146 情報収集・夜の部 1
軍人君とは、前回と同じく、昼前に別れた。せっかくの外出日なのに、あんまり私が時間を潰させちゃ悪いからね。勿論、今回も支払いは私。私の都合で時間を潰させているのに、そこまで迷惑はかけられないよ。
そしてちゃんと、別れる前にプレゼントのナイフを渡しておいた。中身は教えないまま別れたから、後で開けて、喜んでくれるといいんだけど。
この国では、贈り物はその場で開けて礼を言う、というのが普通らしいけれど、別れ際に渡したから、そのままさっさと離脱したのだ。
軍人君は、今回もまた、次の約束とかをしたがったけど、そもそも自分の船の行動予定が下っ端には知らされていないため、約束のしようがないでしょうが。
そう言ったら、諦めてくれた模様。
まぁ、今回私が数日間待ち続けてでも会おうとしたこと、そしてその間に大勢に声を掛けられたけれど全て断った、ということを知っているから、少しは安心したんじゃないかな。
アレだアレ、『アイツは、もう俺の女だからな』ってやつ。
女の子は、男の所有物じゃないよ! プンプン!
で、まぁ、そのままさっさと転移で日本か領地に戻っても良かったんだけど、せっかく来たんだから、また前回と同じくお店を廻って市井の調査。こういう、地道な調査が大事なんだよねぇ、うん。……お店巡りは楽しいし。
……で、夜である。
今回は、夜の部の調査を行う。
準備は万端。海軍の上級士官の人からお勧めの場所と必要な情報を入手してあるのだ。伊達にパーティー巡りをしていたわけではない。大きなものを失ってまで、……いや、本当は、大きな脂肪が手に入ったわけだけど……、どうして腹ではなく胸には付かないのか!! ……いや、とにかく、大事なものを失ってまで手に入れた情報なのだから、有効活用しないと、失われた私のプロポーションが浮かばれない。くそ。
* *
かららん
一軒のバーのドアベルが鳴り、老齢のバーテンダーと数名の常連客達の視線が自然にそちらへと向き、……そして眼を剥いた。
ここは、むさい男達、特に海軍の軍人達がよくたむろする店である。それも、上級士官達がよく訪れるので、初級士官や下士官、一般兵達はあまり寄りつかない。誰が決めたわけでもないが、何となく、士官クラブのような立ち位置になってしまっているのであった。
そうなると、民間人もあまり寄りつかなくなってしまうが、艦隊基地がある軍港には上級士官の数が多いし、彼らは金払いがいい。そして彼らは酔っても暴れたり揉め事を起こしたりすることがないため、この店のオーナーである老バーテンダーはそういう客層の店であることに満足していた。
それに、そういう状態になってから既に数十年は経っているので、今更の話であった。
落ち着いた雰囲気の、紳士達の休息の場。
そこに、異物が侵入した。
その異物は、とことこと歩いてカウンターチェアーに腰掛け、飲み物をオーダーした。
「ミックスジュース、シェイクで。ステアは却下。オリーブはふたつね」
「「「「「「何じゃ、そりゃあああああああ!!」」」」」」
常連客達の間から、叫び声が響いた。
007を読んでから、いつか言ってみたいと思っていた、この台詞。
しかし、ミディアム・ドライ・ウォッカ・マティーニであれば様になるその台詞も、ミックスジュースでは台無しであった……。
ひくひく、と顔を引き攣らせながらも、バーテンダーは無言のまま仕事をこなした。
この店でミックスジュースなどというものを注文されたのは初めてであるが、そういう概念がないわけではないため、カクテル用に用意してある果汁を、己の勘を頼りに味を想像しつつ適量をシェイカーに入れて混ぜ合わせる。お酒抜きのカクテルだと考えればいい。
2種類の果汁を混ぜれば『ミックスジュース』と言えるが、バーテンダーはより良い味と香りを狙って、3種類の果汁を混ぜた。そして、振る。
振る。振る。振る。振る。振る振る振る振る振る振る振る振る振る!
