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ソラと君のあいだに

 星鳴ソラ――。

 俺の口からその名前が出た瞬間、諏訪先輩の顔が引き攣った。明らかに狼狽している様子だった。

 しかし、彼女はタブレットへと目線を落として、囁くような細い声で言う。


「ほ……星鳴ソラ……? さ、さあ……誰かしら、一体?」


 ……ほう、まだしらばっくれるつもりか。

 だったら――。


「あれ、知りません? のべらぶ界隈でえらく有名らしいじゃないですか、星鳴ソラ? 先輩だったら、よ~くご存知だと思ったんですけど」

「……」


 ……今度はだんまりか。

 俺は、沈黙を保つ諏訪先輩に構わず、話を続ける。


「――星鳴ソラの作品で、とっても良いフレーズがあったんですよね。……えーと、確か、『転校生は大魔王の卵』の12話くらいに……」

「……!」


 俺は、これ見よがしにスマホを操作しながら、机の向こう側に座る諏訪先輩の様子をチラ見した。彼女は、俺の話がさも聴こえていなさそうに、一心不乱にキーボードを叩きまくっている。

 ……が、その耳がダンボのように大きく広がっている事は、とっくにお見通しだ。

 俺は、僅かに口の端を歪ませると、わざとらしく声を張り上げる。


「あー、あったあった! ここです、ここ」

「! …………あの、ちょっと――高坂く――」

「ここの描写が、物凄く耽美って言うかエロいって言うか……、それでいて、とっても綺麗な文章で、物凄くガツンとキたんですよね。……じゃあ、読みますね~」

「へっ? よ――読むって、一体――ッ?」


 普段の、冷静沈着が服着てキーボードを打っているような姿からは、とても考えられないような、テキメンに慌てた様子の諏訪先輩を華麗にスルーしつつ、俺はスマホの画面に表示された文を、声高らかに読み上げる。


「……『フランツは、いつもの尊大な様子が嘘のように、まるで道に迷った幼子のように身体を震わせていた。その事に気付いたジェシカは、フッと微笑むと、静かに彼の首筋に口を寄せ、そっと甘噛みする。その瞬間、えもいわれぬ快感が、彼の首筋から全身を走った。フランツは、「うっ!」と呻くと、目をギュッと瞑り、甘い息を吐き』――」

「い、いやああああああああっっ! も……もう止めてッ! 分かった……分かったからぁ!」


 諏訪先輩の上げた金切り声が、俺の朗読を掻き消す。

 俺がスマホから目を上げると、顔を茹でダコのように真っ赤に染めた諏訪先輩が、頬に両手を当てて悶絶していた。

 彼女は、眼鏡の奥の目の端に涙を滲ませながら、不承不承といった様子で頷く。


「……認める。認めるわよ……! 私が……星鳴ソラよ……うう」


 ◆ ◆ ◆ ◆


 「……すみません、諏訪先輩。ちょっと、調子に乗りすぎました……」

「……」


 一通り発狂して、ようやく落ち着いた諏訪先輩に、ブラックコーヒーのおかわりを差し出しながら、俺は軽く頭を下げた。

 だが、諏訪先輩はブスッとしたままで、俺から目を背けたまんまだ。


「……でも、先輩が悪いんすよ。さっさと、自分が星鳴ソラだって認めてくれないから、俺も“最終手段”を取らざるを得なくなったんですよ……」

「……だからって、作家本人の前で、濡れ場シーンの朗読は、やり過ぎ……」

「いや、でも、そこまでしないと、先輩は認めてくれなかったじゃ――」

「や・り・過・ぎ!」

「……スンマセン」


 諏訪先輩から、殺意の波動に満ちたジト目で睨まれて、俺は素直に謝罪する。

 ――と、諏訪先輩は、大きな溜息を吐いた。


「……で、私を星鳴ソラだと特定して、貴方は一体どうしたいの?」

「……」

「やっぱり、私が作品を途中で放り出している事に、面と向かって文句を言いたかったわけ?」


 そう言うと、彼女は哀し気な表情を浮かべて、寂しそうに微笑(わら)った。


「……さっき、怒ってるって言ってたものね、高坂くん。私が、作品をエタらせている事に――」

「違いますよ」

「……え?」


 俺が頭を振るのを見て、諏訪先輩は戸惑うような表情を浮かべた。


「……で、でも。――さっき、高坂くん、怒ってるって……」

「あ、はい。言いましたね、確かに」


 今度は素直に頷いた俺に、彼女の困惑顔はますます深くなる。


「え……ど、どういう事――?」

「だからですね……」


 俺は、一時(ひととき)忘れていた怒りの感情を思い出し、心の奥が沸々と熱を持つのを感じながら言葉を継いだ。


「確かに、夢中で読んでいた作品が、悉く途中でぶつ切りになっていて、結末が分からない事にも、少しは腹を立ててましたよ。でも――」


 俺は、沸騰したヤカンの口から噴き出す蒸気のように、充満した怒りのを溜息にして吐き出し、先を続ける。


「……そんな事が比較にならないくらいに、今の俺が本当にブチギレているのは、書く作品書く作品が途中で止まってしまう先輩……“星鳴ソラ”の方では無くて――」


 そう言うと、俺は手にしたスマホの画面をタップし、ウェブブラウザを開く。

 そして、目当てのページが表示された事を確認すると、諏訪先輩に見えるように差し出した。


「“星鳴ソラ”の事をロクすっぽ知らない癖に、馬鹿にして、中傷して、あげつらって……挙げ句の果てに、わざわざこんなフザケたスレを立てて喜んでやがる――こういう連中に、です!」

「……ッ!」


 俺の言葉を受けて、怪訝な表情でスマホの画面を覗き込んだ瞬間、諏訪先輩の表情も固まった。

 ――俺が持つスマの画面に映し出されたのは、国内最大規模を誇るネット掲示板『22(にゃんにゃん)ちゃんねる』内の、あるスレッドだ。

 そのスレのタイトルは、こうだった――。



 ――【悲報】のべらぶ作家・星鳴ソラ、またしてもエタる?【4ヶ月ぶり8回目】――



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