素性
エセックス警察の巡査に、事情を聞くからその場に留まるように指示され、通り沿いに停車した救急車の中で待機させられることになった。
今屋敷蜜の足を診てもらったところ、軽い捻挫ということだった。
ブーツを脱いで患部を冷やしながら、「少し痛むけど、走れるし問題ない」と彼女は言った。
「おっちょこちょい」と椋露地メル。
「そうは言ってもね、危機一髪だったんだ。わたしをオリバーみたいな体力自慢と一緒にしないで欲しいね!」と今屋敷蜜が答えたのだが、私はなんとなく馬鹿にされたような気がする。
私たちの荷物は、待たせていたタクシーに預けていたので無事だった。彼女は荷台から臙脂色の仕込み傘を取り出して「備えあれば憂いなしだよ、オリバー」と言って杖として使った。
「あの髑髏だけどね、おそらくビシュヌ・パリカールのものだ」
爆発によって完全に私の頭からは吹き飛んでいたが、瓦礫に埋まった二つ目の髑髏について彼女は説明した。
「インド人男性に見られる骨格をしていたし、わたしたちの事件に関わって最近死んだ者、さらに脳の代わりに男性器が詰められていたとなれば彼の素性を現していると見ていいだろう」
それで、私はあの演出の意味を理解した。
「あの眼窩に差し込まれていた、白い楕円形の物体は何だったんだろう?」
彼女は私をちろりと見て「金玉だ」と答えた。
「蜜、エリオットに動きがあった。飛行機のチケットを買ってる。家族を連れて国外へ逃げるみたいだ」
椋露地メルの報告に、「彼はもうおしまいだ、ずさんな計画に証拠も山ほどある。使い捨ての駒にされたんだろうね」と今屋敷蜜は冷たく言い放った。
すると、先ほど私たちに待機を指示をした巡査が近寄ってきて「君たち、エセックス警察本部から通信だ」と言ってすぐにその場から離れていった。彼は無線を受け取る今屋敷蜜を不思議そうに眺めていた。
「久しぶりだな、ハリントンだ」
無線から聞き覚えのある声がして、私は「毒の色彩事件」の際にエセックス警察本部で会った、スティーブン・ハリントンの面長な顔を思い浮かべた。
「あなたから直接連絡をいただけるとは。わたしたちに何か用事でも?」
「焼死体の件ではテロを止めたらしいじゃないか、大したものだな。この前は雑な対応をしてすまなかった」
以前の威圧的な態度ががらっと変わっていたので、私は驚いた。
「ステファニー・ギャランから事情は聞いた、ガス漏れによる爆発ではないようだな。市民の安全を脅かすこの爆破犯を捕まえるために協力しようじゃないか」
私は彼を信用していいのか疑っていた。敵の組織は警視庁に影響力を持っているという話だったので、ハリントンが敵の一味ではないという保証はない。
「爆破に関与した人物はわかっている、名前はエリオット・エルフィンストン。起訴に使える証拠はないけど、爆破を計画した記録ならある」
ハリントンは感心したように「ほう、聞いたことのある名前だな」と声を上げた。
「違法な証拠物でも構わん。重要なのは令状を取って捜索をした時に物証が出るかどうかだ」とうそぶいて「すぐに警官をエリオット宅へ向かわせよう」と無線が切れた。
私たちには帰宅の許可が出たので、二次爆発を警戒して市民が近寄らないよう見張りをしている警官に挨拶をして、現場を離れた。
今屋敷蜜はステッキ傘を地面に突いて左足を庇いながら歩いた。少しぎこちなかったが、大した影響はなさそうだった。
「メル、エリオットに指示をしていた人物について手がかりはあるかい?」
「エリオットとメールで連絡を取っていた人物は、必要最小限のやり取りしかしてなかった。パスワードを解読するには少し時間がかかりそう」
時間が経って警戒されてしまえば、証拠隠滅するおそれがある。
できれば警察がエリオット宅を捜索する前に、指示を出していた人間を突き止めたいと今屋敷蜜は考えているようだった。
「ところで、エリオットとハリー・モリスはどこで知り合ったんだろうか?」
「昔からの友だちというわけではなさそう。出身も職場も接点がないし、連絡を取り始めたのもモリスの恋人が死んだあとだね」
今屋敷蜜はふむふむ、と頷いて思案した。「恋人の死が知り合ったきっかけと仮定すると、医療か法律関係の現場だろうか。エリオットの行動範囲に該当するものはあるかい?」
「ん、蜜、遺族のメンタルケアをおこなう団体にボランティア職員として登録してるみたいだよ」
「よし! わたしたちはその線から調べよう。エリオットの逮捕はスコットランドヤードとエセックス警察に任せて大丈夫だ」
椋露地メルはその団体の事務所があるロンドン市内の住所を読み上げた。
この事件において、彼女が短時間で集めた情報は私たちの捜査を飛躍的に進めてくれた。まさに妖精の異名に相応しい能力だろう。
「よし、このまま乗り込もう。先手必勝だ!」
今屋敷蜜はそう宣言して、怪我した足でタクシーに跳び乗った。




