俺のそばに(必死)
早瀬の声を耳にしてから、俺の身体は硬直して、まるで石像にでもなってしまったかのように動かなくなった。
全身の血管がドクドクと喧しい音を鳴らしていて、俺の身体を小刻みに揺らしている。
扉の前で交わされる早瀬と諏訪先輩のやり取りに耳を欹てながらも、俺の意識は今にも吹き飛んでいってしまいそうだった。
と、諏訪先輩が困った顔をして、俺の方をチラリと見た。
(……どうする?)
彼女の口元が、そう動く。
俺は大きく頷こうとして――躊躇った。
早瀬は……一体、こんな所まで何をしに来たんだろうか?
俺が(正確にはシュウが)送ったLANEの返信も送ってこないくせに。
せっかく、まるでテレビの裏の配線みたいに、ゴチャゴチャとこんがらがった気持ちにスッパリハサミを入れ、恋を吹っ切った矢先に、勝手に現れた彼女に対し、俺は理不尽な怒りすら抱く。
「……」
そんな俺をジッと見ていた諏訪先輩は、扉の向こうへ向き直ると、
「……どうぞ。高坂くんは中に居るから、遠慮せずに入って」
引き戸を全開にして、外に立っていた早瀬を迎え入れた。
「な――ッ?」
諏訪先輩の急な行動に、俺は仰天して声を上げる。
「す――諏訪先輩! ちょ、ちょっとストッ――」
だが、俺の制止は一足遅く、先輩の招きに応じて、早瀬が室内に入ってきてしまった。
「あ……高坂くん……」
「……は、はや――?」
俺を見止めて、声を上げた早瀬の顔を見て、俺は言葉を詰まらせる。
胸の前で細い両指を合わせ、俯きがちな彼女の表情が、いつもの朗らかな様子とは打って変わって、固く強張っていたからだ。
「ど……どうしたの、早瀬……さん?」
そんな彼女の佇まいを見た瞬間、俺の先程までの怒りは、すっかり何処かへ飛んでいってしまい、思わず、彼女を気遣う声を上げる。
と、
「……じゃ、じゃあ、私は先に上がるから、と……戸締まりは宜しくね、高坂くん」
どことなく目を泳がせた諏訪先輩が、そう言いながらそそくさとタブレットと荷物を鞄に仕舞い、足早に部室を出て行こうとしていた。
「! ――ちょ、ちょっと待った、諏訪先輩ィッ!」
俺は大いに狼狽えながら、慌てて先輩を呼び止める。
「……い、行かないで……! お、俺と早瀬を二人きりにしないで下さい!」
俺は、先輩の前に立ちはだかると、小声で彼女に懇願した。
そんな俺に、諏訪先輩はほんのりと頬を染めつつ、チラリと早瀬の方を覗き見て言った。
「で……でも。なんか、込み入った話になりそうだから……。部外者は、気を利かせて、席を外そうかしらって――」
「い、いや! そんな余計な気なんか、利かさなくて全然良いですからッ! と……とにかく、一緒にいて下さいよぉ……」
俺は、恥も外聞もかなぐり捨てて、縋り付かんばかりに諏訪先輩に頼み込む。
だってそうだろ?
密室で早瀬と二人きりなんて……。
確実に、5分と経たずに俺の精神は崩壊する、間違いない!
切実に、誰か第三者に居てほしい――そう思った。
だが、諏訪先輩は、そんな俺の心中を慮る事も無く、ただただ困ったような表情を浮かべる。
「ええと……私は、男女の修羅場を覗き見する趣味は無いんだけれど……」
「シュ、シュラバ? いやいやいや、何を誤解してるんですか!」
俺は目を剥いて、首をブンブンと左右に振った。
「勘違いしないで下さいよ! 俺と……早瀬さんは、別にそういう関係じゃないですからっ!」
「え……そうなの? ――違うでしょ?」
必死に否定する俺に、疑いの眼差しを向ける諏訪先輩。
俺は、更に激しく首を横に振りまくる。
「違わないですって! 俺と早瀬は、ただの友達……か、それ未満です!」
そう、キッパリと言い切りながら、今度は何度も何度も頷きまくった。
そして、俺の心は、他ならぬ自分の吐いた言葉によって、ドリルで串刺しにされるような深刻なダメージを負い続けている……。
だが……、俺がそこまでハッキリと否定しても、諏訪先輩の疑いの顔は変わらない。
「……でも、ここ最近、あなたの様子がおかしかった原因って……彼女でしょう?」
「な……!」
いきなり図星を衝かれ、俺は陸の上に上がった鯉のように、口をパクパクさせる。
「い……いやぁ。そ、そんな事は――」
「嘘」
諏訪先輩は、俺の否定を一刀両断する。
俺は言葉とリアクションに窮して、彼女から目を逸らすしか無かった。
「…………」
「……」
「……………………」
「…………はぁ……、分かったわ」
だが結局、諏訪先輩は、黙りこくる俺に根負けした。不承不承といった様子で、その長い黒髪を漉き上げながら、ジト目で俺を睨んだ。
「まあ、確かに、星鳴ソラの件では高坂くんにお世話になってるしね。今回は、あなたの言う事を聞いてあげる。……でも、あくまでも、私は横に居るだけだからね」
「あ――あざす!」
「……あ、と」
諏訪先輩は、ハッとした顔をすると、ひとり蚊帳の外だった早瀬の方に顔を向けた。
「ええと……早瀬さん――だったかしら? 私がここに居ても大丈夫かしら? もし、アレだったら――」
「あ! 全然大丈夫です!」
先輩の言葉に、意表を衝かれたように目を見開いた早瀬はコクコクと頷いた。
それを見た諏訪先輩は、もう一度小さな溜息を吐くと、鞄を机の上に置く。
「す……すみません、諏訪先輩。助かります……」
俺は、ペコリと先輩に向かって頭を下げる。
諏訪先輩は、そんな俺を一瞥すると、何故か目を逸らしつつ、
「……まあ、いいわ」
鞄の中から、先程仕舞ったタブレットを取り出しながら言うと、ボソリと付け加える。
「……ドロドロの展開になったらなったで、その様を特等席で観察出来るんだから、作家的には美味しいしね……」
――て、おおおおおおぃいッ?




