仰げば尊死(とうとし)
早瀬は、突然の諏訪先輩の謝罪に対し、戸惑った表情を浮かべていた。――多分、俺も同じ顔をしているのだろう。
俺は、思わず首を傾げながら、おずおずと諏訪先輩に尋ねる。
「あ……あの、諏訪先輩? 『私よ』って……早瀬の誤解の原因が――ですか?」
「うん」
俺の問いに、コクンと頷く諏訪先輩。
だが、俺には何の事か分からない。
「え、えーと……。何で、俺と早瀬の事に、先輩が関係しているのか……良く分からないんですけど……?」
「――早瀬さん」
俺が重ねた質問には応えず、諏訪先輩は早瀬に呼びかけた。
「あ――は、はい?」
突然名前を呼ばれた早瀬は、ビックリした顔をしながら返事をする。
そんな彼女に、諏訪先輩は質問を浴びせる。
「あなたが、高坂くんに無視されたって感じた放課後って……先週の火曜日の事よね?」
「え? え……と……うん、そうです。高坂くんと出かけた次の次の日だから……確かに火曜日です!」
驚いた表情を浮かべた早瀬の答えに、諏訪先輩は小さく頷き、「やっぱりね……」と呟いた。
そして、“先週の火曜日”というキーワードに、俺も何か引っかかるものを感じた。
何だっけ……確かに、何かあったような気が――。
「……確かに、その時、あなたが見た高坂くんは怒っていたわ。それは間違いない」
諏訪先輩は、小首を傾げながら、早瀬に言った。
その言葉に、早瀬はビクリと身体を震わせる。
「……やっぱり、高坂くんは、私に――」
「でも、彼が怒っていたのは、あなたにではないの。……高坂くんが、キャラが変わるくらいに怒っていたのは――」
「あ――ッ!」
俺は、唐突に理解した。何故、早瀬が『俺が早瀬に対して怒っている』というトンチンカンな勘違いをしたのかを――。
「“星鳴ソラ”か――!」
「え……? ほ、ホシナキ……なに?」
突然叫んだ俺の言葉の意味が分からず、早瀬は目を白黒させて戸惑っている。
そんな彼女の様子を見ていた諏訪先輩は、小さな溜息を吐くと、指で自分を指しながら言った。
「……“星鳴ソラ”っていうのは、私の事よ、早瀬さん」
「え? 先輩の……事?」
「……あー。これは、全部説明しないと駄目な感じなのね……」
諏訪先輩は、困ったような苦笑を浮かべると、眼鏡のブリッジに指をかけてクイッと上げると、覚悟を固めた顔をした。
「……まあ、元々は、私のせいでもあるか。――分かったわ。じゃあ、はじめから説明するわね……」
◆ ◆ ◆ ◆
「……という訳で、高坂くんは、私……投稿している作品を途中で投げ出しまくってる“星鳴ソラ”に対してお怒りだったって事。――だから、彼があなたに怒っているっていうのは、あなたの勘違いなの。……でしょ? 高坂くん」
「あ――はい! その通りであります、サー!」
俺は背筋を伸ばし、最敬礼の上で、諏訪先輩に向かって大きく頷いた。
戯けた仕草で返したが――俺の心の中は、諏訪先輩への感謝でいっぱいだった。
だって、そうだろ?
