流儀
老人が構えた杖から発射された銃弾は今屋敷蜜の左肩に命中して、その白い肌に空いた穴から真っ赤な血しぶきが飛び散った。
彼女はその痛みにうめき声を漏らして、私に突き飛ばされた勢いで床に倒れ込んだ。
かろうじで弾丸が急所から逸れたことに安堵しつつ、私はすかさず彼女の名前を呼んだ。
「大丈夫だよオリバー」との返事。
しかし、力なくだらりと下がった左腕と、身を起こそうとして苦労する今屋敷蜜の姿はとても大丈夫には見えなかった。
私は彼女に駆け寄って、背中を支えた。左肩からは血がしたたり落ちている。
「い、いったい、何を、したのだ?」
ロメロ老人がぜえぜえと息を切らせて、弱々しく体を横たえ、皺の刻まれた褐色の肌に点々と汗を浮かべて、震える声を絞り出した。さっきまで左手で握っていた杖は床に転がっている。
今屋敷蜜は傘を支えにして立ち上がって、ロメロ老人に一歩二歩と近づいた。
「車椅子ごと倒れた衝撃で右肩が折れているようだね、受け身を取れなかったんだ。わたしの左肩とおあいこといったところかな」
一人では身を起こすこともできずに、ロメロ老人は頭を持ち上げて彼女を見た。その表情は怒りと痛みで歪んでいた。
「行こう、オリバー。日本へ帰ろう」と彼女は言った。
倒れたロメロ老人をそのまま残して、『我が子を食らうサトゥルヌス』が飾られている展示室を出ると、すぐ目の前にムリーリョの扉と名付けられた本館出入口がある。
彼女は私の前を、痛めた左足と肩を庇いながら早足で歩いていたが、外へ出るとふらふらと柵へもたれかかった。「オリバー、すまないけど、貧血でこれ以上歩けそうにない。病院までおぶってくれないか」
「救急車を呼ぼう、そのほうが早い」
彼女は首を横に振った。「同じ病院に運ばれたくない。でも、あの老人のために呼んでおいてあげよう」
私は携帯電話でスペインの救急061へかけて「転倒事故で老人が骨折した」と伝えた。それから今屋敷蜜の華奢な体をおぶってタクシーを拾ってから、直接病院へ向かった。
車内では、彼女はハンカチで傷口を押さえて、ずっと目を瞑っていて呼吸も早かったが、声ははっきりとしていた。
「おばさんに怒られてしまうね」と彼女が笑った。「あの時、わたしには撃てなかった」
「アウレリアノ・ロメロのことかい?」と私は尋ねた。
「君が傘をあの老人の首に押し当てて、何かを射ち込んだように見えたけど」
彼女は頷いた。「この傘には毒が仕込まれていて、わたしはあいつを殺すつもりだった。でも、寸前になって、そのやり方でいいのかわたしは迷った。わたしの直感では、アウレリアノ・ロメロが組織の支配者だし、少なくとも重要な役職を務めていることに間違いない。おばさんならきっと迷わず殺しただろう」
「朱寧さんは、ゴアで別れ際にそう言っていたね」
「でも、わたしは彼女の手下ではないからね。自分が正しいと思うやり方をする。あの時、わたしたちを逃がすために盾になってくれた彼女に悪いとは思うけれど。老人を殺したあとで答え合わせをするような方法が正しいとはわたしには思えなかったんだ。きっと、同士たちが既にある程度の証拠を固めているだろうし、仲間のことは信頼しているけれど、これはわたし個人の問題だ」
今屋敷蜜は、そのあと、病院に着いて手術を終えるまで余分なことは喋らなかった。彼女の傷は、出血は多かったが、弾の威力が弱かったため後遺症はないようだった。数日入院することになったので、その間、私もマドリードに滞在することにした。
滞在中、椋露地朱寧から私の携帯電話に直接連絡が来た。彼女は、ゴアでの警官隊増援による攻撃を椋露地メルと協力して無傷で切り抜けて、その後、デリー警察本部がゴア警察の暴走を封じたため、元気そのものだった。
私がこの事件の顛末を説明すると、彼女はまず今屋敷蜜の容態を案じて、それから「蜜の判断を信じる、お疲れ様と伝えてくれ」と涼しげな声で告げた。
病院の真っ白なベッドの上で上半身を起こして、今屋敷蜜は「きっと方を付けてみせるさ、わたしの流儀でね」と決意を込めた瞳で私を見て、微笑した。




