罠
「私の妻がどのように殺されたかだって?」
突然の踏み込んだ質問に、私は受付兼相談員の正気を疑った。そして、改めてその男をよく観察した。
筋肉質で恰幅の良い体格で、浅黒い肌は汗で光っている。眼光は鋭く、禿げ上がった頭とは対照的に濃い眉毛は白くなりかけていた。
物腰はきびきびとしているが、どこか他人に威圧感を感じさせる態度だ。
犯罪被害者への配慮もへったくれもない質問だったが、今屋敷蜜から肘で脇腹をこづかれたため、私は咳払いをして演技を続けた。
「すみません、あの光景を思い出すと動揺してしまって。できれば話したくないのですが」
「よくわかりますよ、オリバー・オースティンさん。しかしこれは治療に必要なことなのです。さあ、殺された時の光景をようく思い出してください」
男は眉を寄せ口をへの字に曲げて、私のためにあえて心を鬼にしているといった風情で再度問いかけた。
また彼女から肘でつつかれて、私は男の顔を引っぱたきたい衝動を堪えて「妻は刺し殺された」と答えた。
「なるほど」
男は得心したように頷いて「ひどい暴行を受けたうえに、何度も刺されて殺されたんですな」とほざいた。
私は開いた口が塞がらなかった。これは何かおかしいぞと感じた。
「このブースは完全な防音になっているので、泣き叫んでも構わないですよ、オースティンさん。そういえば、ハリー・モリスはひどく取り乱していたなぁ」
男は愉快そうに笑みを浮かべていた。
そういえば、私はまだ名乗っていなかったのに、この男はなぜか先ほどから私の名前を呼んでいる。
突然、今屋敷蜜が立ち上がって、わざとらしく声を上げて笑った。
かと思えば、ステッキ傘で机に置かれた本と照明を横殴りに叩き落として、壁にぶつかって大きな音を立てた。
数秒、私と男は呆気に取られて沈黙した。
「なるほど、たしかに音は外に聞こえていないようだ。相談用にここまで高い遮音性は必要ない。別の目的のために作られたブースということだね」
男は我に返ったように姿勢を正して、笑い声をこぼした。
「ミラーの名前を聞いたとき、お前らだとすぐに気づいた。エリオットの間抜けは爆破にしくじったようだな、あの馬鹿が」男は舌打ちをした。
「チェルシー・ミラー? カウンセラーに何の関係があるんだ?」
「お前らのことはミラーさんから聞いていたよ、日本人の少女にイギリス人弁護士。お前らは我々の計画を邪魔した敵として有名になってるぞ!」
その発言のニュアンスからは、チェルシー・ミラーがこの男の上司であるように受け取れた。
「我々とは?」と今屋敷蜜。
今度は男が笑い声を響かせた。「知ってどうする? お前らはこれからテムズ川の底に沈むんだぜ」
男は禿げ上がった頭に青い血管を浮かび上がらせて、残虐に顔を歪ませ、握り拳で机を叩いて本性を現した。
今屋敷蜜は動じる様子もなく「ほう」と声を漏らした。
「状況は二対一、わたしは剣道に多少覚えがあるし、体格の良いオリバーもいる。君の仲間がここに何人いるのか知らないが、ブース内にカメラはついてないし、応援を呼ぼうにも声は外に届かない。なんなら今すぐこの傘で君の喉を突き殺すこともできそうだ」
男はさっと青ざめた。
「それに、テムズ川は干満の差が激しいからね。死体を隠すには向いてない」
獲物が思いがけず懐に飛び込んできて、自分の有利を確信していたに違いないが、男はようやく詰めの甘さを自覚したらしい。
がばっと椅子から立ち上がって、私たちに背を向けて男はドアへ向かった。
「オリバー、机だ!」と彼女が叫んで、机を押した。
私は即座にその意図を理解して、同様に全力で前方に押しやった。
机は音を立てて勢い良く移動し、部屋を出ようとした男をドアのある壁に挟んで身動きを封じた。
今屋敷蜜が痛めた足で跳躍して、机に立って、ステッキ傘を両手で構えた。
男は怒声を上げて迎え討とうと腕を振り上げたが、もはや罠にかかった獣に過ぎなかった。
彼女の鋭い一振りが脳天を直撃し、たった一撃で見事に白目を剥いてぐったりと上半身を机に投げ出したのであった。




