MOON ON THE SNOW
「ええと……。でも、じゃあ、何で?」
俺はふと、ある事が気になって、思わず早瀬に尋ねかけた。
「じゃあ……何で今日、これを……俺に?」
と、自分の掌の上にちょこんと乗っかっている青い袋に視線を落としながら、俺はおずおずと訊く。
「だって……あの日、北八玉子駅のホームで身を引いたのというのなら、どうして早瀬さんは、今日――俺に贈る為のバレンタインチョコを用意してきたの?」
「……ごめん」
「あ! ち……違う! べ、別に、早瀬さんを責めてる訳じゃ全然無いんだけど……!」
俺は、身を縮こまらせて謝ってくる早瀬に対し、慌てて手と首を横に振りながら言った。
「で……でも、何か気になったっていうか……。何が――君の心を変えたのかなぁ~って……。あ! で、でも、言い辛いんだったら、無理して言わなくても全然構わないけど――」
「それは……」
俺の問いかけに、早瀬は一瞬逡巡を浮かべるが、決断を固めたように表情を引き締めると、ゆっくりと口を開く。
「実は……少し前に、香澄先輩に呼び出されたの、私……」
「え……諏訪先輩に?」
「うん」
突然彼女の口から出た諏訪先輩の名に、戸惑いの表情を浮かべた俺に、早瀬は小さく頷き、言葉を継いだ。
「十日くらい前かな? お昼休みの時間、文芸部の部室に。――『少し、内緒のお話をしましょう』って」
「な……ナイショのお話――?」
う……うーん。何だか、そこはかとなく耽美な響きが……って、重要なのはソコじゃない!
確かに、昼休みの部室棟は人気も無く、“内緒話”をするにはうってつけではあるのだけれど……。
――一体、諏訪先輩は、早瀬に何を……?
「で……、諏訪先輩は何を――」
「――『高坂くんに葉っぱをかけたわ』……って」
「は――ハッパ……?」
「……うん。良く分からないんだけど、そう言ってた」
早瀬は首を傾げながら、俺の顔を見上げて尋ねかける。
「……高坂くん。何か、香澄先輩に落ち葉をかけられたりした事でもあったの?」
「あ……あぁ~、そういう意味じゃなくて」
ようやく合点がいった俺は、思わず苦笑しながら、首を横に振った。
「“ハッパ”は、“葉っぱ”じゃなくて“発破”だよ。山とかにダイナマイト仕掛けて、ドカーンって爆発させるやつ」
「ば……爆発ッ?」
俺の説明を聞いた早瀬は、その大きな目を更に大きく見開いて、小さく叫ぶ。
「え? じゃ、じゃあ……高坂くん、諏訪先輩に爆発させられちゃったの……?」
「……いやいやいや。爆発してたら、今頃ここにいないし! さすがの諏訪先輩も、“爆弾魔”の能力なんて持ってない……はずだから! ……多分」
更にとんでもない勘違いを重ねてくる早瀬に、思わずツッコミを入れる俺。
「“発破をかける”っていうのは、慣用句――喩え言葉のひとつで……分かりやすく言えば、『けしかける』とか、『背中を押す』とか……そんなニュアンスの言葉だよ」
「あ……たとえ言葉か……そっか……」
俺の説明に、眉間に皺を寄せながらしきりに頷いてみせる早瀬。……さも分かったと言いたげに、もっともらしくしきりに頷いているけど、多分良く分かってなさそう……。
「まあ……それは置いておいて」
俺は早瀬の様子に苦笑しながら、先を促す。
「諏訪先輩は……俺に発破をかけたって言って、それから何て――」
「あ……うん」
俺の問いかけに、早瀬は気を取り直すように頷くと、静かに言葉を継ぐ。
「香澄先輩は――バレンタインデーに、自分が高坂くんにチョコ……本命のチョコを渡すつもりだって、私に伝えてきたの。それで……その時までに、どうするか決めるようにって、高坂くんに伝えた――って」
「あ……そ、そうなんだ……」
「それで……香澄先輩は、もしも高坂くんが香澄先輩を選ばなかったら、その時は――」
そこまで言って、早瀬は一旦言葉を切った。
そして、その黒目がちの大きな瞳を微かに潤ませながら、再び口を開く。
「――『もう、私の事なんか考えないでいいから、今度こそ、あなた自身の気持ちに正直に行動して』……って」
「気持ちに……正直に……?」
「……何かね、香澄先輩にはお見通しだったみたい。――私の気持ち」
と、早瀬は、はにかみ笑いを浮かべた。
「その事で……叱られちゃった」
「し……叱られた? え、何で……?」
「――『自分の人生に関わる大事な事なんだから、他人なんかに気を遣って、身を引いたりしちゃ駄目』……って。――『そんな風に気を遣われても、全然嬉しくない』……だって」
「……そっか」
早瀬の言葉に、思わず俺は笑みを零す。
「何だか……あの諏訪先輩だったら、確かにそう言うだろうね。――ズバズバ言うからなぁ、あの人」
「でも……とっても優しい人だよ、香澄先輩」
