陛下視点◆お試しの日◆
前話のサイドBです
今日は午後は早くに執務を終え、王宮奥で休みを取る予定だった。
今日、明日とナファフィステアが予定を空けるようにと官吏に指示していたため、何かしらしでかすつもりであろうことは予想していたのだが。
昨日までにナファフィステアが侍女達を通じて内緒で水袋や火打石を購入したことも調べがついていた。
どこかへ出るつもりか。
ナファフィステアの身辺には昼夜を問わず厳しい警護をしき、片時も目を離さぬようにと指示を出した。騎士達には緊張が走っていたが、彼女は何も知ることはない。
そうして今朝、妃付きの事務官吏ユーロウスから『ナファフィステア妃は独り暮らしのお試しをする予定』との報告を受けた。が、彼が何を伝えようとしているのかさっぱり要領を得なかった。報告した事務官吏にも具体的にどのような事なのかはわかっていなかったようだ。
彼女が王宮の外に出るわけではないという報告だったので、そのまま様子を見させることにした。
そうして執務を終えた後、ナファフィステアがいるという王宮奥の庭にやって来てみれば。
子供の遊びか?と思われる様な状況がそこにあった。
彼女を陰ながら見守っている女官から、ナファフィステア妃は魚を釣りあげ大層喜んでおられましたと報告を受け、何が言えるだろう。
彼女は庭の木々が密集している場所で、しゃがみ込んでいる。その背後には、大きくしならせた木の枝から布を垂らし、その上に枝葉を飾り、緑に覆われた狭く閉じた空間を造り出していた。女官の説明では、あの中に古シーツを持ちこんでいるらしく、どうやらナファフィステアが休むための場所のようだ。
しかし。
あんなに木の枝に隠れるような暗い場所を作っていれば、彼女の大嫌いな生物が住処にしようとやってくるはずであり。
そんな中で彼女が休めるとも思えない。
一体、何がしたいんだ?
彼女にとっては、これが遊びのつもりなのか?
貴族娘達に好まれる趣味の数々は、彼女の好みではないらしく挑戦しようともしないとは妃付き女官達の話である。
隠れ家を作り、魚を取り、それを焼くというのは、子供にはままある遊びではあるのだが。この年頃の娘のすることではない。
まして彼女は見た目ほど子供ではないのだ。無邪気に遊んでいるとは考えにくい……だろう。断言はできないが。
それに彼女の言う、独り暮らしのお試し、という言葉がまた癪に障る。
王宮内での暮らしに不満があるとでもいうのか。
王宮を出て独りで暮らしたいなどと思っているというのか。
苛立つ感情を抑えることなくナファフィステアのそばへと歩み寄った。
ナファフィステアは近寄る足音にも気付かないとわかり、ふと足を止めた。彼女は真剣な眼差しで周囲のことなど目に入らないほど集中しているようなのだ。
すこし距離を置き、その様子を眺めると。彼女は火打石を手にしていた。事前に準備していたのだから、これを使うのが目的の一つでもあったのだろう。
石を当てる音が繰り返され、ナファフィステアはその手元に目を凝らしていた。
傍らに置いた小さな魚を焼こうとしているらしい。
しかし、侍女達や警護の騎士達、そして庭師などが遠巻きに彼女を見守っていた。今日は乾燥しているため煽られた火が彼女のドレスに燃え移っては危険だからだ。
そうしてじっと見守っていたが。
いつまで待っても火がつく気配はなかった。
彼女は火打石を打ったことがないらしい。
打ちつける弱々しい石の音に、誰もが気付いているはずだ。この調子では、火がつく時は永遠にやってこないと。
ナファフィステアが諦めかけた頃、声をかけた。これは火打石じゃないみたいだと言う彼女の手から石を取り上げる。
軽く打ちつけただけで火花が散る。それは、ごく普通の火打石だった。
彼女の不可解な行動に苛立っていたが。
火をつけることもできずに気落ちした彼女の姿には、薄暗い喜びを覚えた。
彼女は一人では何もできない。
ここから出ては生きてはいけない。
それをナファフィステアは思い知ったはずだ、と。
そう、思ったのだ。
ナファフィステアは、何もできなければいい。
そう思うのだが。
彼女にすごいと驚かれれば、私にも教えてとせがまれれば、普段あまり出さない彼女の甘えた仕草に心が緩む。
彼女が興味津々で火打石の使い方を知りたがる様子は見た目も相まって子供っぽさを強調する。何とか教えてもらおうと説得するために膨れてみせたり、強請る言い方をしてみたり。ちらちらと顔を覗き込んでくる様は可愛いらしく。頼りにされるというのも、すこぶる気分がよく。
つい、彼女の説得に負け、教えてしまった。
ぞんざいな説明しかしなかったのだが、彼女は見よう見真似で小さな手を動かした。
こんな風?とこちらをうかがいながら実践して見せるのも、微笑ましい。
出来た時の自慢げな笑顔が真っ先に向けられるのは、素直に嬉しかった。
しかし。
ナファフィステアのこれは、遊びのための行動ではない。生活するために自分に何が足りないのか、何ができないのか、それを知るため、なのだろう。
今すぐというわけではなくとも、彼女の中には王宮外での生活が頭にあるのだ。
だが、今回の体験で今すぐにここを出ることはしないだろう。彼女は独りで暮らすことができないと実感しただろうからだ。
そんな事には思い至るというのに、彼女は王宮を出た途端、物取りに襲われることや貴族達に指示された者に命を狙われるといったことには無頓着だ。
そちらの方がよほど直近の危険であるにもかかわらず、彼女は身を守る術を習得しようとしない。小型の刃物など武器の携帯を思いもしないらしい。
ナファフィステアが外に出たいと思わないように、外の危険を思い知らせてやりたい。どれほど彼女にとって危険であるかということを。
しかし、厳重な警戒の中、彼女の身を脅かすような危険は彼女の目にも耳にも届くことはない。
騎士達を信頼しているのであり、彼等が自分を害することはないと知っているのだ。四六時中、彼女のそばに控えているのだから、慣れてもいるのだろう。
彼等とは違い、余が彼女と接する時間は少ない。彼女が何を考えているのか、わかることの方が少ない。
だが、時折、ナファフィステアを抱き抱えていると、眠くもないのに彼女が首元に顔を埋めるようにしがみつくことがある。それは、彼女が現実から目をそらしたい時ではないかと思っている。
今日もまた、遊び終えた庭を後にする時、彼女は腕の中で顔を埋めていた。不貞腐れたような顔でぎゅっとしがみつく様は、頼られているようで気が高ぶる。
甘えていることを彼女は自覚しているのだろうか。無意識だとしても、それは甘美な感情を生んだ。肩にのばされた彼女の細い腕が、縋り付き小さく握られた拳が、嗜虐心を煽る。あやうく彼女を潰してしまいそうになるほどに。
力を込めないよう注意しながらその背を撫でると、ナファフィステアは全身から力を抜き、くったりと身体を預けてきた。彼女の気分が落ちついてきたのだろう。
彼女が何に恐れを抱いているのかはわからない。彼女に尋ねても、何でもないと答えるだけだ。
不安を取り除き守ってやりたいと思いながら。腕の中にいるならば守ってやるとも思う。目の前に不安を突き付けて、だから何処にも行くなと怯えさせてでも。
濁った感情を察することなく、彼女は顔を上げた。不安を打ち消し、前を見つめようとしているようだった。
彼女を抱いて、食事の間へと向かった。
ナファフィステアを独りになどするものか。何重にも手は打ってあるのだから。
~The End~




