離脱
「おばさんなら大丈夫だ、神出鬼没の怪盗みたいな人だからね」
椋露地朱寧から譲り受けた車に乗って、私たちはパリカールの別荘から離れた。
救急病院へディティ巡査を運び込んでから、ヤダフ巡査には本部へ働きかけてゴア警察の暴走を止めてもらうために、別行動をすることになった。
「スニラ、ありがとう。助かったのは君のおかげだ」と今屋敷蜜は別れ際に礼を言って、ヤダフ巡査と握手をした。
二人とも初めて会った時とは物腰が変わっていて、互いに相手を認めたように私は感じた。
「また二人になってしまったね」と私は言った。頼もしい仲間と離れて、心細い気持ちが全くないと言えば嘘になる。しかし犯人を捕まえなければならないという使命感もそれに比例して大きくなっていた。
それは今屋敷蜜も同様のようだった。
「ゴア警察の暴走が犯人の策略によるものなのか、それともオシリシュ・パリカールとの利害関係に端を発するものか、現段階では判断できない。オシリシュ知事に甘い汁を吸わせてもらっていた権力者は多いからね。しかし、あとはスニラとデリー警察に任せていいだろう」
「これからどうするんだい? 結局、招待状は無駄足だったし手がかりもなくなってしまった」
私は『我が子を食らうサトゥルヌス』に見立てて飾り付けられていたパリカール父子の死体を思い浮かべた。犯人が何のためにあそこまでするのか理解に苦しむが、二人の警官があの場にいてくれなかったら私たちが猟奇殺人犯にされていたに違いない。
「わたしにはこの絵が気にかかるんだ、招待状が罠じゃなかったとしたら、これが次の手がかりかもしれない」
今屋敷蜜は諦めきれないといった様子で、後部座席に積み込まれた絵画に視線を送った。
「プラド美術館には確認したのかい?」
「今からする」と彼女は携帯電話を取り出した。
プラド美術館はスペインの首都マドリードにある。インドとの時差は約三時間半遅れているから、現在のマドリードは午後三時頃だ。
私は本物ではなくて複製品だろうと考えていたので、運転をしながら、別荘に一人残した椋露地朱寧の無事を祈った。今屋敷蜜は大丈夫だと言っていたし、本人も平然としていたので不思議と深刻に感じなかったが、やはり心配だった。
椋露地メルに連絡を取って確認する方法もあったが、もし今彼女たちが危機的状況で邪魔をしてしまうことになれば取り返しがつかないため、それは思い止まった。
私たちはゴア国際空港に向かっていた。ゴア警察が待ち構えている可能性もあるので、そのまま搭乗するような真似はできないが、しばらくすればヤダフ巡査とデリー警察が私たちの身の安全を確保してくれるはずだった。
今屋敷蜜が通話を終えたので、私は「どうだった?」と尋ねた。
「うん、大正解だ! ヌエストロ・アーティスタの代理人を名乗る男と話ができた!」と彼女は興奮してはしゃいだ。
「え、今の電話でかい? プラド美術館にかけたんだろう?」
「そうだよ、つまりあの絵が次の手がかりだったってわけさ。しかし、この伝言ゲームにも飽きてきたね、そろそろ本人に会わせてもらいたいものだ」
あの「毒の色彩事件」に登場した人物の骨と死体を辿る、たらい回しのようなこの旅にどのような結末が用意されているのか、私は他人事のように気になった。
これまでの出来事を振り返ってみると、私は、死者の痕跡を追っているうちに自らが死者となってしまうような、不気味な感覚に捕らわれた。
ハリー・モリスの髑髏を辿って、彼が焼け死んだその場所で、私たちは爆発に巻き込まれて死ぬところだったし、私が撃ち殺したビシュヌ・パリカールの髑髏に招かれた先では、警官隊に襲撃されて蜂の巣にされるところだった。
これらの襲撃が、黒幕が意図したものではなく単なる偶然の結果なのだとしたら、運命という名の死神が私たちを手招きしているのかもしれない。
後部座席に置かれた『我が子を食らうサトゥルヌス』が導く場所では、何が待っているのだろうか。