「うん、もちろん……知ってるよ」
早瀬のフォローに、俺も力強く頷き返した。
「本当に他人思いで……優しい女性だよ」
そして、踊り場の窓越しに外を見ながら呟く。
「何だか……結局最後まで、先輩にはお世話になりっ放しだな……」
「うん……私も、だね」
俺の言葉に早瀬も頷く。
そして、
彼女は「コホン」と咳払いをし、それから改まった様子で口を開いた。
「え――と……。そんな訳で、私は自分の気持ちに正直に行こうと思って、手作りのチョコを持って来たの。『高坂くんに渡せればいいなぁ』って、思いながら……」
「う……うん」
どこか恥ずかし気に言う早瀬を前に、俺は鹿威しの様に、ペコペコと何度も首を上下させる。
「あ……ありがとうございます。お、俺なんかの為に……」
「しょ……正直、無駄になるかな~って、ほとんど諦めてたんだけど……。てっきり、高坂くんは香澄先輩を選ぶものだと思ってたから……」
「そ……そんな事、無い……よ!」
「え、そ~お?」
テキメンに慌てながら、首をブンブンと横に振る俺に、早瀬はジト目を向けてくる。
「だって、高坂くん。さっき自分で言ってたじゃん。『昨日まで、どっちを選ぶか悩んでた』って――」
「あ……」
……そういえば、確かにそう言っていた……。
俺は、塩をかけた青菜のようになりながら、早瀬に向かって深々と頭を下げる。
「あの……その……た、大変失礼をば、致しまし――」
「うふふ、冗談だよー」
早瀬はそう言って、クスクスと笑みをこぼす。
そして、俺に向かってペコリと頭を下げた。
「っていうか、私の方こそ、ごめんなさい。何か、意地悪な事を言っちゃって」
「あ……い、いやいや! 全然大丈夫っス、ハイ!」
「……ふふふ」
「えへ……えへへ……」
早瀬と俺は互いに顔を見合わせると、ぎこちなく笑い合う。
――と、
「……そうだ」
早瀬はそう呟くと、手に持っていたピンク色の包みをカバンにしまった。
それから、両手を首の後ろに回しながら、何やらしきりに動かしている。
そして、十秒後、
「……よし」
早瀬は満足そうな声を上げ、柔らかな笑みを湛えて、俺に尋ねる。
「――どうかな? 似合ってる……?」
「え……?」
突然の問いかけに戸惑う声を上げた俺だったが、早瀬が指さした自分の首元に、レオ奈ちゃんペンダントが銀色に輝いているのを見つけると、自然と笑みがこぼれた。
「……うん、すごく似合ってるよ」
「ありがと。……これで、お揃いだね」
「うん……そうだね……うん」
早瀬の言葉に胸がきゅんとするのを感じながら、俺は大きく頷いた。
「……」
「……」
「……高坂くん」
「……あ、はい」
「あの……あのね……」
早瀬は、僅かに震える声で、おずおずと言葉を紡ぐ。
「き……キレイです、ね」
「え……?」
「だ……だから……」
彼女は、頬を真っ赤に染め、大きな瞳を瞬かせながら、更に言葉を続けた。
「つ……月が……“月がキレイですね”……って」
「……あ」
その言葉が鼓膜を揺らした瞬間、俺は思わず息を呑んだ。……いや、肺も心臓も脳味噌も、全ての生命活動が一瞬停止した気がした。
「……あ、え、ええと……つ、伝わらなかったかな? 今の言葉の……意味……」
あまりの衝撃でフリーズした俺が浮かべていた、正に“鳩が豆鉄砲を食らった”様な表情に、早瀬はオロオロと狼狽え始めた。
「お……おかしいなぁ。――香澄先輩が『恥ずかしくて、どうしても伝えられないって時には、そう言いなさい。高坂くんなら意味が解るから』って言ってたのに……」
「……ふふっ」
メモリの足りないパソコンの様に、固まっていた俺だったが、その早瀬の言葉に、思わず吹き出した。
俺は口を手で覆って、込み上げてくる笑みを隠しながら、早瀬に大きく頷いてみせた。
「いや……大丈夫だよ、早瀬さん。――ちゃんと伝わったから」
「あ……う、うん。……良かった……」
と、俺の言葉に早瀬は安堵の表情を浮かべたが、後、耳の先まで真っ赤にして、顔を両手で覆う。
「――って! それはそれで……恥ずかしい~……っ!」
そう叫びながら悶絶している早瀬に笑みかけながら、俺は踊り場の窓に目を遣った。
外は相変わらずの雪模様で、月などどこにも見えやしない。
――だが、あの分厚い雲の向こう側に、月は必ずあるのだ。
俺は、雪空の向こうで輝く月の美しさを幻視してから、目の前で恥ずかしがっている、可愛らしい想い人へと視線を戻す。
「――早瀬さん。早瀬――結絵さん」
そして、静かに呼びかける。
そして、相変わらず顔を両手で覆っている早瀬が、「は、はい!」と返事をしたのを聞くと、彼女の瞳を真っ直ぐに見据えながら、ゆっくりと口を開き、
「――月が、綺麗ですね」
そう――彼女に、そっと告げたのだった。