本来なら、諏訪先輩は、自分がウェブ小説家“星鳴ソラ”だという事を 可能な限り他人に明かしたくはないはずなのだ。でなければ、先週の火曜日に、淡泊な性格のはずの先輩が、あれだけ頑なに否定するはずがない。
……なのに、後輩の俺の窮地と見るや、自分の秘密がバレる事も厭わずに、進んで先週の顛末を話してくれたのだ。――俺に対する早瀬の誤解を解く為だけに。
控えめに言って神。いや、救世主だ。
思わず先輩の前に跪いて、
「救世主アアアアア! 我は誓う! 永久の帰依をぉ!」
と絶叫したり、
「祝え! 文芸部に降臨せし、ン我がぁ救世主の誕生をぉ!」
と盛大に言祝ぎたい気分だったが、そんな事をしたら、絶対にふたりにドン引かれるのが予測できたので、すんでのところで堪えた。
「……な、何? 高坂くん……それ?」
……あ、やべ。声が漏れてた……。
「…………ンウオッホォン!」
俺は、白けた顔のふたりを前に、凍りついた空気をわざとらしい咳払いでごまかし(ごまかせてない)、強引に話を元に戻す。
「そ……そう! そうなんだよ、早瀬さん! 多分、君が見たのは、“星鳴ソラ”の件を、諏訪先輩に一刻も早く問い質そうとして、部室へ急ぐ俺の姿だったんだよ! あの時は頭に血が上ってて、周りが全然見えてなかったから、早瀬さんがいた事にも気付かなかったんだ……うん」
――今思い返すと、廊下で行く手を塞がれた陽キャを睨みつけた時の、あの集団が早瀬の取り巻き連中だったような気がする……いや、多分そうだ。
とはいえ、そんな事は、さして重要な事ではない。
重要なのは――、
「……気付かなかったとはいえ、早瀬さんに嫌な思いをさせてしまって……ゴメン」
俺は、心から早瀬に悪い事をしたと思って、彼女に向かって深々と頭を下げた。
すると、下げた頭の向こう側で、早瀬が息を呑んだ気配がし、
「え……! う、ううん! 高坂くんが謝るような事じゃないよ! 頭を上げて、お願い……!」
そう、早瀬の言葉が耳に届くと同時に、俺の肩が押され、俺は顔を上げさせられた。
「――ッ!」
――ち、近いィッ!
顔を上げた俺の目の前僅か二十センチほどのところに、まるで名画に描かれた女神のような早瀬の顔があった。
そして、その黒目がちの大きな瞳が潤んでいる事に気付いた瞬間、俺の心臓が小粋な8ビートを刻みまくる。
「あ……あの……! は……早瀬……さんッ?」
「悪いのは……私だよぉ」
動転のあまり、思わず声を裏返す俺に、早瀬は言葉を絞り出すように言った。
「早とちりして、勝手に高坂くんに嫌われたなんて思い込んじゃって……。怖いからって、高坂くんに直接訊く事もしないで、そのままにして……。高坂くんの方こそ、嫌な気持ちだったでしょ? ――ごめんなさい」
……俺の肩に置かれた早瀬の手が、微かに震えている。
その事に気が付いた俺は――無意識に、彼女の手の甲の上に、自分の掌を置いていた。
「……だ、大丈夫。お――俺は、大丈夫だから――そんなに、自分を責めなくていいからさ。げ、げ……元気、出して」
「……ふ……ふ、ふええええぇぇえええ~……!」
俺の言葉を聞いて、何故か早瀬は、両手を顔に当てて、まるで子供のように激しく泣きじゃくりはじめた。
突然の事に、俺はパニックに陥る。
「え? えええ? あ、あの……早瀬――早瀬さん? あれ? ……何か俺、また何かやっちゃいました?」
「……馬鹿ね」
不様にキョどる俺に向けて、簡潔にして適切な言葉を投げつけてきたのは、諏訪先輩だった。
彼女は、パイプ椅子から腰を上げると、
「こういう風に女の子が泣いている時は、黙ってこうしてあげればいいの」
そう言って、早瀬の両肩に手を置くと、――そっと抱き寄せた。
「ふ……ふええええぇ~……!」
「うん、よしよし……。いっぱい泣きなさい。気が済むまでね……」
豊かな胸の間に顔を埋めて泣きじゃくる早瀬と、その頭を優しく撫でながら、まるで慈母のような微笑みを浮かべる諏訪先輩――。
…………すみません。
俺、ちょっとそこら辺で尊死してきていいっすか?
えー、今回の話では、色々な要素をぶっ込んでしまいました。完全に悪ノリです、ハイ(反省はしていない)。
取り敢えず、埼玉西武ライオンズファンと仮面ライダーファンの皆様にクスリとして頂ければ、自分は満足です(*´∀`)
あ。あと、百合。




