45 王都へ。いや、いつも行ってますが・・・
「ミツハ、王都へ向かうぞ。すぐに準備しなさい」
「え………」
ヤマノ子爵家領地邸に突然現れてそう言ったのは、お馴染みボーゼス伯爵。子爵家の使用人は、もう、ボーゼス家の者の突然の訪問は気にもしない。たとえそれが伯爵様本人であっても。
慣れたのか、それとも『ミツハ様の方が偉い』と思っているのか……。
「社交シーズンだ。まだ盗賊があまり減っていないから、安全のため王都まで一緒に行くぞ」
「え、だってまだ1年経ってない……」
「社交シーズンは、年に数回あるのだ。1回切りのわけがないだろう」
「ええっ、そうだったんですか!」
てっきり年1回だと思っていたため、伯爵の言葉に驚くミツハ。
「あの、今、領地が大事な時で…。今回は王都へ行くの、やめときます」
「何を言っている! 貴族になって最初の社交シーズンに不在にしてどうするのだ。皆がミツハと話したがっているというのに……」
いや、だから嫌なんですけど、と思うミツハ。
しかし、伯爵様は引いてくれる様子はない。
「だから、家臣を貸すと言ったのに……。明後日に、うちの領都を出発だ。早くせんと、イリスとベアトリスがここまで迎えに来るぞ」
「ええっ……」
どうやら、伯爵様も絶対に引けないようである。家庭内ヒエラルキー的に。
しかし、今、長期に渡って領を空けるわけには行かなかった。大事な時期なのである。
王都に着いてしまえば、しょっちゅう戻って来れば良い。べつにいつも伯爵様達と一緒に居るわけではないのだ。こちらの者には、王都へは行かなかった、所用でしょっちゅう留守にしているだけ、と思わせれば良い。
その時期にミツハが王都にいたか子爵領にいたかなど、確認しようとする者などいないだろう。伯爵家の者は全員、王都で数日置きにミツハと会っているわけだから、あえて確認したりするはずがない。
だが、移動の間の8日間が痛い。いや、荷物を積んだ荷馬車があるし、乗り心地を重視してゆっくり行くだろうから、乗合馬車の場合よりもっとかかるか……。
「あの、後で自分で行きますから…」
「駄目だ! 盗賊がまだ減っていないと言っただろう! それに、一緒に行かないと意味が…、いや……」
正論のあと、言葉を濁す伯爵様。
どうやら、移動の10日前後の間、ミツハと色々話をしたいらしい。伯爵様か、もしくはイリス様、ベアトリスちゃんに、テオドール君とかが。
しかし、領をそんなに留守にはできない。
これからも続く問題だし、伯爵様ならいいか、とミツハは腹を括った。
「伯爵様、ちょっと内密のお話があります」
そう言うと、ミツハは人払いし、声を抑えて伯爵に説明をした。
「実を言いますと、私には術に関してかなりの才能があるようでして、『渡り』の秘術を使う時、私ひとり、もしくは少しの荷物程度でしたら、殆ど負担は無いんです。それくらいならすぐに回復しますし…。
ただ、それが露見すると、母国との交渉やら貿易やらと言い出して『渡り』を強要する人が必ず現れて、しだいに要求がエスカレートするに決まっています。そしてそれはすぐに私の許容限度を超えるでしょう。だから負担をかなりオーバーに伝えました。
つまり、私ひとりならば、『渡り』で一瞬のうちに王都へ行けますので、用ができるまではこっちで領の運営をやっています」
「え……」
驚く伯爵様。
しかしそれは、ミツハの能力に、というよりは、ミツハがそれを明かした事に対して、というような感じであった。恐らく、その程度のことは当然予想していたのであろう。
実はミツハも、伯爵は恐らく察しているだろうと思っていた。
「ううむ……」
伯爵は困っていた。道中の安全や、社交シーズン開始に遅れるわけにはいかない、という正論が封じられると、領の運営の大切さを充分承知しているだけに、無理を言いづらい。しかし、ボーゼス家による10日間ものミツハの独占は、あまりにも魅力的であった。
どんな知恵を引き出せるか、というのも勿論あるが、妻子との交流も意味は大きい。何より、妻子がそれを強く望んでいるのである。
長子のアレクシスともこの後合流する予定であり、もし息子のどちらかとうまく行ってくれれば、との期待もあった。
しかし、領の運営が大切なことも解るし、それを重視して、そして自分を信用して秘密を打ち明けてくれたという事もある。その想いは無下には出来ない。
「うむむむむ……」
暫し悩んだ後、伯爵はようやく決心して言った。
「解った。イリスとベアトリスは何とか説得する。その代わり、我々が王都に着いた時には、先に着いておき出迎えるように。『もう出発していた』と言うくらいしか、ふたりを言いくるめる自信が無い……」
こくこくと頷き、伯爵を見送るミツハ。
しかし、帰り際に伯爵が言った、『この貸しは大きいぞ……』との言葉には納得出来なかった。
(それ、伯爵様の家庭内の問題であって、私には関係ないですよね?)
