機内にて
単純なことだよオリバー、と彼女は言った。
私をちらっと睨んでから(あとで彼女に指摘したら「睨んではないけど、教師ができの悪い生徒に教える心境だ」と言った)なぜ私が事務員を食事に誘ったことがわかったのかを、次のように説明した。
「先生は一昨日、わたしから異質な、事件性を匂わせる相談を受けて、誰かの意見を聞きたいと思った。しかし、あの時点ではささいな疑問に過ぎないため、弁護士としては同僚に相談することはできない。一方で、先生は奥さんと離婚手続きを進めている(私は座席から跳び上がりそうになった)ので、女性を食事に誘うことに抵抗はなく、先生の視線からは受付の女性への好意が読み取れた。その後、電話越しの雑音からパブにいることと、食事の誘いを断られたこと、離婚のことで頭を悩ませてひどく酔っているとわかった」
「どうして離婚のことを?」
「左手の薬指の跡からつい最近まで結婚指輪をつけていた。また、今月になって二人とも引っ越して別居していることが法人の登記簿からわかる。あとは、不摂生が顔に出ているし、女性に対する視線からもわかる」
私は驚きと羞恥心で悲鳴を上げそうになったが、どうにかこらえた。
「それじゃあ、私がいるパブの場所はどうやってわかったんだ?」
「イギリス産のビターエールが旨い店として先生がSNSで写真を載せていたし、ついでに、二年以上イギリスに帰っていないこともつぶやいてた。ホームシックとはいかないまでも離婚の件もあって、休暇を取って帰郷したいと思っている」
「私がロンドンに帰るつもりだったこともわかってたのか!」
ヒースロー行きの便の中で、隣の席に座る今屋敷蜜に、疑問に思っていたことを尋ねたところ今のような驚くべき答えが返ってきた。別に驚くことじゃないと彼女は言った。
これを機に、私はプライベートなことをSNSに載せることが少なくなった。
「ところで先生にはまだ、わたしがロンドンに行く理由を話してなかったね」
彼女は英字で書かれた新聞を私の膝のうえに置いた。イギリスのデーリー・テレグラフ紙と死亡記事が書かれたタブロイド紙だ。
私が手に取ると、彼女は事件の概要を説明した。
「火災が発生したのは二日前の未明。場所はロンドン東部のスタンフォード・ル・ホープの民家。コリンガム消防局消防隊による鎮火後、現場からは焼死体が発見された。焼死体の身元は民家に住んでいた二十六歳男性と思われる。エセックス警察は、放火の疑いもあるとして捜査を開始した」
次に、タブロイド紙の記事。
「捜査の結果、出火原因はガソリンが室内に撒かれた後、火がつけられたものと判明した。出火箇所は一階の居室で、焼死体は出火箇所付近にあおむけで倒れていた。そして、居室西側の壁紙には謎の文字が一面に書かれていた。放火した犯人が何らかのメッセージを残した可能性がある」
「放火とは、物騒だね」 私は記事から目を離して彼女を見た。「謎の文字が書かれてたというのは本当だろうか?」
「うん、焼け跡からかろうじで読み取れたのは、大文字で、H・A・P・P・H・Lの6文字らしい。PとH、HとL、の間に空白があって一文字ずつ文字が入ると思われる。また、Lの後にも文字が書かれていた形跡があって、Iのような縦線がうっすらと残っている」
「しかし、タブロイド紙に書かれていることだし、真に受けない方がよさそうだ」 私は率直に感想を述べたが、彼女はこの事件について真剣に考えている様子だった。
「まさか、この事件に興味を持ってロンドンへ向かってるのかい?」
「わたしはニュー・スコットランドヤード本部に知り合いがいて、HOLMES2のデータベースを閲覧できるんだ」
「ホームズ?」 私は彼女の言葉を繰り返した。
「HOLMESは、イギリス警察が使用する情報技術システム(Home Office Large Major Enquiry System)の通称名で、言うまでもなく名探偵シャーロック・ホームズにちなんで付けられたバクロニムだよ!」
彼女の話はにわかには信じられなかったが、私は口にせず黙っていた。しかし、この事件を調べるためにロンドンへ行くのは本当のようだ。
端正な横顔をさらして物思いにふける少女を見ながら、今屋敷蜜とはいったい何者だろうか?と、私も考えずにいられなかった。




