侍女リリア視点(10)◆妃様付き女官の試練◆
「今日はアドナン様に声をかけられたの」
「えっ。どこで?」
「西の回廊でね。また会いたいって言われたわ」
「うそっ。いいなぁ」
「あなたも確かリズロット様に話かけられてたわよね。二人とも、羨ましい……」
女官達がかしましくお喋りに話を咲かせているこの場所は、王宮西で働く上級の女官が休憩などで時間をつぶしたり集まったりなどに利用する部屋で、今は十人程がいた。
貴族男性に声をかけられたと話しているのは、待合室を担当している女官達で、私とは少し離れた場所のテーブルを囲んでいる。
アドナン様とかリズロット様とか名前呼びしているけれど、それは内輪でのこと。
外ではきちんと姓を呼んでいる、はず。
でも、恋人だから名前を呼ぶことを許されてるの、という主張をしたい場合もたまにあるらしい。
当然、名前呼びされる男性方はそれなりに知名度がある貴族男性に限られるわけで。
彼女達の声には優越感が現れており、部屋の誰にでも聞いて欲しいのだろう。自慢げな彼女達は、チラリと笑みを浮かべて室内を流し見ていた。
かわいそうね、と。
私達妃様付き女官が可哀想かどうかは別として、確かに彼女達に比べると独身貴族男性と知り合う機会はぐんと減る。ほとんどの時間を王宮奥で過ごすため彼女達の口にのぼるような人気貴族男性達と接する機会はあまりない。本来なら多数の機会にめぐまれるはずの職にもかかわらず。
陛下によって王宮奥へ立ち入れる男性は厳選されているために、出会いといえば騎士か事務官という職場結婚一直線コース。
すでにカップルが二組できあがっていた。
もちろん私ではない。
それに引き換え待合室関係の担当女官達は華やかだった。その分、スキャンダルも数知れず。危険と機会は紙一重とでも言わんばかりに貪欲に突き進む女性が多く。ひっきりなしに女官が入れ替わっている部署だった。
私の勤め先は、案外、穏やかなのかもしれない。私はテーブルの木目の傷をぼんやりと見つめた。
「どうしたの、リリア? 妙に遠い目になってるわよ」
声をかけてきたのは、私の前に座っている仕事仲間のラミーだった。
心配しているのか小声で探るように。
私は顔を上げ、小さく微笑み返した。
「妃様付き奥の勤めは、派手ではないけど。穏やかでいいわよね」
私はカップを口に運びながらしみじみと呟いた。
ラミーは一瞬目を見開き、顔を引きつらせた。
「何言ってるの? 穏やかさの欠片もないこの状況で」
ラミーの言う、この状況とは、私達がここにこうしている現状のことであり別に忘れていたわけではない。
いつもなら妃様のもとでお世話しているはずの時間にこうして待機しているのは、現在妃様が陛下の部屋で過ごされているから。
先日、妃様は王弟殿下の屋敷を訪問された。陛下の許可なく。
もちろん妃様は無断で王宮を出られたわけではない。
ちょっと王弟殿下のところへ行ってきます、と陛下に要望書を提出してから出発された。その要望書が陛下の元に届くのを遅らせる小細工と、返事を待たずに王宮を出られただけのこと。
だけ、と妃様は思っておられるけれど。
誰も妃様の意見に同意できるはずはない。
前日の陛下に腹を立てた妃様は、最近親しくされている王弟殿下のところに愚痴りに行きたかっただけ。
そんなことを、一体誰が予想できただろう。
あの日は何がどうなるのか、先のことがまるで予想できない一日だった。妃様があまりに自由に動かれたので。普段はのんびりと子供っぽい様子なだけに、妃様に隙をついた行動ができると考えたこともなかった。
失礼ながら私は妃様のことを侮っていたのだと思う。
当然、勝手な行動をなさった妃様は陛下のお怒りをかい、陛下は妃様を自室に閉じ込めてしまわれた。妃様を遠ざけるのでも、処罰を与えるのでもなく。
そうして妃様は陛下の部屋で過ごされているため、私達妃様付き女官は交代で一人就くことになった。陛下付き女官の邪魔にならないよう気を使いながら。
なので今は、妃様の部屋に一人、陛下の部屋に一人と、合計二人しか勤務の必要がない。
私達は順番に休みを取ることにした。
