それぞれの王妃の出産(3)
複数話投稿です。お気をつけください。
ほどなく妃ナファフィステアの妊娠を発表し、王妃となることが決定した。宰相は速やかに王宮を去る手はずを完了させ、ナファフィステア妃お気に入りの庭園を訪ねた。
そして。
「もしも危ないと思ったら、私ではなく必ず子供の命を優先して」
宰相トルーセンスにナファフィステア妃はそう告げた。
トルーセンスにとっては、いや、彼以外の誰にとっても当然のことを、妃は真剣な顔で頼んでいる。その身をほんのりと緑に輝かせながら、妃の言葉には言外に何か意味が含まれているのかと戸惑うほどの真剣さで。
宰相はナファフィステア妃の様子をうかがった。強い日差しの影で、髪と同じく黒々とした瞳が宰相を見つめ返してくる。頭の大きな幼い容姿からはその腹に子を孕んでいるとは思えないほど。
しかし、その顔には子供らしい愛らしさも弱々しさなさもなく傲慢さすら感じさせる表情を浮かべていた。
王が大事な世継ぎではなく妃の命を優先するとでも思ったのか。なんと思い上がった愚かな娘か。出産経験もなく出産に関する知識も満足にないがゆえにか、小さすぎる身体でも産めるのだと言い切る無知な娘。
王家の守護者ではなく王家の守護者の選んだ娘であると知ってもなお、宰相トルーセンスにはこの目の前の娘が王妃にふさわしいとは思えなかった。なぜこの娘なのかという憤りの方が未だ強く、娘の言葉に抵抗を感じていた。
彼女が頼みごとをしている相手こそが、王の寵愛を受けながら王を理解しようとしないこの醜い小さな妃が世継ぎの誕生と引き換えに命を落とせばよいと思っていると知れば、この妃はどう反応するのか。口にした提案の内容を変えるか、それとも……。
そんなことを考え、宰相トルーセンスは返事をしようとしたが。
彼の目端に背後から妃を心配そうに見守る侍女の姿が映った。周囲には妃を守る騎士達の姿もある。彼らは王妃付きとなることが決定していた。庶民出身者が王妃付き騎士隊のトップとなることで、騎士団内も変わっていく。その変化は、よどんだ王宮内に変化をもたらすことになるに違いなく。
新しい時代への変化はもうはじまっている。衰退や現状維持ではなく、繁栄への道を模索してきた自身の王宮職務の成果が花開こうとしているのであり、それは実に満足のいくことだった。目の前の妃を除いては。
宰相トルーセンスの返した言葉は、ナファフィステア妃に了承を伝えたのみだった。
そして宰相トルーセンスはナファフィステア妃のもとを辞してすぐ、女医ベリンを呼び出した。
「ナファフィステア妃は、出産時もしもの事があれば子の命を優先してほしいと王には内密に私へ託された」
「宰相様、それは……」
「女医ベリン、お世継ぎの出産に乗じてナファフィステア妃を亡き者にせんと謀る者が、必ず現れる。それらから妃を守り、医術のすべてをかけても妃とお子の命のどちらかを選ばねばならない場合にのみ妃の言葉を遂行せよ」
世継ぎの誕生を国中で喜んでいるが、王妃は体格が小さすぎて出産に耐えられないだろうとの噂は蔓延している。世継ぎ誕生の際に王妃ナファフィステアが死亡することを望む者がいるだろうことは、女医ベリンにも十分すぎるほど理解していた。王宮医部内を知っていればなおのこと。
「もちろんです、宰相様。私は現在の医術において出産時に母体を大事にしなさすぎると常々思っておりましたので。必ずや最善を尽くすと誓います」
女医ベリンははっきりと答えた。
その誓いは王宮医部内だけでなく上位貴族家からも睨まれ、自分に命の危険が及ぶことも承知の上であるとベリンの表情が語っている。彼女の瞳には緊張と闘志と医師としてのプライドがみなぎっていた。ここにも、変えられなかった王宮医部内に違う風を吹き込む人物が。
「頼んだぞ」
「はい、宰相様」
トルーセンスは彼女に全てを託した。女医ベリンにそう託しながらも妃の死を望んでいる自身を自覚しつつ、結果を知ることなくこの世を去るだろう我が身を歯がゆくも安堵しながら。
宰相トルーセンスがナファフィステア妃、女医ベリンと行った会話のやりとりを直接ではなく知り得た事務官吏ユーロウスは、宰相の言葉を素直に受け取りはしなかったが。
「ナファフィステアに会ったのであろう? 数ヶ月後には、余の子の顔が見られるぞ。ずいぶんと長く待ち望んでおったのだ、そなたにも会わせてやろう。見にくるがよい」
王宮を去ろうと廊下を歩いている宰相に、王が声をかけた。
もちろん王は偶然通りかかったのではない。父王の時代から宰相として采配をふるい、父王の急死により突然王位についた王を支えてきた宰相へ別れを告げるためである。病の色濃い宰相に、おそらく次に会う機会はないだろうと知りながら。
「数ヶ月の後には、陛下のお子がお生まれに……。王宮は、賑やかになりましょうな。ナファフィステア妃の祖国では一人の女性が何人も子を産むのは普通と耳にしました。ゆくゆくは同腹の兄弟殿下誕生もあるやもしれませぬ」
トルーセンスの言葉に王は顔をしかめた。王宮医長からナファフィステアの身体では出産に耐えられない可能性が高いと聞き、彼女にもう子を産ませる気はなかったからである。
