高坂反省会
――その翌日。
俺は、終業のチャイムが鳴ってホームルームが終わるや否や、カバンを引っ掴んで教室を飛び出した。
目指すはD階段だ。
「よ……よし……!」
廊下を突っ切った俺は、僅かに息を弾ませながら、まだ誰も下りてきていないD階段を見上げた。
――と、カツカツと、階段を一段飛ばしで駆け下りてくる足音が、だんだんと近づいてくる。
そして――踊り場を回って、一階への下り階段に足を置いた諏訪先輩と目が合う。
「あ――」
既に、俺が階下で待ち構えているとは想像もしていなかったのだろう。諏訪先輩は信じられないモノを見たという顔で、一瞬その身体を硬直させた。
「……っ!」
が、すぐに表情を険しくさせると、その脚をカモシカのように動かし、三段飛ばしで階段を飛び降りる。
「あ……ちょ――!」
一際大きな音を立てて、階段の一番下に降り立った諏訪先輩は、衝撃を和らげる為に曲げた膝をすぐに伸ばし、俺の上げた声を無視して、勢いよく駆け出そうとする――
「ちょ……ちょい待った! 待って下さい、先輩ッ!」
――が、その動きはこっちも読んでいる。
先輩は、大きく両手を広げた俺に行く手を遮られ、戸惑うような表情を浮かべて足を止めた。
諏訪先輩が立ち止まったのを見た俺は、ここぞとばかりに声を張り上げる。
「待って! 行かないで! あの……話があるんです、諏訪先輩っ!」
「……私には無いけど」
諏訪先輩は、それだけ言うと、ずり落ちかけたカバンを肩に掛け直して、一歩前に踏み出した。
「……どいてくれないかしら。私、今日も帰るから――」
「そ……その前に、少しだけでもいいんで、話を聞いて下さい。……話っていうか、報告なんですけど」
「――!」
俺の言葉に、諏訪先輩は僅かに表情を変えた。
彼女は、俺から目を逸らすと俯き、微かに震える小さな声で言った。
「……べ、別に、報告なんて要らないけど。――おめでと、高坂くん。……良かったね」
「あ……そ、そのぉ……その事なんですが……」
俺は、困り顔で頬をポリポリと掻きながら、バツが悪い思いで胸を詰まらせた。
そして、
「――すみませんでした、諏訪先輩ッ! ダメでしたぁっ!」
「……え?」
叫びざま、深々と頭を下げた俺の頭の上に、諏訪先輩の呆気に取られた様な声が降ってきた。
「すみません……? ダメだったって……ええ? ダメだったの? 早瀬さんへの告は――」
「わぁ! ちょ、ちょい待った!」
驚きで裏返った諏訪先輩の声を、俺は慌てて遮った。
「あ……あの! ええとその……公共の廊下で、その話をするのはちょっと……」
「あ、そっか。……ごめんね、高坂くん」
俺の言った言葉を理解した諏訪先輩は、ぐるりと頭を巡らせて、階段と廊下に溢れてきた他の生徒達をちらりと見ると、俺に向けて両手を合わせ、謝ってきた。
俺は安堵の息を漏らすと、声のトーンを落として、彼女に伝える。
「――なので、詳しい話をしたいので、出来れば先輩に、部室まで御足労頂きたいんですが……」
「……え、ええ。分かった……」
俺の言葉に、諏訪先輩は小さく頷いた。
◆ ◆ ◆ ◆
「……なるほど」
文芸部の部室。
いつもの席に座って、いつものマグカップに注いだいつものブラックコーヒーを、いつものように一口飲んでから、諏訪先輩はいつもの様な静かな声で言った。
「――『間違えた』ねえ……」
「あ、ええ、まあ……」
諏訪先輩にいつもの様なジト目を向けられた俺は、いつもの様に身を縮こまらせて、いつもの様にコクンと頷く。
「告白の言葉を伝えるはずが間違えて、クリスマスイブに早瀬さんを誘う言葉を吐いてしまって、言い出せなくなったって事?」
「……ええ、はい」
「バカねえ……」
「……返す言葉もありません」
いつもの様な、端的で辛辣な言葉を投げつけられた俺は、長机に額を打ちつけんばかりに深々と頭を下げた。
「何だかねぇ……。まあ、高坂くんらしいちゃらしいけど……」
「う……」
諏訪先輩の歯に衣着せぬ言葉に、俺はぐうの音も出ない。
そんな俺を横目で見ながら、諏訪先輩はマグカップを持ち上げ、ブラックコーヒーを一口啜った。
そして、カップの縁から口を離し、ふうと息を吐くと、ちょこんと首を傾げる。
「でも、早瀬さん、良くオッケーしたわね。あんなに可愛い子だったら、お友達やら下心を持った男子達からのお誘いが引きも切らないでしょうに……」
「ま……まあ、そこら辺は、色々と事情が御座いまして……」
しどろもどろになりながら、言葉をぼかす俺。
早瀬が、俺の誘いに乗ったのは、『俺がシュウに告白するのを手助けする&その様を特等席で見届ける』という目的を果たす為なのだが、諏訪先輩にはまだ、『早瀬が俺とシュウの関係をどんなモノだと思い込んでしまっているか』までは話していない。
ペラペラと話すには、あまりにもナイーブな内容で、要らぬ誤解が伝播しかねないので、他の人には出来るだけ話したくない。……それは、諏訪先輩でも――いや、諏訪先輩だからこそ変わらない。
状況が変われば、先輩にも打ち明けざるを得なくなるのかもしれないが、今はまだその時では無い――と思う。
その辺りの事は、これからおいおい明かしていけばいいと思う――い、いや! さ、先送りして逃げてるとか、そんなんじゃないんだからね!
「ふぅん……」
だが幸い、諏訪先輩は『色々な事情』に対して深くツッコんでくる事もなく、怪訝な表情を浮かべただけだった。
先輩は、手に持ったマグカップに目を落としたまま、少しの間考え込んでいる様だったが、
「――ねえ、高坂くん」
顔を上げて、俺の顔をジッと見た。
「あ……は、はい……! な――何でしょう?」
諏訪先輩の黒い瞳に見つめられた俺は、緊張で胸の鼓動が早まるのを感じながら、背筋を伸ばして応える。
諏訪先輩は、少し逡巡する様な素振りを見せながら、抑えた声で言った。
「こ……この前言ってた、私があなた達についていって、高坂くんの告白の協力をするってやつなんだけど――」
「あ! そ……それは、もう大丈夫です、はい!」
俺は、諏訪先輩の言葉を途中で遮って声を張り上げた。
「え……?」
その言葉に、諏訪先輩は眼鏡の奥の目を大きく見開いて、意外そうな表情を浮かべた――。