モノがモノなので、容量の少ないカクテルグラスではなく、氷を入れたタンブラーグラスにシェイカーから注ぎ入れ、スッと無言でカウンターテーブルの上を滑らせてグラスを差し出すバーテンダー。
「お釣りは要らないわ」
グラスを受け取った『異物』は、そう言って、懐から取り出した硬貨を指でテーブルを滑らせるようにしてバーテンダーの前へと差し出した。
さすがに、常に沈着冷静なバーテンダーも、これには眼を剥いた。
差し出されたのは、金貨であった。感覚的には、日本における10万円相当の価値がある。
「キャプテン・ウェラルダルかよ!」
堪らず、つい、そう叫んでしまったバーテンダー。客に対して感情を露わにするなど、数年振りの失態であった。
「あら、それって、ティラドおじさまのこと?」
そして、平然とそう答える『異物』。
ティラド・ウェラルダル。
以前この街で軍艦の艦長を務め、戦隊指揮官になった後、王都へ栄転していった男である。
貴族であるが、名乗る時には、家名の前にそれを示す『ド』の文字を付けることはなかった。『軍人としての自分を表すのに、余計な修飾語は不要』と言って。
ウェラルダル大佐……今現在は少将であるが……は、なかなかの傑物であるが、唯一の弱点があった。それは、全くお酒が呑めないこと、つまり『下戸』であるということである。
酒が吞める、吞めないなどというのは、体質や遺伝子、体格、体調、病気などの様々な要因によるものであり、それが男らしさだとか付き合いだとかで強要されたり馬鹿にされたりする理由となるようなことではない。吞めない者に飲酒を強要することは、毒を無理矢理飲ませることと同じであり、その結果を含めて、傷害罪や殺人未遂である。
……時には、『未遂』の文字がない、文字通りの『殺人』となることも多い。急性アルコール中毒とか、泥酔しての事故、吐瀉物を喉に詰まらせての窒息とかで。
しかし、こういう時代の船乗りにとっては、男らしさ、イコール酒に強い、というイメージが強かった。それは、酒を呑む以外に自慢できたり他の者に勝てることがない気の毒な者達の、最後の心の支えなのであろうか……。
とにかく、『そういう業界』において、酒が呑めないウェラルダル大佐は考えたらしい。
他の者に馬鹿にされず、そして情報交換やネゴシエーションの場である酒場に出入りするには、どうすれば良いか、と。
そして実行したのが、『堂々とアルコールのない飲み物を注文する』、『注文は、酒を注文するが如く、恰好を付けて、殊更に拘り、通ぶって』、そして『お酒以上の大金を支払う』ということであった。
ウェラルダル大佐がこの店で初めて注文したのは、『ピュア・ミルク、ステアで。ライムは2滴』だったそうである。そして、支払いは金貨1枚、釣りは無し。
先程の『異物』の注文は、バーテンダーにあの男を思い出させるに充分であり、そして返された言葉が『ティラドおじさまのこと?』である。
「奴の関係者なのか?」
ここでは、客に敬語を使ったりはしない。客同士も、そして客とバーテンダーも皆平等であり、外界での職業や階級は、扉を開けて店に入った瞬間から店を出るまでの間は、何の関係も無くなる。
「娘や孫ってわけじゃないよ。単なる、この店の紹介者。まぁ、他にもホーヴェアルさんとかアリスムスさんとかケレバクターさんとかからも紹介されたけど……」
ぶばっ!
げほごほ!
店内で、何やらせっかくのお酒を噴き出したり咽せたりする音が続いた。
「海軍のビッグネームばかりじゃないか……。何者だ、嬢ちゃん?」
『異物』は、歓喜した。
(ま、まさか、いつか言ってみたい台詞シリーズの中の、アレを言える日がやってくるなんて!)
そして歓喜に震えつつ放つ、あの名台詞!
「ある時は彫刻家。またある時は商店主。そしてある時は貴族の娘。しかして、その実体は!
海軍とおじさま好きの女の子、ミツハさッッ!!」
「お……、おぅ……」




