフレドの様子に心を痛めていた王太子宮の者達も。
そんな大胆なことをしていながら、王妃は穴が貫通するまで、王に気づかれていないと思っていたというのだから、賢いのか愚かなのかわからない不思議な人である。
ジェイナスは、笑いながらヴィルフレドに言った。
「きっと王妃様は、とっておきのお菓子を出してくれるだろう。でも、僕は甘い物はあまり好きではないから、ヴィルが食べてくれないかな? 王妃様は美味しいって食べてほしいはずだから」
「いいよ。母上は僕とおんなじで、甘い物が大好きだからね」
ヴィルフレドが元気に答える。
ジェイナスは笑顔を取り戻したヴィルフレドと一緒に王妃の居室へと足を進めた。
「王太子殿下、王弟殿下がお越しになりました」
女官が扉を大きく開けた途端、ヴィルフレドは母ナファフィステアを見つけて走り出す。
「母様っ!」
「いらっしゃーーーーい、ヴィルフレド」
黒髪の王妃は、突進してきた我が子を、よいしょと抱え上げた。
ヴィルフレドはとても小さいが、小柄な王妃にとってはもう軽くはない。微笑ましい母子の姿ではあるのだが、重そうな様子の王妃に、周囲の者達は一刻も早く降ろしてほしいと思っているのが本音だった。それほど、非常に不安を誘う姿でもあるのだ。
とはいえ、笑顔で元気な王太子の存在は、室内を明るく活気づかせた。
幼い王太子の本当に嬉しそうな笑顔は、王妃を中心に皆の胸に染みわたる。一年ほど前までは毎日見ることのできた笑顔、明るい声が久々に戻ったのだ。皆が喜び、頬を緩めた。
「んーーーーっ、ほんっとうに可愛いわ、小さな陛下」
「母様が来ないから、来ちゃったよ」
「ありがとう、ヴィル。会いに来てくれてすごく嬉しいわ。ちょうど、お父様も来てるのよ」
「えっ、父上も!?」
「さ、お父様にご挨拶して」
「うんっ」
王妃の腕から飛び降りるようにして離れたヴィルフレドは、ソファに腰を下ろしている王のもとに歩み寄る。そして、礼の姿勢をとり、あまりあるほど元気な声で挨拶を告げた。
「父上っ、お会いできてうれしいです」
「元気そうだな、ヴィルフレド。余も、元気なそなたに会えて満足だ。かけるがよい」
「はいっ」
母にする時のように突っ込んでいかないのは、ヴィルフレドにも父と母を同じにはできないと分かっているからだ。
それでも、王の無表情はいつもに比べると穏やかで、心なしか綻んでいるようにも見える。王もまた王妃の通路が完成し、安堵した一人だった。
「ジェイナスも、一緒に来てくれてありがとう。あら? もしかして、また、身長が伸びた?」
「お元気そうで何よりです、義姉上。それほど変わっていないと思いますが、義姉上が縮んでいるように感じるので、伸びているのかもしれませんね」
「やっぱり大きくなっちゃうのねぇ。残念だわ」
「義姉上は、僕の背が伸びない方がよかったですか?」
「まあね。だって、背が高いと、上を向きすぎて私の顎が疲れるのよ」
「そうでしたか。わかりました。では、義姉上とお話しする時は、腰を屈めておきましょう」
「腰を曲げた男性に相手をされるの、いやだわー。とりあえず、変な姿勢にならなくても話せるように、そこに座ってちょうだいな」
「はい、義姉上」
王の隣に王妃が、反対側にはヴィルフレドとジェイナスが並んで腰を下ろした。
いつもは表情を引き締めている女官リリアも、穏やかな笑みを浮かべて指示を出す。女官達がテーブルに飲み物と王妃とっておきの菓子を運んだ。
王太子は王妃と距離を置くべきという方針に変わりはない。しかし、この場で王が何も言わないということは、王妃の作った通路を使って会うことは黙認するという意味だ。王太子宮、王宮奥に勤める者達が、王妃が穴を掘っていることを外に洩らさなかったというのも、王の黙認に影響したかもしれない。
国王一家は幼いヴィルフレドを中心に明るい団欒を楽しんだ。
話が弾み尽きないところで、王妃ナファフィステアがすっと立ち上がった。
そして、胸を張って口を開く。
「私から重大発表がありまーす」
突然の王妃の言葉に、女官リリアはサッと顔を引きつらせた。
彼女は必死に王妃へと目配せをするが、ナファフィステアは気づかない。そのあからさまな様子は、王妃付き女官としてはあり得ない行動だった。だからこそ、ナファフィステアの発言が、非常にまずい内容であると予告しているのであり。
「義姉上、それは私がうかがっても構わないのでしょうか?」
ジェイナスは王妃に尋ね、止まることを促した。この場でそれができるのは、彼だけだったのだ。
「もちろんよ」
ナファフィステアは大きく頷いた。女官の懸念は、王妃に全くないらしい。
わけのわからない状況だが、ジェイナスはわずかでも時間を稼いだ。女官達に心構える猶予を与えられただろう。女官の杞憂であればいいが、恐らくそうではない。王妃付き女官が、国王もいる場で愚かな行動をとるのだから相当の理由があるはずなのだ。
穴を掘った後、今度は、何を言い出すのか。ジェイナスは王妃の発言に備え、耳を傾けた。
「たぶん、ヴィルに弟か妹ができます!」
王妃の声は弾んでいたが、室内はしんと静まり返った。
「喜んでくれないの!?」
王妃はキョロキョロとジェイナスや王に訴える。
