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それはとても魅力的な、




 引きずられるようにして家に帰った。その間聖司は無言で、足をもつれさせながら付いて行く私を振り返ることなく歩いていた。聖司はいつも私に優しい。そんな聖司がそこまで横暴な態度を見せることはこれまでになく、恐ろしくて仕方なかった。

 私が男性と話していて、聖司が怒ることは初めてではない。けれど、そういうときは多少乱暴なお説教が始まる程度で、素直に謝ればすぐにいつもの優しい聖司に戻っていた。

 こんな、謝る隙も、弁解する暇も与えてくれない聖司は初めてだった。


 聖司は私の家の鍵も持っている。自宅に帰り着くと、彼はさっさと私の家の鍵を開けて、行儀のいい彼にしては珍しく、靴を揃えもしないで家に上がった。当然、私は引きずられたままである。

 両親共に仕事に出ている時間帯で、誰もいない家は熱気が籠もっていた。燦々と輝く太陽の下も焼けるように暑く、滴るほどに汗が流れたが、室内もまた、絡みつくように暑かった。掴まれた腕も滑りそうなものだが、それ以上に強い力で掴まれている。


 慌ただしく階段を上がり、聖司は断りもなく私の部屋の扉を開けると乱暴に私を室内に押し込んで、ようやく手を放す。扉を締めて、鞄を床に置くとエアコンのリモコンを手にして操作した。エアコンが稼働し、ひんやりとした風が室内に流れるとようやく少しだけ息がしやすくなったような気がした。


「千穂…………」


 しかし、そうして息を吐いた瞬間、そんな私を責めるように聖司が冷たい声で名前を呼んだ。反射的にまた息が詰まる。振り返った聖司は怖い顔をしていなかった。けれど、笑ってもいなかった。何を考えているのか分からない、冷たい無表情で、睨むこともなくただじっとへたり込むように座る私を見下ろしていた。


「どうして?」

「な、にが…………」

「どうして、男に近付くの?」


 責められるよりも、静かな口調が余計に怖かった。


「俺は、やめてっていつも言ってるよね?喋らないで、近づかないで、関わらないで、って。どうして言うことを聞いてくれないの?千穂の為なんだよ。全部全部千穂の為なんだよ。千穂が心配だから言うんだよ。千穂の為に」


 千穂の為、という言葉が私の中で不快な響きを伴って駆け巡る。クラスメートと話していただけではないか。それがどうして、彼の言葉を借りるならば心配などされる必要がある。そんなことは頼んでいないし、心配されるようなことがあるとも思えない。


「………俯いてたら心配してくれただけだよ」

「そんな言葉を信じるの?嘘かもしれないだろ?千穂を傷つける為に、近づこうとしてるのかもしれない」


 聖司が私の目の前で膝をつく。床に座る私は、反射的に後ろに手をついて仰け反ろうとした。近付く距離が怖かった。しかし、聖司は距離を取ることを許さず、私の両腕を掴んだ。二本の腕だけで上半身を支えることになり、肩は外れそうで、腕は皮膚が引きつれるように痛かった。


「もし何かあったらどうするの?こうして腕を掴まれて引っ張られて抵抗できる?…………ほら、できないじゃないか。よくそれで無防備に生きられるね」


 責め立てるようにして聖司が距離を詰める。腕で支えられる態勢が辛くて、掴んでくる彼の手を振り払おうとすれば、暴れた拍子にラグの上に背中から倒れこむ。反らした頭から倒れて、強かに床で打ち付けた。ぐわんぐわん、と頭の中で痛みが響く。

 痛い、痛いし怖い。これまでになく怒っている聖司のことが理解できない。怖くて、怖いと感じることが悔しくて、頭の痛さが腹立たしい。だんだんまるで自分自身が正義とでも言いたげに、迷いなく私を責める聖司が憎らしくなって、苛立ちが募った。


「………………………っせに、」

「え?」

「…………ったしのこと、女として見てないくせに」


 『そういう対象として見ない』それはつまり、そういうことだろう。私のことを女性として好きな訳ではないのだ。それなのに変に執着して、束縛する。私にはその心を分けてくれない癖に、まるで我が物顔で閉じ込めようとする。なんてずるい話だろう。

 そのことを口に出したのは、苛立ち紛れの反射のようなものだった。売り言葉に買い言葉のような、そういう浅はかな言葉。その癖、わずかと言えど期待していたのだ。どうか、否定してくれと祈るような気持ちで。


 そんな期待を持っても傷つくだけだと言うのに。聖司は先程までの怒りも忘れたかのように目を大きく見開いていた。いつも私の前では静かに微笑んでいる聖司にしては、随分間抜けな顔だった。その表情が、何よりもの肯定だった。


「………どう、して。そんなこと」

「仁見先輩と話してたでしょ。私のことだけは、そういう風に見ないって」

「聞いてたのか…………」


 その言葉は、聞き間違い、という最後にわずかばかり残っていた可能性さえも打ち消した。一度唇を噛み締めて、いっそ噛み切ってしまいたいと思いながら目を逸し、震えそうな声を必死に押しとどめて口を開いた。


「だから、放して。本当は、私のことなんて好きでもなんでもないんでしょ」

「違う、違う………それは、」

「好きじゃないから、そういう風に見れないんでしょ」

「違う!好きだ、好きだよ。だから俺は、千穂のことだけは…………」


 もう一度、聖司が千穂のことだけは、と呟いたけれどそれ以上言葉が続くことはなかった。恐る恐る視線を彼の方へ戻せば、聖司は思い切り顔を顰めていた。それは怒りで、ではない。今にも泣き出しそうな、弱々しい顔だった。ああ、ああ。だから聖司はずるい。私をどんなに理不尽に束縛しても、それに私が拒否を示せば、まるで自分の方が傷付けられたとでも言いたげな顔で私に縋り付くのだ。だから私は、彼の懇願を無視できない。


「…………好きなんだよ、千穂。お願いだからどこにも行かないで、離れて行かないで。俺は絶対に千穂を傷つけないから、千穂を好きだから。だから、お願いだから」


 聖司の腕が、床に横たわる私の背中に回る。ぎゅうと抱きしめる腕が痛いくらいで、けれど隙間がないくらい密着する互いの身体は心地良かった。ただしそれは、男女の触れ合いというよりも、まるで泣きじゃくる子どもとそれを宥める母のようだと思う。


 虚しいと、思った。訳の分からない執着を向けられて、けれどどんなにそれを受け入れたところで、私は聖司の心を手にすることは出来ないのだ。だって、彼が何を考えているのかまるで分からない。


 疲れ果てた私は、それ以上彼を責める気もなれず『わかったから、ごめんね』と一欠片の心を込めることもなく呟いた。









 そのメールが届いたのは、お盆の最中だった。特に里帰りをすることもなく、自宅で日常を過ごす私は、深夜にふとトイレで目が覚めた。ぼうとする頭であくびをし、首筋に滲む汗を手の甲で拭き取って、部屋を出て階下のトイレで用を済ませると自室に戻る。もう一度寝ようとベッドに乗り上げたところで、何となくスマートフォンを開いた。


 見れば、メールのアイコンに着信を知らせるマークがついていた。誰だろう、と思いながらも画面を開く。メールの送り主は仁見先輩だった。時刻を確認すれば、大体十五分前に着信していたようで、メールの着信で眠りが浅くなった為にトイレに起きたのかもしれないな、と思った。

 メールを開けば、短い本文が綴られている。


『僕とデートしようぜ。夏目の秘密を教えてやろう』


 まるで悪魔の囁きを耳にしたように、期待にごくりと喉を鳴らした。






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