青年、幼き少女の前で動揺する。
しばらく膨れっ面のまま沈黙していたラティナであったが、何事かに気付いたらしい。椅子から降りると、デイルの傍にととと、と向かいぎゅっと抱き付いた。
「……ラティナ?」
「デイル、お仕事? また、長くかかるの?」
その表情には、寂しさと哀しさが漂っている。この数ヵ月の旅の間というのは、ラティナがデイルを独占できた最長の期間でもあった。日中出掛けても、必ず夜には一緒の時間を過ごす。共に食事をとり、話をし、時には体温を分け合って眠る。
それが『特別』だとわかっていた筈なのに、終わってしまうと思うとあまりに切ない。
「……ああ。ごめんな、また、留守番ばっかりさせちまうな」
「ううん。だいじょうぶ。ラティナ、お留守番ちゃんとする」
その言葉と行動は伴っていなかった。ラティナは、自分の顔を更に強くデイルに押し付ける。そしてそのまま顔を上げることが出来なくなってしまったようだった。
デイルの表情が揺れる。葛藤している。
「……珍しい。耐えているわね」
「ヘルミネが居るからだろ」
リタとケニスの夫婦が小さな声で実況解説を入れる。
「ラティナ……デイルのことちゃんと待ってる。……でも、もうちょっとだけ、いっしょがいいな」
「……っ!」
デイルの両手が、わきわきと怪しい動きをした。何とも言えない微妙な表情になる。
「あら。甘えん坊さんなのね」
その瀬戸際で踏みとどまっていたデイルの背中に、一撃を入れたのはヘルミネの一言だった。
「いつも、留守番ばっかりさせてる俺が悪いんだよっ! こんなに……こんなに、頑張ってくれてるんだからなっ!」
「成程ね。甘えん坊さんなのは、あなたの方みたいね」
しょんぼりとするラティナを、がばっと抱き上げ抱き締める。その間にヘルミネを威嚇するように言葉を投げ掛けた。
ころころと笑うヘルミネは、いかにも面白いものを見付けたという表情だった。
「さすがに、長旅から戻ってすぐに出発しろとは言わないわ。私もクロイツで用事があるもの」
そう言いながらヘルミネは踵を返し、にっこりと微笑んで、ひらりと手を振った。
「じゃあ、また後でね。デイル」
ヘルミネが向かった先は、『踊る虎猫亭』の階段だった。二階には客室がある。ヘルミネはそこに滞在しているらしい。
「……デイル、今のひと、お仕事でいっしょのひと?」
ヘルミネの姿が完全に二階に消えると、ラティナがちいさな声で尋ねてきた。
「ああ。あれでヘルミネは魔法使いとしては一流だよ」
デイルはため息混じりに答えると、ラティナを床に下ろした。
「お仕事だけ?」
自分のことを大きな灰色の眸でじっと見て、更に尋ねてきたラティナの言葉に、デイルは少し視線を泳がせる。
「仕事だけ、の関係だよ」
嘘ではない。
何だか、尋問されている心境になるのは何故だろう。
「……」
ラティナは少し何かを言いかけて、口をつぐんだ。何処か普段とは異なるラティナの反応にデイルは更に動揺した。
「ラ……ラティナ?」
「ラティナ、おとなになったら、おっきくなるもん。まだ子どもだからちいさいんだもん」
ぷすっ。と膨れているのをみれば、彼女の矜持は傷付いているらしい。
この子は若干同い歳の子どもたちよりも小柄だ。種族的な理由ではなく、個人差だと思われる。身長も体重も、しっかり健康的に成長していた。問題にならない範囲だろう。
それでも周囲に「ちいさい」と言われることが多い分、彼女なりに気にしているようだった。
デイルもその気持ちはわかる。
能力ではなく、若さを理由に侮られることに、憤りを覚えたことは少なくはないのだから。
「ラティナはちいさいままでも良いのに……可愛いんだから」
「ラティナ、ちいさいまま困るよ。おっきくなりたいんだもんっ」
それでも、ラティナが気にしていることを理解していても、思わず口に出してしまう。仕方ない。ちいさいことすら可愛いのだから。
「ラティナだって女の子よ? 薄々勘づくものよ」
「女の勘って奴は恐ろしいな……」
デイルとラティナの様子を横目で見ながら、リタとケニスが言ったのはそんなことだった。デイルとヘルミネの『関係』が、『仕事上』だけの関係であることは、二人もよく知っている。