時間が止まったかのような室内の空気を、さすがにおかしいと思ったらしい。
ジェイナスも答えたかったが、言葉が出なかった。
王が王妃の腕を引き、自らの膝に座らせる。
「何よっ、急に。危ないじゃない」
「そなたは…………妊娠しているのか?」
「女医先生には確認してないけど、たぶんね。ヴィルの時と似てる気がするのよねー。あの時は全然気が付かなかったけど」
「そうか」
王の声は低く、ずっしりと重く響いた。
王妃の腰に腕を回して、黒髪に顔を伏せる。王妃を抱きしめ甘えているようにも見える、非常に稀な姿だった。
ナファフィステアの言うように、王妃の妊娠は喜ばしい報告である。
王の子供は何人いてもいい。王の子を増やすため、側近達はいまだに王へ妃を娶るよう進言を繰り返しているくらいなのだ。
王妃が二人目の子を産めば、王の望むように妃を迎える必要もなく、妃が争い王宮内に混乱を招くこともない。王が王妃を特別に扱うのは当然だったと、歴代の王妃のなかでも称賛される存在となる。それほど、王の子を二人産むということは稀有なのだ。
しかし、王は彼女が子を産むことを望んではいなかった。王妃の体格が小さく、出産には向かないためだ。
ヴィルフレドが産まれる日、ジェイナスのもとでも警備が強化され、ひどく緊張した雰囲気に包まれていたことを覚えている。無事に生まれたと聞き喜んだが、その日、王妃は命を落としてもおかしくはなかった。王妃の出産は難しいと王宮医が言っていたのだから、そう思うのも当然だった。
当時の王は、どれほど心を痛めていたか。幸い、ヴィルフレドも王妃も無事だったが。
次も同じ結果になるとは限らない。
「おめでとうございます。義姉上」
ジェイナスは王妃に喜びの言葉を伝えた。
「二人目を身籠るなんて、本当に驚きました」
「ありがとう、ジェイナス」
王妃はにっこりと笑う。その後ろで、王は視線を落としたまま。
最愛の人を失うかもしれない恐怖は、二度目ならば少しは軽くなるのだろうか。
ジェイナスは複雑な思いで笑みを作った。
「僕に弟か妹ができるって、どういうこと?」
ジェイナスの隣で、ヴィルフレドが呟いた。
彼が何も言わなかったのは、意味が分からず戸惑っていたためらしい。
王家や上位貴族家において兄弟とは、母違い、父違いの子供という意味を含む。同父母での兄弟姉妹の方が少ないためだ。
「ジェイナスがヴィルの兄だとしたら、今度はヴィルが新しく生まれてくる弟妹の兄になるのよ。ちゃーんとジェイナスみたいに立派な兄になれるかしら?」
「僕が、兄になる?」
「そうよ。今日だって、ジェイナスと一緒に来たんでしょう? もしヴィルに弟妹ができたら、ジェイナスみたいにここまで連れてこれる?」
「ジェイナスみたいに……。うん、僕も一緒に歩いてあげるよ。母様に会いたくなったら、僕が連れてきてあげる」
「さすがは小さな陛下、頼もしいわ。あてにしてるわね」
「はいっ」
ナファフィステアとヴィルフレドの会話を、ジェイナスはじっと聞いていた。
王弟を王太子の兄のように語り、王太子であるヴィルフレドに弟妹の手を引かせる気でいる。彼女は自らの言葉に何の疑問もいだいていないのだろう。まるで庶民のような家族の姿が、王家にも当てはまるかのような口ぶりだ。
彼女は出産についてもの凄く痛いし苦しいし大変だったのよと笑っていたのに、恐怖はないのだろうか。再び苦しむとわかっているのに、その顔はとても嬉しそうだった。
「どうした、ヴィルフレド?」
ふと顔を上げた王が、静かに尋ねた。
ジェイナスが横を見ると、ヴィルはもじもじそわそわと落ち着きがない。どうしたのかと思っていると。
「僕も……父上、母上のお膝に乗りたいです」
ヴィルフレドは恥ずかしそうに言った。
その様子を見て、ナファフィステアは目を細めた。昨年までの小さなヴィルなら、何も言わずに動いていたに違いない。
「それじゃあ、お母様の膝にいらっしゃーい。そうしたら、父上の膝にも乗れるでしょ?」
「うんっ」
「ジェイナスも来る?」
「いいえ、僕はいいです。僕では義姉上が潰れますし。何なら、義姉上が僕の膝に乗ってみますか?」
「えっ、乗る乗る!」
非常にノリの良い肯定の言葉に、ジェイナスは失敗したと思った。
軽い冗談だったのだ。王妃はきっぱりと否定すべき場面である。義姉がジェイナスを男として見ていない証拠ではあるが、あまりにも軽率な返答だった。しかも、そこに本気が混じっているから、侮れない。
王が無言で王妃の腰を抱えなおし、冷ややかな不満を放っていた。王の腕を逃れられはしないだろうが、王妃は何をしでかすかわからない。
「母様、こっち向きで座ったら、母様のお顔が見えないよ」
「そう? じゃあ、こうかなー」
「ヴィルフレド、一旦、降りてから乗れ。ナファフィステア、少しは自重せぬか」
「ん? ヴィルは身が軽いから大丈夫よ」
「……そなたは……」
ジェイナスはとても仲の良い国王家族を温かく見守った。
先ほどの冗談などすっかり忘れることを期待して。
何はともあれ、王宮奥に賑やかな日が戻ってきた。
国王一家をお守りし心よりお仕えしようと、その場にいた者達は、決意を新たにしたのであった。