それはいいことだったけれど。
陛下の部屋で働くのには、ちょっとした、いや、かなりの精神的苦痛があった。
陛下付き女官達は、ここでお喋りに興じている待合室担当女官のレベルではない。
後ろ盾のしっかりした年配者が多く、技術的にも最上級者の猛者ばかり。
こちらの意をくみ、それ相応に私達が動きやすいよう、妃様が過ごしやすいよう配慮が行き届いていることからもその手腕は容易に感じ取れる。
そこでは、妃様付き女官の仕事ぶりを観察する彼女達の厳しい目が突き刺さってくる。
妃様のお世話をしながら、まるで試験をうけているかのようで。
少しでも失敗したと思う時は、ばれてないことを心底祈りながら辺りを見る。妃様に気付かれることはまずない。
が、陛下付き女官達の誰かには必ず目撃されており、後でやんわりと指摘される。
ズバッときつく叱られる方がまだいい。やわらかい物言いで、冷やりじんわり内臓を締め付けてくる感がある。
本当に、胃が軋む。
こんな状況で、穏やかだなんて発言をしたのだからラミーが顔を引きつらせたのだろう。
でも、失敗しなければいいのだから、もうすぐ慣れて穏やかになる、と思った。
思いたかった。
そう信じたい。切実に。
あの発言は、私の願望からきたものだったのかもしれない。
現実から逃避しそうになるほど、私は陛下の部屋での担当時間を前に神経を尖らせていた。
同じ部屋で明るく喋っている女官達が華やかで楽しそうで、別世界にいるように見える。同じ王宮勤めなのに。
私が見ていることに彼女達も気付いたらしい。
「あの妃様ではね。せっかく王宮奥勤めだったのに、華やぎもなく首になるかもしれないなんて。気の毒に」
「ほんとね」
ちっとも気の毒がってない口調で私とラミーを見ていた。私が羨ましそうな顔をしていたから彼女達は誤解したのだろう。
彼女達の考えは、私達とは全く違う。
私達は職場を失う恐れはこれっぽっちも感じてはいなかった。
陛下が自室に妃様を閉じ込めてらっしゃることを彼女達は知らないのだ。王宮奥の事は簡単には漏れないので。
そんな私達の思いを知らず、華やかな彼女達はなおもお喋りを続けていた。
「黒髪の妃様が王宮を去るとしたら、誰が入って来られるのかしら」
「シュレイヤー卿が娘を押しているらしいわ。まだ十三歳で妃様くらい小さいから」
「今は後宮がないから無理じゃない? 十三歳では女官にはなれないわ」
「どうやって王宮入りするかは知らないけど。陛下付き女官にしたいらしいわね」
「エラナバル卿も、最近人事の方へ何度も訪れているみたい。誰か王宮に入れるつもりかも」
「それ、リズロット様からの情報?」
「ち、違うわよ」
彼女達はひとしきり噂話に盛りあがってから部屋を出ていった。
部屋には私達二人だけとなり、室内は静けさを取り戻した。
しばらくすれば、また誰かがやってくるだろうけれど。
「彼女達は情報通だわね。王宮に誰が入ってくるかを予想できるなんて」
私も本当にそう思う。
ラミーの言葉に私も頷いた。
お陰で色々な話が耳にできて助かる。
もちろん、ただの噂に過ぎないのはわかっているけれど。
アドナン様とリズロット様というのは、なかなかのモテ男だ。
ドーリンガー卿ほどではないにしても、それなりの地位があり愛想のよいハンサムな独身男性なので女性には人気がある。
女官に近付く男性の大半は軽い遊びらしいけれど、それにとどまらない人がいる。
実は私もアドナン様から声をかけられた。
一瞬、眉神!と思ったけど。
細眉だけど形や太さが違っていて、私に笑いは降りてこなかった。
今のところ、笑いの神は、ドーリンガー卿の眉だけ。
あれほど完璧な眉神は、そうそういないらしい。
それは私にとっては安堵できる事実だった。
眉神があちこちに出没したら、私はきっと笑い狂ってしまうと思うから。
それこそ、即刻首になってしまう。
眉はいいとして。
アドナン様は、妃に仕えるのは大変だねと声をかけてきた。首になるようなら、いつでも助けになるから、と優しく語りかけ。
私も今は暇があるものだからゆっくり歩いており、その隣に並ばれては無碍にもできず。