「……アレには……」
むっつりと言葉をとぎらせ、王はほんのわずかに表情を強張らせた。その表情に宰相は、王の心中を慮った。幼少時に父母と離れて暮らし、十代には母王妃を亡くした。二十代半ばで父王を亡くし、次は溺愛している妃を失うかもしれないのだ。妃の身体は出産に耐えられないという噂は妃よりも王の心を深く傷つけているようだった。
なぜあの娘なのか。なぜあの醜い娘でなければならないのか。何百回、何千回と繰り返した疑問がトルーセンスの内に沸き起こる。
それと同時に若かりし頃の自分や、前王の出産前のことを思い出した。三十年近く前のことが、ついこの前のことのように鮮やかに脳裏をよぎる。
自らの息子が生まれる時の慌てぶりを後で妻におかしかったと告げられたこと、前王妃が妊娠したとわかった時はよりによって国内五指に入る上位貴族家の娘かとその背後を煩わしく思ったこと。現王が誕生した時には王宮中が沸き返り、その日の陛下はいつもより饒舌であったことなどを、懐かしく、遠く。
そうして思い至る。
次代の王の誕生を目前にしながら自身の命は尽きようとしているが、妃の内から放たれる緑の光は次代の王の誕生を確約してくれているのだということに。それがどんなに醜い妃だとしても、何ものにも変えがたい確約であり、未来へも王家の守護が続いていく、我が国はこれからも長く続いていくという証なのだ。王妃にのぞむものに、その証以上のものがあるだろうか。ひどい容姿も性格も些細なことではないか。
宰相は口元を緩めた。そして、めずらしく王の言葉を待たずに口を開く。
「ナファフィステア妃は陛下の子を産めると断言なさいました。噂もご存知で、それでも産めるのだと自信満々におっしゃいました。ナファフィステア妃はその言葉通りに実現なさるでしょう」
「珍しいな、トルーセンス。根拠もないアレの言葉にお前が同意するとは」
「陛下……根拠がないわけではありませぬ。陛下に似た英知と、妃の図太さを兼ね備えたたくましいお子がお生まれになります。そして、ナファフィステア妃は陛下の隣に居続けるでしょう。何度も陛下のご不興をかいながら」
王はいつもとは違う宰相に戸惑いを感じていた。
宰相がナファフィステアを妃にふさわしくないと思っていたのをよく知っていたのだから。
「王家の守護者がそう私に教えてくれました」
そう言ってわずかに笑みを浮かべる宰相の姿は、少し前の執務室での姿とは異なり老いと病を色濃く滲ませていた。
「そうか……王家の守護者が教えた、か。……余は、アレに苛々させられるのだな。これから、何度も」
「はい。何度も」
「そうか…………面白い、未来だ」
トルーセンスはこの数十日の後、この世を去った。
そして事務官吏ユーロウスの元には極秘裏にナファフィステア妃暗殺に関わる情報が届けられた。おそらくは宰相トルーセンスから。
宰相が交代し、ナファフィステアが王妃となり、王宮医部は執務室と王妃へ誤診を防ぐためにも女医ベリンだけでなく他の王宮医も王妃の担当医としたい旨を伝えた。が、もちろん王妃が首を縦にふることはなく。事務官吏ユーロウスは王宮医部へ猛抗議を返した。
妊娠という精神的不安定な時期に他の王宮医に王妃を担当させるなど論外である。王宮医長を含め王宮医部は女医ベリンを全面的にサポートするべきであり、担当医をもう一人などという次元の話ではない、と。
王妃は悪阻で具合の悪い時期は過ぎたものの機嫌の悪い時も多く、その影響による王の不機嫌は執務室を直撃しており、王宮医部の要望は王に届くことなく却下された。
こうした経緯があり、事務官吏ユーロウスは騎士ボルグや侍女リリアに王宮医に対しては決して油断しないよう、特に王妃の出産時が危険であると何度となく伝えていた。
そのため、王宮内における王宮医部の信頼は決して低くはないのだが、侍女リリアや騎士ボルグなど王妃付きの者は信頼ではなく警戒の目を向け続けた。侍女リリアがそうであれば詳細を知らずとも女官達も王宮医を警戒し、騎士ボルグの王宮医への鋭い視線が王妃付き騎士隊達に警戒を促した。彼等は、王に忠誠を誓っていてもそれが必ずしも王妃の命を守るという意味にはならないことを知っていたので。
執務室へ訴えに行った医師フラタスはさほど時間を置くことなく戻ってきた。ノロノロとした足取りで俯き加減の暗い表情が語らずとも結果を物語っており、王宮医長を歯ぎしりさせることとなった。
執務室の取り継ぎ所にて王妃付き騎士達の行動を訴えた医師フラタスは非常に冷ややかな対応を受けたのである。王妃の元へ女医ベリンが入ったのはずいぶん前のこと、今頃やってきて何を言っているのか、と。王妃はもとより女医ベリンの信頼すら得られていないとは、この数ヶ月間一体何をしていたのかと逆に叱責される始末で。医師フラタスはすごすごと戻るしかなかった。
冷たい対応をした執務室では、実は王が姿を消しており、その焦りや苛立ちが医師フラタスに向けられたのであり。フラタスは運が悪かったのではある。




