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いつか陛下に愛を 小話集  作者: 朝野りょう


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それぞれの王妃の出産(4)

 王妃の部屋へ続く廊下も、そして執務室も、数時間にわたって重々しい空気が続き、医師フラタスが執務室の控えで門前払いを受けている頃、執務室内では。

 国王陛下が行方不明になっていた。


 もちろん、本当に行方知れずというわけではない。王は少々席を外しているだけである。

 王は少し前まで執務室にいたのだが、王付き騎士を連れて行き先も告げずに部屋を出て行った。おそらくは王宮奥の騒がしいあたりへと出かけて行ったのだろうと誰もが思っていたが、そんなことをわざわざ口に出したりはしない。

 我が子の誕生、そして溺愛する王妃の命が危ういといわれる出産がはじまったと聞けば、王がその場に向かうのもおかしなことではないだろう。歴代の王は執務室にて世継ぎ出産の報を受けるのが過去の慣例だとしても。

 執務室内の人達は、時折、空となっている王の椅子に目を向けてはため息に似た息を吐いた。そうしては、通常とかわらない執務作業を遂行する。みな落ち着かず気もそぞろになりがちではあったが、王の不在にも滞りを感じさせぬよう職務に励んだ。

 世継ぎも、王妃も、全てが無事であることを祈りながら、王の帰りを待って。




 そして、陛下は。

 薄暗い場所にいた。そこは執務室の人達が推測していた通り王妃の部屋の前ではあるのだが。


「全てが終わるまで、ここを開くことはできません。陛下」


 非常に薄暗い通路の行き止まりで騎士カウンゼルは王へ告げた。

 王は秘密通路を使って王妃の寝室までやってきたのである。カウンゼルの背中にあるのが王妃の寝室への出口であり、彼は誰も王妃の部屋へ立ち入らせないよう見張る役であった。

 カウンゼルは王付き騎士だが、ここは王のみが使用する秘密通路であり、かつ、カウンゼルは王妃付き騎士隊との連携役でもあるため騎士ボルグとの話し合いの結果、彼がここを警備することになったのである。


「ここを開けることで室内に塵埃が入り、王妃様や御子のお身体を危険にさらしてしまうと、女医ベリンが言っておりました」


 いつもより小さな声で告げる騎士カウンゼルの言葉を滲ませるように陰鬱な通路には王妃の寝室の音が漏れ響いていた。

 王妃の部屋で指示を出す女医ベリン、答える助手や女官達の声は石壁のせいかくぐもり奇妙にゆがんで聞こえる。そして始終苦しそうな引きつった声をあげているのはおそらく王妃で。

 様々な女性達の声が反響し、狭い通路を一層狭く異様な雰囲気にしていた。


 陛下とともに通路へ入った騎士ラシュエルは黙ってたたずむ陛下の背中を守りながら顔を歪めた。

 王宮医がついているのだから世継ぎは無事に生まれるに違いない。だが、あの小さすぎる王妃の身体では王の世継ぎを無事に産めたとしても産褥を乗り越えられないだろう。そんな噂が、何ヶ月にもわたり王都中に流れていた。

 その噂を王宮内で知らない者はない。当然、騎士ラシュエルも何度も耳にしており、実際に王宮医がそのような内容を話していたのも知っている。ラシュエルは世継ぎの誕生と引き換えに王妃の死は覚悟すべきことと思っていた。

 だが、いくら覚悟していたとしても、あれほど溺愛している王妃が今激痛に苛まれ吐き出す声を、王はどのような気持ちで聞いておられるのか。このままここで聞き続けるのは酷ではないのか。暗いこの空間で王妃が息絶えるのを……。

 不穏な考えを打ちはらうように思わず騎士ラシュエルは口を開いていた。


「陛下、お戻りになられては?」


 ラシュエルは思った。王妃の呻き声が途切れ、女官達の声が悲鳴に変わる前に、早くこの空間を去るべきであると。


 だが、王はその場を動かなかった。言葉を返すこともなく、出口を開かせるわけでも引き返すでもなく、黙っている。

 ラシュエルも、そしてカウンゼルも、無言の王を護ることだけに意識を集中した。彼らにできることは、それしかなかったので。



 王は、じっと石壁の向こうを見つめていた。その目にはゆがんだ女性たちの声はあらぬ幻想を映していた。ベッドでのたうちまわるナファフィステアの苦悶の表情や、彼女を苦しめるための呪文を唱え続ける女性達の姿を。

 もちろん王にもそれが現実ではないことくらいはわかっている。

 室内にいる女医や女官達は信頼に足る者達であり、ナファフィステアが無事出産できるよう手を尽くしているだろうということもわかっている。

 だが、ナファフィステアの命が尽きたなら、彼らに死を命じるだろうともわかっていた。それが彼らにとって理不尽なことであると、わかっていても。


 王妃は死ぬ。それが避けようのない事実であるかのように、人々は口にした。

 その命と引き換えに世継ぎを産むのだから素晴らしい王妃だなどと賞賛する。そんな賞賛が何になるというのか。王妃の命を救えとは誰も言わない。誰もが世継ぎが産まれることを待っているというのに、王妃の犠牲はやむを得ないという。

 そして王妃が死亡すれば王妃の座が空位となるだけでなく一人の妃もいなくなってしまうとして、後宮を開く準備が整えられ、先日幾人かの妃候補が決まった。あくまで候補であったが、ナファフィステアの死後に後宮へ入る仕度が整えられている。