とにかく、明後日出発で、所用日数は早くて10日、遅ければ12~13日くらいらしい。天候とか馬車の故障とか盗賊とか山崩れとか、色々と思わぬ障害があるので、この世界の旅としてはそれくらいの不確定要素は当然であった。
(まぁ、9日後くらいに行けばいいか…)
とりあえず王都でやるべき事は何か、とミツハは考えた。
まず、料理人を1名確保。メシ屋の息子は、ヤマノ料理を覚えてメシ屋で働くことになったから、子爵邸用の料理人が要る。でないと、ひとりでは今いる料理人が倒れてしまう。
あと、木工職人か船大工。
多分、船大工というのはいないだろうな。需要が少なすぎるし、海に面したこのあたりにいないものが、海から遥かに離れた王都にいるわけがない。
そして、王都に時間を取られる前にと、急いで領内での仕事を進めた。
醤油、味噌、豆腐の試作の開始。スタートさえしておけば、あとは村のみんなが試行錯誤で頑張ってくれるだろう。時々見に行くし。
あと、ワサビの栽培開始。魚料理には必要だし、他の料理にも使える。殺菌効果で加工食品の日保ちが良くなるし。この世界にも探せばあったかも知れないけど、面倒なんで日本から持ち込んだ。畑ワサビ(丘ワサビ)ではなく、水ワサビ(沢ワサビ)の方。種からではなく、株分けで開始。川の上流、山裾のあたりの渓流で栽培。ワサビは綺麗な流水を好むからね。
そして、小国に貰った船での慣熟訓練が終わったので、遂に地引き網漁をやった。初回だからか、思ったより大漁。あんまり獲りすぎても処理に困るので、販路が拡大されるまではそう頻繁にはやらないようにしよう。回遊魚相手なので、そうそう『獲り尽くす』ということにはならないだろうけど。
少し安くして大漁セールを行ったり、ようやく生産が始まった塩田で作られた塩での塩漬けや、干物等を生産。丁度行商に来たペッツさんに王都で売り捌いて貰うべく買い取って貰った。ついでに塩も売った。どれくらいの値で売れるかの調査のためなので、量は少しだけ。小規模な塩田なので生産量もそんなに多くないしね。岩塩業者の反応も確かめたいし。
現在は馬車3台を率いるペッツさん、そのうち5台くらいに増やそうかな、なんて話してた。日本の品物で結構収益が上がっているようで、交易回数も増やそうかと検討中だとか。
まぁ、日本の品物は少しずつしか売らないけど、貴族相手にうまく立ち回れば結構良い商売になるはず。面倒なんで自分ではやらないけど。
嫌だよ、貴族相手に売り込みだとか交渉だとか。店に買いに来る客だけでいいよ。
自分の王都の店は、あくまでも地球の品を暴り…げふんげふん、高価で少量販売する店であって、消費期限の短い物や大量に販売する物等、この世界の物は扱わない。一部の例外を除いて。……開店日数少ないし。
それに、もし自分が死んだら領の経済が一瞬で破綻、なんてのは寝覚めが悪いから、領の経済は自分の力は一切関係なく廻るようにしておきたい。
早く日本製品無しでも領地産のものだけでペッツさんに充分な収益が出るようにしなきゃ。家内制手工業か軽工業で、良いものを導入して……。やはり加工食品、繊維、雑貨、製紙あたりか……。
あれこれしているうちに、あっという間に9日間が経過。
今日から、領地の者には『あちこち視察したり調査に行ったりするから、不在がち』ということに。王都の者には『領地の生産物を売り込むためにあちこちと交渉するのに忙しく、店には不在がち』ということにしておく。
日本の自宅の管理や『ちゃんと暮らしてますよアピール』も必要だし、そのうち何か職に就いてることにしないとマズそうだし…。小規模な輸入業、ってことにしようかな、ここの民芸品や家具とか剣とかをアンティークとして売る、とか。税金や登録とか、面倒そうな…。いっそ、住居を国外に移して…って、いやいや、あの家は守らなきゃ。
それに、そろそろ大国が何らかのアプローチをして来そうな気がするし。
美味しいところを小国に持って行かれたままで黙っているような国じゃないよね、多分。まぁ、決めたルール通りに隊長さんのところ経由で来るとは思うけど。
……ああ、面倒! 領地、王都、日本、隊長さんとこで大国相手…。4正面作戦とか、やってられないよ!