--そこに但し書きが付くことも、知っていた。
どうやらラティナの機嫌は回復していないらしい。
今日のラティナは、ケニスの手伝いはせず、久しぶりに帰ってきた屋根裏部屋で荷ほどきと片付けをしている。黙々と作業に打ち込んでいた。
デイルが口と手を出す間もなく、着々と進んでいるのは、この沈黙の時間の成果だろう。
「……ラ、ラティナ……?」
「なあに」
「き……機嫌、直して、くれるか……?」
「べつに悪くないよ」
会話が止まった。
(ラティナの……機嫌がここまで悪いっての……い、今までなかったからな……)
たらり、冷や汗を感じながら独白するデイルは、いっそ、『機嫌が悪い』と言い切って貰えた方が気が楽であったのにと、涙を飲んだ。
「デイル」
「はいっ?」
声が裏返った。ラティナはそんな動揺を隠さないデイルをピタリと見据える。
「ラティナ、怒ってないよ。だからね、デイル気にしなくて良いの」
「……で、でも」
「気にしなくて良いの」
言い切られた。この少女は、もっと幼かった頃より、頑固なところがある。こういう時のラティナは、恐らくこれ以上のことは話さないだろう。
「……俺、一階に居るからな……」
「うん。片付けラティナがやっとく」
返事をしてくれたこと、という些細なことに喜びを噛みしめながら、デイルはそそくさと戦略的撤退を選択する。
だから彼は、一人になった屋根裏で、ラティナが再び頬を膨らませた姿を見ることはなかった。
「ラティナ……やっぱり、早くおとなになれたら良いのにな……」
そう呟く彼女の不満の矛先は、『子ども』である自分自身なのだから、「気にしなくて良い」という言葉も本心からのものであるのだった。
「ラティナに……ラティナに邪険にされた……」
店ではなく、厨房のテーブルでがっくりと項垂れるデイルの前に、ケニスはコトリと湯気の立つカップを置く。深い水色の茶が静かに揺れた。
「濃いめに入れてやったからな。酒は控えて、万が一に備えろ」
「……そんなヘマはしねぇよ。あの頃とは、違うんだし」
ぶすっと膨れてみせるが、無論ラティナのような可愛らしさは、いい歳の野郎には存在しない。
丁度仕事の手が空いているらしく、ケニスはそのままどっかりとデイルの前に座った。
「もう未練は無いんだろう?」
「とっくに、んなもんねぇよ。ひとつ勉強したなってぐらいだ」
「だろうな。だから、まあ問題にはならないと、ヘルミネを泊めた。ウチは宿屋だからな」
「それがそっちの商売なんだから、俺に気ぃつかう必要はねぇよ」
デイルはそう言って茶を啜り、苦さに顔をしかめた。
「……まあ、お前の様子を見るに、ヘルミネのことより、それでラティナの機嫌が悪くなったことの方が、重大事項みたいだからな」
「そうなんだよっ! 何で……ラティナ、あんなにご機嫌ななめなんだよ……っ」
「そりゃあ……」
言いかけて、ケニスはそれ以上を言うのを止めた。
『娘』が『父親』に再婚話などが出て、相手の『女性』に嫉妬するというのはよくある話だが、どう見てもラティナのあれも、今まで自分が独占していたデイルの、近くに現れた女性に対する警戒と嫉妬のあらわれだろう。
だが、何故かそれに気付いていないデイルに、その事を指摘すれば「そこまでラティナ……俺のことが……っ」とでも、感涙に咽びながら叫ぶことだろう。そのままラティナを抱きしめてべったべたになるに違いない。
鬱陶しい。面倒くさい。
そして何だか腹立たしい。
その為、ケニスはポットの蓋を開け、みっちりと詰まった茶葉を見るという意味のない行動で『茶を濁し』た。
「どおしたの?」
「……ラティナっ!」
そんな二人の大人の姿に、階段を下りて来たラティナが首を傾げる。両手で抱えている荷物は、洗濯や掃除の必要な道具類だった。どうやら、もうある程度の片付けは仕分けが済んだらしい。
「……ラティナの方が『大人』だな……」
思わずケニスが呟いたのは、仕事に打ち込むことで、気持ちの整理も付けたらしい少女が、普段通りの表情に戻っていたからであった。
ヘルミネさんとの昔話は……書けたらそのうち書きますが、しばらくは濁しておいてくださいまし。