 そして出産後に行なわれるはずのナファフィステアの正式な王妃披露の話は遅々として進まない。ナファフィステアは王宮奥で元気に過ごしているというのに。

 それを当然と考える己がいるのと同時に、理解できないと抵抗する自己もあり、毎日が苛立ち気が急いた。

 その苛立ちを打ち消そうとするように王は王妃の元へと足を運んだ。そこに行けば、楽になれるからだ。


 訪れればナファフィステアは非常に元気に足がだるい腰が重いと悪態をつき、口をゆがめてふてくされたり、子供がお腹の中で動いただの蹴っただのと楽しそうな何ともいえない表情を浮かべた。毎日が忙しく騒がしく。そこには静謐さも、優美さもなかったが、死の影などどこにもなかった。噂など真実ではないと確信するほどに。

 女官達には王妃のわずかの変化にも目を光らせる緊張があったが、室内の雰囲気を変化させるほどではない。

 それをナファフィステアが感じとっていたのかどうか。わかっていたのか、わからないままだったのか。

 見上げてくる艶やかな黒い瞳からは出産への恐れを感じることはなかった。だが、彼女自身、多くのことをしゃべるが大概がどうでもいいことばかりで、自分の不安を口にはしない。不安がないはずはないだろうに。どうやらそれがナファフィステアの性質であるらしい。

 ナファフィステアに不安があるなら口にしろと腹立たしく思ったこともあったが、聞きたくはなかった。

 彼女の周囲にはもうすぐ子が産まれて忙しくなるという明るい未来だけを感じさせる空気があり、それが壊れてしまうことを恐れたのである。

 ナファフィステアだけは噂を完全に否定する存在であり、日々の噂の鬱屈を消し去る唯一の存在だった。失うことなど、考えられない。


 そのナファフィステアを、失う。

 失った後、どうするか。どうなるのか。

 それについて王は冷静に判断を下していた。

 執務においてだけでなく、内心においても。彼女を失えば大きな痛みと喪失感が己を襲い、今と同じではいられないのだろうと。



 そうして迎えた出産が始まるとの報せに、冷静な判断を下したはずだったが。いつの間にか秘密通路に来ていた。王は執務室で世継ぎの誕生の報告を受けるものであり、こんなところへくるべきではない。

 騎士ラシュエルの言葉の通り、執務室に戻り皆を安心させるのが王の正しいありようだ。

 そう判断を下したのだが、身体は動かなかった。動けなかった。

 そこにそうして立っていても何もならないと知っていながら、そうしている己を滑稽だと思いながら、王はその場でナファフィステアの声を聞いていた。

 近くにいればナファフィステアを助けられるのではないかという思いを、彼女を失いたくないという思いが、王を縛り付け動けなくさせていた。



 そうして重苦しい時間が流れ。

 狭い通路に、赤ん坊の泣き声が響いた。

 おめでとうございますと告げる声に、騎士ラシュエルも騎士カウンゼルもほっとした。世継ぎの誕生に喜びが湧いてくる。その喜びを王妃に伝えている壁向こうの女官達の声に、二人も陛下へと口を開こうとしたが。

 しかし、陛下は表情を変えずただ壁に目を向けたままであり、二人は口をつぐんだ。

 女官達に返す王妃の言葉はとても弱々しく小さな声だった。女医の声にもまだ緊張感があり、女官達の声も殊更明るく努めているらしいと気づいたのである。


 王宮医長達が王妃の部屋へ入り女官達に追い出されるまでの一連の顛末に苦い顔をした騎士達へ王は短く告げた。


「戻る」

「はっ」


 王は踵を返し、足を踏み出した。

 騎士カウンゼルが見送る中、騎士ラシュエルも王に続く。

 薄暗い通路に二人の靴音が響き、女性達の声はすぐに聞こえなくなった。


『陛下に似た英知と、妃の図々しさを兼ね備えたたくましいお子がお生まれになります。そして、ナファフィステア妃は陛下の隣に居続けるでしょう。何度も陛下のご不興をかいながら』


 通路を歩く王の脳裏には最後にあった時のトルーセンスの言葉が蘇っていた。トルーセンスが実現しない嘘をついたことは一度もない。必ず現実にしてみせた。トルーセンスがもうこの世にいないとしても、ナファフィステアを嫌っていたとしても、それは変わらない事実。


 暗い通路を抜けると、王はいつもの己に戻っていることを自覚した。それは少し前まで己が危うかったという意味でもあり。トルーセンスが彼女を己から遠ざけたがった理由はこれだったか。ナファフィステアを失う恐怖が己を危うくする。宰相としてそれはさぞ許せないことだっただろう。

 王はわずかに笑った。


「だが、あれが王妃だ」


 宰相に対してだったのか、己に対してだったのか。

 ひとりごちた王は、執務室へと足を向けた。




 執務室では、いつもの威圧感漂う無表情な王の帰りにほっと安堵の空気が流れた。


「陛下、こちらの書類を」


 王の不在などなかったかのように執務室の人々は振る舞った。いや、彼らの表情には喜びが溢れてしまっていたかもしれない。王は何も言わないが、こうして戻ってきたからには世継ぎも王妃も無事だったのだと思ったのである。

 が。

 ほどなく世継ぎ誕生の知らせが届くのだが、王妃の体調は思わしくなく面会できるという報告はそれから何時間も後のことで。

 祝うに祝えない状態の中で王が徐々に苛立ちを露わにし、執務室内はコンッとインク壺にペン先があたったわずかな音にも一斉に非難が集中するほどの緊張感と重々しさに神経をすり減らす数時間を過ごすことになるのであった。


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