437 『ソロリティ』の危機 5
「アルシャがいませんわ! アルシャはどこ!!」
必死にそう叫ぶ、ティーテリーザ。
使用人からの報告を受けて、大慌てで中庭へとやって来たライナー子爵とアデレートは、状況が全く分からず、何もできずに突っ立っている。
自分達を護るために賊の前に立ち塞がり、腕を斬られた、自分の家の使用人。
本来の仕事ではないのに、自分の我が儘で父に内緒で危険な場所に連れ出して、……大怪我をさせてしまった。
その使用人の姿がない。
ティーテリーザは、半狂乱であった。
まさか、姫巫女様による『渡り』の対象から漏れた?
ならば、彼女は今も、危険なあの場所にひとりだけ取り残されている?
あの大怪我をした状態で?
そう考えたティーテリーザが必死なのも、理解できる。
そして、皆で周囲や荷馬車の中を確認したが、その姿を見つけることはできなかった。
「あそこへ捜しに行きます!」
そう言って駆け出そうとするティーテリーザを、慌てて皆が掴んで引き留めた。
「放しなさい! アルシャを助けに行かないと!!」
皆の手を振り払おうとするティーテリーザに、ようやく事態をある程度把握したらしいライナー子爵が告げた。
「男の足の方が速いです! 場所を知っているそちらの使用人ひとりを案内役にして、うちの者4人が行きます! そして、すぐに馬車に後を追わせますから!」
いったん自分の邸で保護した侯爵家の御令嬢に何かあれば、ただでは済むまい。
そう思ったライナー子爵は、必死であった。
その必死の形相に、それがアルシャのことを心配してのものだと勘違いしたティーテリーザは、ようやく少し落ち着いた。
どうやら、『子爵がこれだけ必死に対処してくれているのだから、何もできない無力な自分が無駄に騒いで足を引っ張ってはならない』と思ったようである。
そして、子爵が急いで呼び集めた使用人達が、案内役の使用人と共に出発しようとした時……。
「怪我をした子は、治療所に運びました。賊も、全員捕縛済み! とりあえず、皆さんはお茶でもいただいて休息を取ってください。
帰るのは、ひと息入れて、落ち着いた後にしましょう」
……ミツハが転移により出現し、皆にそう伝えた。
ミツハの転移……『渡り』を目にした者達は驚いているが、今はそんなことより優先すべきことがある。
なので、誰ひとり騒ぐことはなかった。
「アルシャは! アルシャの容体はどうなのですかっ!!」
ティーテリーザの悲痛な叫びに、ようやくあの少女がティーテリーザの……、つまりヴィボルト侯爵家の使用人であると知った、ミツハ。
「皆を護るために時間を稼ぐことに成功したあの子の負傷箇所は、左腕だけです。生命の危険はありません」
「そっ、その、左腕は!」
「残念ながら……」
しっかりと、あの少女を英雄に仕立て上げることを忘れない、ミツハ。
そして自分の質問に対して目を瞑り、静かに首を左右に振るミツハに、愕然とした様子のティーテリーザ。
その両目に、じわりと水滴がにじみ出し……。
「そっ、そんな……。
……ああ……。ああ……。
あああああああああ〜〜!!」
大声を上げ、ぼろぼろと涙を溢す、ティーテリーザ。
ただの平民の使用人如きのために。それも、別に死んだというわけでもないのに、侯爵家の令嬢が、こんなに泣いてくれる。
使用人にとって、このような光栄なことはあるまい。
そう思っているのか、ヴィボルト侯爵家とクルバディ伯爵家、そしてライナー子爵家の使用人達は、アルシャのことを少し羨ましく思っていた。
そしてそのためか、使用人達は皆、左腕を失った少女のことを、そう可哀想だとは思っておらず、涙を流すどころか、悲痛な顔すらしていない。
あの娘は、これから先一生に亘り、自らの左腕を見る度に誇らしい思いをすることができるのである。主家の令嬢と、その御友人である伯爵家令嬢、そしてその両家の使用人達を自分が護ったのだという、大きな喜びと満足感と共に……。
……そう。それは、コレットが自分が受けた傷に対して抱いているのと全く同じ気持ちである。
御主人様の御家族を守り抜くことによって、受けた傷。
それは、使用人の本懐。
使用人としての誉れ。
下級貴族の娘が行儀見習いやコネを得るために上級貴族家の使用人をやっている場合は、そこまでの覚悟はないであろう。
しかし、平民が貴族家の、それも上級貴族家の使用人として雇われた場合。
そして、主人とその家族が使用人を大事にした場合。
……稀に、使用人達に絶大なる忠誠心を抱かれる場合があった。
この、ヴィボルト侯爵家のように……。
雇い主は、貧乏な下級貴族ではなく、侯爵家なのである。
だから、お家の面子に懸けても、娘を護るために身体を張り、その結果片腕を失った使用人を無下に扱うわけがない。
解雇されるどころか、片腕でも問題なく働ける配置で、一生雇ってもらえるであろう。
……もしくは、充分な報奨金を貰って退職し、悠々自適の生活を送るか……。
侯爵家にとっては、平民ひとりがささやかな暮らしで一生を過ごせるくらいのお金など、大した金額ではない。それくらい、失わずに済んだものに較べれば、安いものである。
また、ここでこの少女にどう報いるかによって、以後の使用人達の士気、忠誠心、……そしてこの少女に続き主人一家のために身体を張ってくれる者が以後も現れるかどうかに関わってくる。
少なくとも、あの少女が職を失い路頭に迷うということだけは、絶対にない。
ヴィボルト侯爵家の使用人達は、そうなることに絶対の確信を持っていた。
……しかし、それは良き主に恵まれた下級使用人達の、同僚の立場に対する考え方である。
雇用者側、それも自分の愚かな行いのせいで少女に一生残る障害を負わせてしまった心優しい令嬢にとっては、とてもそのような考えを抱けるはずがなかった。
今、ティーテリーザにかけてあげられる言葉はない。
好きなだけ泣かせてやるしかないし、自分には今、色々とやるべきことがある。
そう考えたミツハは、冷たいようではあるが、泣きじゃくるティーテリーザのことは炊き出しの者達とライナー子爵家に任せることにして、そっとその場から転移した。
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