そのうち、陛下は妃様のどこが気に入られたのだろうか、という話になった。
私は肯定も否定もせず曖昧にしたまま、仕事がありますからと告げ、この部屋に来たのだけれど。
アドナン様は妃様付き女官達が暇で部屋への通路を通る時間なども前もって誰かから聞き出していたのだろう。例えば、声をかけられたという先程の待合室担当女官とかから。
俄然、周囲が騒がしくなってきた気がする。
また声をかけてくるとしたら面倒なことになるかもしれない。なんだか気が重い。
そう考え込んでいると。
「私、リオネルト卿の子息に話しかけられたわ」
ぽつりとラミーが小さな声で呟いた。
えっ?と顔を見ると、困ったような顔をしていた。
嬉しそうでは、ない。
リオネルト卿の子息ってどんな人だったろうかと思い出そうとしたけど、出てこない。妃様に面会したことがあれば覚えているはずだから、おそらく王宮奥には入ったことがない人だろう。
「そう、なの?」
「最初の時は、陛下と妃様は仲がよくて羨ましいねって軽い言葉を交わすだけだったけど……。昨日、どのくらいの頻度で陛下に会っているのかって訊かれて」
何度も会っているらしい。
沈んだ様子から察するに、ラミーは好意をもっていたのかもしれない。でも、彼は情報が欲しいだけの接触だった、と。
残念だけれど、そういうことは多いと話に聞く。
励ますこともできず、ラミーに先を促した。
「それで? 何て、答えたの?」
「つい……。妃様の黒髪は艶艶しているからブラッシングがとても楽しいって言ってしまったわ」
「……そう」
妃様付き女官が、普通に答えるはずはなかった。
ラミーはうっかり妃様のことを喋ってしまった事に気落ちしているだけだった。
その答えを聞いた人はどんな顔をしたか知りたかったけど、尋ねはしなかった。
きっとラミーの記憶には残っていない。
ラミーは妃様の髪をセットするのが得意で、ほぼ毎日担当している。あの黒髪は頑固なまでの直毛で、セットするのは難しいというのに。ラミーは妃様の黒髪に並々ならぬ興味を抱いているらしい。
妃様の黒髪が艶々しているのは、誰が見てもわかることだから口にしても全く問題にならないと思う。
私はそう彼女を慰めた。
ラミーは言ってすっきりしたのか、気を持ち直した。
明るくなったところで、私はさっきの女官達が話していたことを思い返し、何気なく口にした。
「陛下付き女官に社交デビューもまだな貴族の娘が配属されたりするのかしら」
「陛下付き女官達の中でやっていけるなら、子供でも構わないんじゃないの?」
あの陛下付き女官達の監視下で……。
思い出しただけで寒気がする。
「あの中では、厳しいでしょうね」
私達は互いに顔を見合わせて溜め息をついた。あの厳しい環境へ行く時間が刻々と迫るのを感じながら。
私は時間より少し早く陛下の部屋へと向かった。
前の担当の仕事仲間と情報を引き継いだ後、陛下の部屋をノックする。
緊張は最高潮に達していて。
今日は大丈夫、と自分に言い聞かせているうちにドアが開き、さり気なさを装った視線が私に集中した。
全身のチェックをうけ、視線が離れていく。
入室審査は合格らしい。
緊張を少しだけ緩めて部屋に足を踏み入れれば、そこには自室と変わらずソファで寝転ぶ妃様の姿があった。
陛下の怒りをも受け止める妃様は、当然、陛下付き女官達の視線を物ともせず。
自室と変わることなく、くつろいでおられた。
私が陛下の部屋に入ってしばらく後に陛下が戻っていらした。
今日は特別早くお帰りらしい。
部屋中に緊張が走ったような気がする。
でも、それは私だけなのだろう。
陛下のいらっしゃる時間帯で失敗したら、冷たい視線の集中砲火を受けるはめになるから。
私は気を引き締めた。
顔が歪んでいませんように。
「お疲れ様ぁ」
のんびりと妃様が陛下に声をかける。
ソファで上体を起こすけど、陛下のそばに行こうとはしない。
陛下の気分を和らげるとか、反省していますといった素振りはどこにも見あたらず。
どうして陛下の部屋から出られないか、わかってらっしゃいます?
