50 伯爵様の憂鬱
ボーゼス伯爵は、少し機嫌が悪かった。
ミツハのことは自分の娘のように思っていたし、もしかすると息子の妻となり本当の娘になるかも知れない、という期待もあった。そして、店の購入費用の代わりである真珠のネックレスは別として、ミツハから無償の贈り物を貰ったのは自分だけだという思いがあった。
それなのに、先程のあの指輪。
あれは、明らかに自分が貰った軍隊ナイフより遥かに高価で、貴重なものだ。
自分が指示した結果とは言え、何か苛つきが治まらない…。
うちはミツハとは特別な関係にあるというのに、若く、というか、幼く、貴族としての諸事に不慣れな新興貴族であるミツハの後見役を買って出た時、他の貴族から色々と横槍がはいったのも気に食わない。
何が「ボーゼス領は、ただ、ヤマノ子爵がこの国に来た時に上陸した場所、というに過ぎないだろう」だ。何が「領地が隣りだというだけなら、我が領の方が適任である。何しろ王都へ行く時には我が領地を通ることになるのですからな」だ! お前達はただミツハに近付いて利用したいだけだろうが!
勿論、ある程度の事情を御存知の王と宰相がそれらに取り合うことはなく、事前の根回し通りに我がボーゼス家が後見人となったのだが…。
そもそも、ミツハには色々と貸しがあるのだ。
ミツハが初めてこの国に来て滞在したのは、自分の領地、ボーゼス伯爵領だ。そして、領民がミツハを助けた。
……その代わり、領民の娘を命懸けで助けて貰ったが。
その後、泣きじゃくるミツハを慰め、父親代わりになってやると言った。
……その代わり、娘代わりになってくれ、色々と領にとって有益な話を聞かせてくれたが。
店の購入資金を出してやった。
……その代わり、それよりずっと価値のある真珠のネックレスを受け取ったが。
長男アレクシスが盾となって命を救ってやった。
……その代わり、普通なら絶対助からないはずの命を救って貰い、子爵位が貰えるよう口添えしてくれたが。
それに、総指揮官を護るための盾となるのは、貴族として当たり前の行為だ、考えてみれば。
色々と世話を焼いて、後見人をしてやっている。
……その代わり、『雷の姫巫女の後見人』として色々と影響力を増すことができ、他の貴族との関係が大幅に向上したが。
………あれ?
何か、自分の方が借りが多いのではないのか?
………………………。
いや、それはひとまず置いておこう。
ミツハについては、本人は明言しないが、色々な情報を総合した結論として、次のように推察している。
海を隔てた遠国の、幼き国王の姉である。姉弟仲は良好。
国民の多くはミツハが女王になることを望んでいた。
その国は非常に優れた技術力を持ち、日用品から、『神具』と呼ばれる謎の武器、そして『渡り』と呼ばれる魔法のような力まで持つ、まるで神の国かと思わんばかりの国である。
ミツハの、我が国での『雷の姫巫女』という名の由来は、恐らく、ただ単に神具を使って見せただけであろうと思われる。
友人達が小型の高速船で運んでくれている、というあの商品や怪しげな装備品は、本当にそうなのか、もしくは『渡り』によるものなのか……。
そして、我が国の王家や貴族家の者にとっての、ミツハの価値。
ミツハの国からの侵略、という心配に対しては、ミツハ自身から『建造と運航に馬鹿高い経費がかかる特殊な小型高速船以外では、遠すぎて行き来はまず不可能。大量の兵や軍需物資なんか運べるわけがない』と断言されたので問題ない。
交易に関しても、『お友達が採算度外視で送ってくれているから、余りを奪い合いにならない値段で適当に売っているだけ。商売として儲けを出そうなんて考えたら、今の価格の数十倍でも足りない』と言われては、諦めるしかない。
店で売っている商品も、性能は凄いものの大半は日用品程度のものであり、国を左右するような品は無く、金に糸目を付けずに模倣品を研究するほどではない。
火無し携帯ランプとかの軍事利用できそうなものもあるにはあるが、造りが細かすぎる上に仕組みが全く判らず、手の出しようもない。注文による大量購入は出来ないし、そもそも軍用に大量購入するには高価過ぎる……。
では、国交を樹立して技術交換を、と思っても、こちらからむこうの国に提供できる技術など無く、『交換』という言葉がそもそも成り立たない。そして、移動手段すらむこうに頼るしかないという情けない有様である。
対価として金銭を支払うにも、あまりの技術格差や貨幣価値の違い等で、我が国から一方的に大量の金や宝石等が流出するばかり、というのはまずい。
そして、再び我が国に危機が訪れた場合、あの『渡り』を使って助けて貰えるのか?
