426 ひと休み 2
「……何だと? 暗部の連中がざわついていると?」
とある伯爵家で、家臣からの報告にそう聞き返す当主。
暗部というのは、非合法な仕事、表沙汰にはできない汚い仕事を担当する部署のことである。
犯罪行為にも手を染めるが、別に悪の組織だというわけではない。
領地を護るためには、そういう者達も必要なのである。
……いわゆる、『必要悪』というやつである。
地球の先進国においても、情報部門という名のそういう部署は存在する。
「はい。何でも、とある貴族家に送り込まれた間諜達が捕らえられており、それらの者を送り込んだ貴族家の当主から謝罪と返還要望があれば返してもらえるのに、無視し放置している貴族家がある、という噂がその手の業界に広がっているようでして。
……あの、その、……そして、捕らえられている者達の中に、当家の者も含まれているらしい、と……」
仲間がある日任務で旅立ち、そのまま戻ってこない。
そして御当主様からは、何の説明もない。
そこにそのような噂が流れれば、暗部の者達がどう考えるか……。
危険を承知で就いた職であり、覚悟して赴いた任務である。死ぬことは、仕方ない。
……しかし、生きているのに。
謝罪すれば、返してもらえるのに。
仲間が、見捨てられた……。
しかも、残された家族には何の救済措置も取られていない。
遺族への恩給どころか、見舞金も、弔慰金も、一時金も、何も出ていない。
それどころか、残された妻や娘に対して、領主が手を出そうとしたという噂まである。
家族は、匿名の、謎の人物からの義援金により、何とか生活できているようであるが……。
いや、貴族が、それも当主がそう簡単に他家に頭を下げられるわけがない。
それはとんでもなく大きな負債となり、相手に頭が上がらなくなるという、貴族としては大きなデメリットを抱えることになる。
たかが平民ひとり、それも間諜などという使い捨ての下層民のために行うようなことではない。
それは分かる。分かっている。
……それでも。いくら分かってはいても。
その現実を実際に目の前に突き付けられれば、やはり落胆と忠誠心の低下は否めない。
そして、当主は他の者には明言していないが、暗部の者達は未帰還となった仲間の任務先が、あの雷の姫巫女様のところであることを知っていた。
何度も国を救った、救国の大英雄に対して間諜を差し向けた。
それも、情報収集だけではなく、捕らえられることになるような、攻撃的、かつ犯罪的な目的をもって……。
「知らぬ! 当家には、他の貴族家に対して間諜を放ったなどという事実は存在せぬ!
おかしな噂を流す者は、捕らえて厳しく罰せよ!」
「……は、ははっ!」
そして領主のその指示は暗部の者達に伝えられ、……忠誠心の急激な低下を招いた。
当たり前であろう。
雇い主は自分達も、そして残された家族も守ってはくれず、それどころか、妻や娘に手を出そうとする。
暗部の者達は横の繋がりにより情報を集め、同じく囚われた他家の間諜達の家族の状況を調べた。
本人に代わり、妻が給金を受け取っている家族。
妻が領主邸の下働きとして雇ってもらえ、子供もメイド見習いとして雇われ、読み書きを教えてもらっている家族。
殉職したとして、遺族に対し恩給が支払われている家族。
それらの情報を得た者達は、皆で相談し、準備を整え……。
そしてある日、その貴族家に仕える暗部の者達は一斉に姿を消した。妻子と共に……。
暗部の者達は、諜報や攪乱、その他諸々の、優れた技能を有している。
なのに、なぜか身分は低く、下賤な者達として扱われている。
昔、日本の忍び達も、下級戦闘員である足軽相当として扱われ、武士からは『農民に毛が生えた程度の者達』と看做されていた。
これは、諜報の重要さを認識していなかったのか、それとも、それらの者達が台頭してくるのを恐れ、身分的に押さえつけようとしていたのか……。
とにかく、暗部の者達を軽んじた貴族家はそれらの者達を失い、貴族家としての情報収集能力を大きく減じたのであった。
また、夫を失い困窮していた者達に匿名で援助している者の正体は、プロの手に掛かれば、すぐに判明する。
そして、なぜかヤマノ子爵家には様々な情報が集まり、ヤマノ家にとって都合の良い情報が流れることとなった。
……なぜか……。
* *
「……じゃあ、ここではこれだけね。次に行くわよ、ミツハ」
「う、うん……」
大人買い、……いや、爆買いとかいうヤツだ。
量産品の安売り店ではなく、そこそこ高いお店での、衣服の大量購入。
……既製品だけではなく、採寸しての、オーダーメイドも発注した。
これは、後日、私が受け取りに来なきゃならない。
自宅に配送してもらうわけにはいかないからね。
既製品は、何とかふたりで持って、人目に付かない場所で連続転移により日本の家に置いてくる。
日本でも、既に色々と買っている。
その後、転移で世界各地を回っているのだ。現在地は、フランス。
私が一緒なので、通訳を雇う必要はない。
……そう。ベアトリスちゃんへの補填として、2日間の買い物の旅を実施中というわけだ。
初めて見た時には凍り付いていた、地球の女性用下着も御購入。
それよりは随分とおとなしめの私の下着を見た時に、痴女呼ばわりしたくせに……。
そして、衣服だけではなく、アクセサリーや小物、その他諸々も買っている。
お金は、勿論、ベアトリスちゃんの自腹だよ。
こんなの払わされて堪るもんか!!
……でも、向こうの金貨を地球のお金に替えてあげると、換金レートのため金銭感覚的には4倍くらいに感じるんだよねぇ。
侯爵様やイリス様には内緒だから、貯め込んだお小遣いを全て吐き出したか、それともベアトリス商会で稼いだ分を注ぎ込んだか……。
でも、何か、サイズの大きいものも買っていたような……。
まさか、暴利価格でイリス様に売りつけたりはしないよね?
サビーネちゃんとコレットちゃんを加えた、3日間の『遊び回りの旅』は、既に終えている。
みんなで楽しむためには、サビーネちゃんとコレットちゃんも行ったことのないところへ行く必要があったので、色々と考えたのだ。
それで、行く場所を慎重に選ぶのではなく、手当たり次第に行くことにしたのである。
転移により移動時間を気にしないで済む私達は、一日で何カ所もの観光地を廻ることができる。
みんなが驚いていたのは、スカイツリーの展望デッキ、展望回廊、そして高精細望遠鏡とかだったよ。
いや、私ですら驚いたんだ、みんなが驚くのは当たり前か。
その他、京都、沖縄、北海道、そして国外の有名観光地で、まだサビーネちゃんとコレットちゃんを連れて行っていないところへ、片っ端から転移した。
景色以外は見るべきものがないところは、僅か数十分しか滞在しなかったよ。
いや、有名な山の頂上とか、メチャ寒かったし……。
薄着の上、手ぶらの私達を見て、登山していた人達がびっくりしていたなぁ。
保護されそうになったから、慌てて転移したんだけど……。
幽霊か魔女が出た、って騒ぎになってなきゃいいんだけどなぁ……。
まあ、そういうわけで、何事もなく少し時間的な余裕がある今のうちに、溜まっていた用事やら懸案事項やらを、順次片付けているのである。
手が空いているうちにやっておかないと、どうせまた、何かが起きて忙しくなるに決まっているからねぇ……。