と、尋ねたくなる。
「まだこの部屋から出ては駄目なの? 動かないと身体に悪いと思う。庭に出たら駄目?すぐそこでいいから」
「駄目だ」
「えぇーっ。ずっと陛下の部屋で過ごしているのよ? もう外に出たいわっ!」
妃様は、ソファでぶらぶらと足をゆらして拗ねるように唇を尖らせている。
と、突然、飛び降りた。
「散歩って気分転換にちょうどいいと思わない? ねっ、行きましょうよ?」
妃様はたたっと陛下に駆け寄り、左腕をがしっと両腕で抱き込んだ。
陛下の腕を揺すって真上を見上げる妃様。
陛下に、散歩しよう、と誘ってらっしゃるんですね。
相変わらず、目も当てられないほどお子様な挙動に、がくーっと私の肩が落ちた。
陛下付き女官達はどう思っているだろうと恐る恐る見回してみれば。
意外や意外。
みんな笑みを浮かべてお二人を見ていた。
妃様は、立ったまま無言な陛下の腕を揺らし続けていて。
「ねっ? 庭に行きましょ? 散歩、気分転換にいいわよ。すっきりするって。ね? ねっ?」
ジワリと眉間を寄せ見下ろす陛下は、どう思っておられるのだろう。
反省のない妃様に呆れてらっしゃるとか。
子供っぽい誘いに色気がないと思ってらっしゃるとか。
仕事で疲れているというのに何を言ってるのだと苛立ってらっしゃる?
私はハラハラしながら様子をうかがっていた。
しかし、どれも違っていた。
「そのままでは寒いのではないか?」
「ないない! 陛下いるしっ」
えっ?
まさか、陛下、散歩に行かれるおつもりで?
陛下は、甘かった。
妃様には非常に甘々甘すぎて。
もうちょっと妃様に反省を促しませんと……。
と、思ったけれど。
「西の小庭園ですと、ちょうど夕陽が沈むのが見える頃かと」
私は戸棚から取り出したケープをそっと妃様の肩にかけながら小さく告げた。
「そうなの? じゃ早く行かないと夕陽が沈んでしまうわ。さっ、行きましょっ!」
カラッと明るい口調で陛下の腕を小脇に抱えた妃様は、ドアへと足を進める。
引っ張られるまま、陛下は苦笑しているが抵抗はしない。
お二人は西の小庭園へと向かわれた。
交わされる言葉は少なく、会話はほとんどない。
なのに。
弾む足取りで久しぶりの外を満喫する妃様を眺める陛下は満足そうに見えた。
庭園を歩かれる時、私達はお二人から離れている。
そのため会話を聞き取ることはできない。
しかし、寄り添って歩かれる様子は微笑ましい。
妃様の小さな歩幅にあわせているから、その歩みは遅い。
赤く染まる庭園は美しく趣きのある風情だったけれど、キョロキョロなさる妃様の存在がそれを台無しにしていて。
優美な背景に溶け込まないお二人と緩やかな時間がそこにあった。
それはそれで、味のある雰囲気だった。
お二人が部屋に戻られ食事をなさった後、私の担当時間は終了した。
交代でやってきたラミーに仕事を引き継ぎほっと一息。さて帰ろうかというところを、陛下付き女官から呼び止められた。
本日も、失敗あり、か。
小さくなって言葉を待つ私に。
「貴女の主人をまだ理解できてないようですね。ナファフィステア妃のお気持ちを察せるようにならなければ」
陛下付き女官は笑顔でそう告げると、優雅に立ち去った。
ナファフィステア妃のお気持ちを察する……。
その真髄は、遠い。
今はまるで辿りつける気がしない。
けれど。
いつかは……?
私は深く深く溜め息をついた。




