逮捕
今屋敷蜜は気絶した男のポケットから携帯電話を取り出して、男の指紋を使ってロックを解除したあと、データを閲覧した。
「この男の名前はジャスパー・スミス。通話履歴に『M』と登録されている人物からの着信が残ってる。おそらくチェルシー・ミラーだ」
彼女はパスワードを変更して、携帯電話を鞄にしまった。
続いて、男の荷物を開けて中身を調べた。中には拘束用の手錠とテープが入れられていた。
「ずいぶん準備がいいね、普段から荒っぽい仕事をしているようだ」と今屋敷蜜。
「わたしはこの男を隠せそうな場所を探してくるから、拘束しておいてくれるかい」と指示をして、ブースを出ていった。
私は言われたとおり、男に手錠を掛けて口を塞ぎ、足をテープで何重にも巻いて動けないようにした。
彼女はすぐに戻ってきて、男の拘束具合を確認した際に「これは記念に貰っていこう」と手錠が気に入ったらしく、代わりにテープで縛った。
ドアを少し開いて、人がいないのを確認したあとで急いで二人で気絶した男を引きずって、通路の先にある広い会議室の机の下に隠した。
その通路の突き当たりを左に曲がったところにスタッフ用の出口があったので、私たちはそこから脱出してエレベーターに乗った。
「うまくいったね!」
建物を出てタクシーに乗ってから、彼女が顔をほころばせて成功を喜んだ。
「まだ一部しか確認してないけど、この携帯電話は悪事を暴く証拠になる。犯罪を指示した記録が残ってるからね。ほかにも色々なデータが収集できそうだ」
「おつかれさま」と椋露地メルからねぎらいの言葉があった。
「データを洗うから、その携帯電話にこのアプリをダウンロードして」と彼女に指定されたアドレスから、椋露地メルがデフォルメされたアイコンのアプリ(今屋敷蜜いわくメル印のスパイアプリ)をインストールした。
「ジャスパー・スミスだけど、傘で殴らないでテーザー銃を使えばよかったんじゃないかい?」
私は今屋敷蜜の剣術を初めて見たが、目にも止まらぬ鋭い切り下ろしだった。しかし仕込みのステッキ傘とはいえ、傘を構える姿を見た時は少し心配になった。
「この傘が気になるかい?」彼女は片手で傘を掴んで、私に差し出した。
持つと見た目から想像するよりも重量があったが、重くはなく、男を気絶させる衝撃で殴ったにも関わらず、曲がったり破けたりはしていなかった。
「戦闘仕様の傘だよ。それに、どの程度の威力と角度で頭を殴れば気絶させられるかは熟知している。伊達に髑髏を彫ってはないということさ」
「計算ずくだったってことだね、驚いたよ」
彼女は私の言葉に満足そうに頷いて傘を受け取った。
「テーザー銃はステフィーに迷惑をかけてしまうからね。今回の件で一つ学んだことがある。イギリスで銃を使うのであれば、こっそりだ」
私は今の冒険について考えた。
ジャスパー・スミスはハリー・モリスを罠に嵌めたことをぺらぺらと自白していた。
そしてエリオットのことを仲間のような口ぶりで、カウンセラーのチェルシー・ミラーの名前を敬意を込めて呼んでいた。
「わたしの予想では爆破を計画したのはチェルシー・ミラーだ。あとは警察に任せて、わたしたちはインドへ飛んでもいいんだけど、一度彼女の顔を拝んでからにしようか」
そして私たちは、悪の組織の、エセックス州での幹部の一人と対面することになった。
ジャスパー・スミスの携帯電話のデータから住所を特定して、チェルシー・ミラーの自宅へ向かった。
彼女は四十六歳のアメリカ人で、グレーター・ロンドンの高層マンションに一人で住んでいた。
その時は私と今屋敷蜜だけでなく、本人の希望によりエセックス警察のスティーブン・ハリントン巡査長とその部下数名を伴った。
令状を持って乗り込んだ時には留守だったため、室内で二時間ほど彼女の帰宅を待つことになった。
その間に、スコットランドヤードからエリオットを空港で逮捕したとの連絡を受けた。変装もせず正面からヒースロー空港に入場して、あっさりと捕まったそうだ。
ミラー逮捕の指揮はハリントンがつつがなくおこなったので、私たちは見ているだけでよかった。
手錠をかけたあと、部屋から警官を全員退出させ、ハリントンが今屋敷蜜に尋問する時間を与えた。
「堅物と聞いていたけど、評価を改めなければいけないね」
別れ際に今屋敷蜜がハリントンに話しかけた。
「ギャランから聞いたのか? 彼女はまだ私のことがわかってないな」とハリントンは皮肉な笑みを見せて去っていった。
チェルシー・ミラーは観念して終始抵抗する素振りは見せなかった。
「ハリー・モリスにリシンを吸入させたのは過失による事故に見せかけるためだろう、どうやって吸わせたんだい?」
今屋敷蜜の尋問に、ミラーは「弁護士を呼べ」と要求したが、私はその場で黙って見ていた。
「わたしの予想では、睡眠薬で眠らせている間に吸わせたと考えているんだが、どうだろうか?」
ミラーはうつむいて沈黙した。
「ボスの命令に従わず、わたしたちをガス爆発に見せかけて殺そうとしたのはなぜだ?」と今屋敷蜜は問い詰めた。
この質問に、ミラーは顔を上げて怒りを宿した眼で今屋敷蜜を見て「お前らのせいで私は」と消え入るような声で、何度も同じ言葉を繰り返した。
「そう、君は組織に見捨てられた。ボスは絶対に捕まらない自信がある。なぜなら、君のように身代わりにできる使い捨てのとかげの尻尾がいるからだ」
ミラーは青ざめた顔で唇をふるわせた。目には恐怖と絶望が浮かんでいた。
「さあ、言うんだ、ボスの名前は?」
狂ったかのようにミラーは急に笑みを浮かべて「ヌエストロ・アーティスタ」と畏敬の念を込めてはっきりと告げた。
「いい気にならないことね、あなたみたいな小娘は、あの方の支配する闇のネットワークにかかれば社会的に抹消されておしまいよ」
「なるほど、あなたが言えば説得力がある」
今屋敷蜜はたっぷりと皮肉を込めて告げて、それがミラーに染み渡るまで待った。
「しかしわたしにも同士がいる。君の恐れるボスが、各国に根を張り政府上層部にも影響力を持つ犯罪者のネットワークを操るとしても、わたしたちが必ず真実を暴き、白日の元に晒して、そのヌエストロ・アーティスタの首に縄をかけて見せるさ」
その後の警察の捜査と尋問の結果、ミラーはモリスを眠らせてリシンを吸入させたことを自白した。
ただし、ミラーが首謀して実行した犯行であると頑なに主張し、組織の存在については一切語らなかった。