いくら王姉が住んでいる国であっても、仮にも国家たるものが、何の見返りもなく他の国を助けるであろうか? それも、神官の命、神具の力を消耗することを承知の上で…。
いくら国王が弟であろうと、国を出た姉や見知らぬ国のために国費を無駄に使い、国民を無駄に死なせるようなことが許されるはずがない。
ならば、またミツハの友人達に個人的に?
いや、前回のことを考えると、二度目は難しいだろう。恐らく、その時にはミツハだけが脱出する、という選択をするだろう……。
つまり、大国の王姉としてのミツハを利用することは難しい、ということだ。
利用するどころか、もし危害を加え、それがミツハの国に露見した場合、『お友達による、危険や採算度外視の報復』が行われたら、国が滅ぶかも知れん。
恐らく、ミツハとは接触せずに遠くから見守っているだけの同国人が数名潜んでいるに違いない。万一の時には国元に報告するために。
ならば、我が国にとって、ミツハの価値とは何か?
そう、それは、そのカリスマ性。そして、優れた知恵と知識だ。
カリスマ性。
可愛らしい容姿、明るく元気で優しい人柄。そして、いざという時の凛々しさ、本気になった時の強さ。
それらを目にした民衆の、ミツハに対する崇敬の念は強い。
また王国が危機に陥った時にはあの神兵を召喚してくれる、と信じているのだから、当然だ。
そのミツハを取り込み、自分達に都合の良い発言をさせれば、得られるものは大きいだろう。
……ミツハをそう簡単に操れるとは思わないが。
だが、ミツハの本当の価値は、そこではない。
あの子の本当の価値は、その知恵と知識だ。
時々口を滑らせる、領地開発のための様々な案。いつもいいところで口をつぐみ、『あとは有料です』とか言って誤魔化されるが、もしあれを全部最後まで聞けたら。そして実行出来たら。
ヤマノ子爵領の様子を調査させている者の報告によると、最近何やら色々と制度の改革や工事を行ったらしく、その影響か、村人達の顔が明るくなっているようだ。
改革や工事の結果が領の収益に数字として反映されるのはまだ先のことだろうが、効果が大きかった場合にはすぐに真似するべく、引き続き詳細を調べさせている。しかし、家臣の貸与を断られたのは残念だったな……。
そして更に、ヤマノ領への人の流れが出来始めているようだ。
領の発展に、人の流れは欠かせない。うちの領との交流が増えるのも良いことだ。
…だが、頼むから、我がボーゼス領から利益を吸い上げる形での発展は、勘弁してくれよ……。
ふとミツハの方に目をやると、子供達の集団から抜け出ていた。どうやら、各家への挨拶回りを始めたようだ。
ミツハとの親密さを他家にアピールするためと、ランセン、パストゥールの両伯爵家との顔合わせのためにミツハとくっついていたが、あまりやり過ぎるとミツハを取り込み独占していると思われて反発を買う。あとは自由にやらせるかと離れたのだが……。
人当たりが良く、結構如才なく立ち回っているミツハの姿に安心するものの、他家の者達との親しそうな様子に少しイライラする。
お前達、それは、うちのだ!
アレクシス、ちゃんと抑えんか!!
一方ミツハは、アレクシスからの忠告に従い、各家の領主達と話して回っていた。領主達もミツハと話したかったので大歓迎、むこうから次々とミツハのところへとやって来る。
アレクシスも一緒にいるが、いくら息子とは言え有力貴族であるボーゼス伯爵とは違い子爵位であるし、同時に子爵となった者同士、しかも領地が隣接しており、命を救った仲。ミツハと長時間一緒にいても文句をつける者はいない。
また、最初はふたりの仲を疑ったものの、アレクシスはともかく、ミツハの方が完全に『仲の良いお友達』、または『姉弟か兄妹』のような感じであるため、仲は良いもののミツハ側に恋愛感情無し、と判断した独身子息を持つ貴族達の鼻息は荒かった。
アレクシスが必死で抑えようとするも、ミツハに恋愛対象の男性として見られていないと判断されたアレクシスに注がれるのは憐憫の視線のみ。ただの障害物扱いであった。
そして、子爵領から売り出す予定の新製品の宣伝に努めるミツハは、そのあたりの攻防戦には全く気付いていなかった。
そして、憂鬱なボーゼス伯爵と、胃に穴が開きそうなアレクシスの、途轍もなく長く感じる時間が過ぎていった。
とてもゆっくりと……。