「…ねぇ、ミツハ姉様。このお店、私に任せる気、無い?」
あああ、悪魔の囁きがあっ!
「さ、サビーネちゃん、ど、どういうことかな……」
ミツハが王都に滞在していることをいち早く嗅ぎつけたサビーネちゃんの、来店早々の言葉に動揺するミツハ。
今までの短期の王都来訪では、サビーネちゃんには会わなかったのだ。そうしょっちゅう王都に来ていたらおかしいし、べったりくっつかれては仕事にならないから。
「だって姉様、お店いつも閉まってるじゃない。私が開けて、店番してあげるよ。でーぶいでーの操作も覚えたし、何なら3階も管理してあげる。ここに住み込んであげてもいいよ」
ね、狙いはそれか~! DVDと、ここの設備を自由に使いたいだけだな、サビーネちゃん!!
1階にある、DVD、冷蔵庫、電子レンジにガスレンジ、オーブン、お風呂にシャワー、ストーブに扇風機……。
それに、どうやら3階の設備の存在にも気付いている様子。
無理もないか、1階でこれなのだから、プライベートスペースである3階にも色々とあるだろうことは容易に想像できるはず。
しかし……。
「で、でも、おかしな客が来て絡まれたりとか……」
「あはは、『雷の姫巫女』のお店で絡む人がいると? それに、勿論私ひとりじゃなくて、護衛の者とかお付きの侍女が一緒に働くよ。でないと、私がゆっくりとでーぶいでーを見られないでしょう」
開き直りやがったよ、この子!
いや、しかし、それもアリかも…。
知らない人に任せる気は無いけど、サビーネちゃんなら……、って、騙されるな、私!!
王女様に店番やらせる雑貨店主がどこに居る!
それに、そうするとすぐに3階も浸食されるだろうし、店から消えたり現れたりしていると転移のこともすぐバレる。
しかし、店を任せられればかなり楽に……。
「は、はは、か、考えとくね……」
なんとか誘惑に打ち勝ったミツハに、ちぇっ、と舌打ちするサビーネちゃん。
と、そこに、街の孤児院の子が駆け込んで来た。
「姫巫女様、来たよ!」
「もう、その呼び方はやめてって言ってるでしょ!」
叱りながらも、お駄賃と、オマケのお菓子を渡してやるミツハ。
孤児院の子供達は、院がやっている畑や養鶏等の手伝い以外の自由時間に、自発的に使い走り等の仕事をしている。ミツハはたまにそういう子に仕事を頼む事があり、今回もその1つであった。依頼内容は、『街の外門で見張り、ボーゼス伯爵家の馬車が来たらすぐ知らせる』というものである。伯爵家の家紋を書いて渡していたので、馬車を見ればひと目で判る。
いつもお駄賃の他にお菓子をくれるミツハの依頼を受けたがる孤児は多い。いや、それ以前に、『姫巫女様の依頼を受けた』というのが栄誉らしく、孤児達の間では競争率が高かった。
少年は、お駄賃とお菓子を受け取ると、礼を言って走り去った。恐らく、ボーゼス伯爵家王都邸へ知らせに行くのだろう。別に依頼されてはいないが、『ボーゼス伯爵の馬車が街に着いた、姫巫女様もすぐ来る』と知らせれば、恐らくそこそこのお駄賃が貰える。特に、ミツハも来る、という情報の価値は高いだろうから。せっかくの金儲けの機会を逃すようでは、一流の孤児とは言えない。
……いや、『一流の孤児』って何やねん、と思わなくもないミツハであったが。
とにかく、店を閉めて、ボーゼス伯爵家王都邸へと向かう。荷馬車を連れた一行はあまり速くないが、それでも孤児の少年の移動時間を考えると、そんなに余裕はない。
伯爵様との約束通り、出迎えて『先に王都に来てましたよアピール』をしないと、伯爵様の身が危ない。
そして、なぜかサビーネちゃんもついて来た。
ああ、そういえば、お友達だったね、ベアトリスちゃんとは。




