月を言い訳にしてる
「……じゃ、今日はこのくらいで解散にしましょうか」
「あ……はい」
諏訪先輩に声をかけられ、プロットのチェックに没頭していた俺は、ハッとして顔を上げ、慌てて頷いた。
ふと窓の外を見ると、ついさっきまでミカン色をしていたはずの空は、今はすっかりカラスの羽へと色を変えている。
「いつの間に、こんな時間に……」
俺は、プロットを書き記したノートを閉じて、カバンにしまいながら、ぼそりと呟いた。
「……あら? 何かやり残した事でもあるの?」
と、タブレットの電源を落とし、組んだ両手を頭の上にあげて伸びをしながら、諏訪先輩が尋ねてきた。
ひとり言を聞きつけられた俺は苦笑いを浮かべながら、こくんと頷く。
「ええ、まあ……。今日こそはプロットをまとめて、本文を書き始めようかなぁって思ってたんですけど、プロットをいじるだけで終わっちゃいました」
「……そうなんだ」
俺の答えに、諏訪先輩は心配げな表情を浮かべる。
――今、俺が向き合っている小説のプロットは、諏訪先輩……星鳴ソラの作品のプロットではない。
俺自身が書こうとしている小説のプロットだ。
そもそも、俺も文芸部員のひとりなのだ。
成り行きで四ヶ月ほどの間、『Sラン勇者と幼子魔王』と『愛と呼ぶには辛すぎる』という、ふたつの星鳴ソラ作品のプロット作りと構成に関わっていたが、本来は、俺も自分のオリジナル作品を執筆し、発表しなければならないという事だ。
――まあ、俺自身としては、このまま星鳴ソラ先生の“隠れ編集者”として、先輩の手助けをし続けていきたいという気持ちはあったのだが、『愛と呼ぶには辛すぎる』が見事完結を迎えた際、当の諏訪先輩に、
「私はもう大丈夫。だから高坂くんも、これからは自分の作品作りに集中して」
と、言われてしまったのだった。
そう告げられた俺は、「今まで通りでも、俺は別に……」と仄めかしてもみたのだが、『有無を言わせぬ』という強い意志が籠もった先輩の圧を前にしては、素直に頷くしか無かった……。
――そんな経緯があったからか、諏訪先輩は、俺のプロットの進捗を気にしているようで……
「……あんまり詰まっているようなら、一回プロットを見せて。私で良ければ、アドバイスするわよ」
「それは……星鳴ソラ先生としてですか?」
「……ううん、あなたが所属する文芸部の先輩として、よ」
「うーん……いや、やっぱり、今は止めときます」
少しの間だけ俺は悩んだが、微笑を浮かべて首を横に振った。
それを見た諏訪先輩の表情が曇った。
「あ……そう。うん……分かった。私のアドバイスなんか、要らないわよね……」
「あ! い、いいえ! そういう訳じゃなくって――!」
見るからに落ち込んだ様子の諏訪先輩に、俺は慌てて言った。
「そ、その……先輩のアドバイスが要らないとか、聞きたくないとか、そういうのじゃなくって――」
俺は口を動かしながら、胸中に浮かぶ思いを何とか意味の通った言葉にしようと、頭をフル回転させる。
「それは……今の不完全なプロットじゃなくて、もっと自分なりに精度を上げたものにしてから、先輩にチェックしてもらった方がいいかな……と思いまして」
「……そうなの?」
「はい……多分」
「何よ、“多分”って……」
先輩は、曖昧な俺の答えに呆れたと言いたげな表情を浮かべるが、小さく溜息を吐くとコクンと頷いた。
「まあ……分かったわ。じゃあ、高坂くんが自信を持てる出来になったら、私に読ませてね」
「あ、はい――」
俺は、諏訪先輩のプロットチェックに“執行猶予”が付いた事に深く安堵しながら、引き攣った笑いを浮かべながら言った。
「で……では、その節には、何とぞお手柔らかに……」
「別に、そんなに厳しくするつもりも無いんだけど……」
「先輩の“厳しくない”は、俺にとっては致死攻撃なんです」
「人の事を、RPGのラスボスみたいに……」
俺の返しに、ぷうと頬を膨らませる諏訪先輩。
と、頬に溜めた空気を細く長く吐き出すと、気を取り直すように言った。
「――はい、じゃあ、今日は解散。それじゃ、また来週ね」
「あ、はい。お疲れさまっした」
諏訪先輩の言葉を受け、一礼した俺は、引き戸を開けようと背中を向けた――その時、
「……高坂くん」
不意に、諏訪先輩に声をかけられた。
「あ……はい。何でしょう?」
名を呼ばれた俺は、何の気なしに振り返る。
「あ……」
そして、思わず息を呑んだ。
暗くなった窓の前に立つ諏訪先輩が、何やら思い詰めた様な表情を浮かべていたからだ。
「……」
「……」
俺と先輩の間に、重い沈黙が垂れ込める。それは数秒の事だったが、俺には数十分にも感じられた。――多分、先輩もだっただろう。
と、
「……ンッ」
諏訪先輩が突然、自分の口を掌で塞いだ。
「せ……先輩?」
諏訪先輩の行動に、慌てて声をかける俺。
俺の問いかけに、先輩は口を押さえたまま、小刻みに首を横に振り――ゆっくりと息を吐く。
……そして、口を塞いでいた手を放した時には、すっかりいつもの諏訪先輩の様子に戻っていた。
「あの……先ぱ――」
「高坂くん……明日のデート、頑張ってね」
「……あ……はい」
俺は、先輩がかけた言葉に戸惑いながらも、コクンと頷いた。
先輩は、俺が頷いたのを見て、ニコリと微笑み、言葉を重ねる。
「早瀬さんの事……幸せにするのよ」
「はい……」
俺は顔を上げると、ハッキリと言ってのける。
「もちろん、分かっています」
「あと……高坂くんも幸せになるのよ」
「はい」
「……よし」
諏訪先輩は、俺の返事を聞くと目を軽く閉じると、満足そうに深く頷き、くるりと俺に背を向けた。
先輩は部室の窓へと歩み寄り、窓枠に両手を置くと、背中越しに俺に言う。
「……高坂くんは、先に帰って。私は……少し、ここで空を眺めてから帰るわ」
そして、一呼吸おいてから、こちらに背を向けたまま、俺の耳に届くか届かないかの微かな声で呟いたのだった。
「――月が、綺麗だから……ね」
今回のサブタイトルは、CHAGE&ASKAのCHAGEが結成していたバンド『MULTI MAX』の名曲『月が言い訳をしている』から取りました。
諏訪先輩の告白回である155話『月が美しければ少しはましだろう』が、ASKAのソロ曲である『月が近づけば少しはましだろう』を元ネタにしていたので、それと対比させてみた感じです。
『月が言い訳をしている』も『月が近づけば少しはましだろう』も、いずれも名曲中の名曲なので、機会があったら、是非とも聴いてみて下さい!




