名義人
スコットランドヤードへの挨拶を終えて、私たちはいよいよ本腰を入れて捜査を開始することにした。
髑髏を贈った犯人の目的は不明で、手がかりもないに等しいが、今屋敷蜜によれば犯人の方からメッセージを残してくれている。それを探さなければならない。
白い石造りの庁舎を出て、タクシーに乗り、彼女は「とりあえずスタンフォード・ル・ホープへ向かってくれ」と運転手に行き先を告げた。
「事件現場へ行くのかい?」と私が尋ねると、彼女は「その前にエリオット・エルフィンストンに会いに行く」と答えた。
「ハリー・モリスの友人だね、一度直接会って話をした。彼が事件にかかわっていると思うのかい?」
私はエリオットの人相を思い浮かべた。
警戒心のない、肥満体型の、人の良さがにじみ出た男だった。その裏に悪意が潜んでいるとは私には思えなかったが、第一印象など当てにならないものだ。
そういえば今屋敷蜜は、エリオットの証言を聞いて、ハリー・モリスが社会に復讐をする動機があることに思い至ったのだった。
「彼は怪しい」と彼女は率直に言った。
「モリスは恋人を殺されたあと、仕事を辞め、自宅にこもり人付き合いを避けるようになった。当時の交友関係は、改めてメルに調べてもらっている最中だけど、エリオットは彼の自宅を度々訪問して面会していた数少ない人間だ。何か知っているに違いない」
彼女の推理によれば、犯人はモリスの復讐をそそのかして、さらに毒を盛った人物だ。私にはやはり、エリオットと狡猾な犯人像は重ならないように思えた。
「ハリー・モリスの身辺を洗ったよ」
タクシーで走行中、耳元に椋露地メルの細い声が響いた。
日本から発信された彼女の声は、スコットランドヤードを出てから今屋敷蜜が渡したインカムを通じて私の耳に届いている。
「さすが妖精メル!」と今屋敷蜜。
「ふふん、通話記録が何度も残っていたのは家族と、カウンセラーのチェルシー・ミラーと、エリオット・エルフィンストンくらい」
「たったの二人か、交友関係が少ないのはやりやすいね」
「気になったのは、火災現場の建物がすぐに売られて名義が変わってるよ」
椋露地メルからの情報に、今屋敷蜜は「ほう」と関心を示した。
「ありがとう、メル! わたしたちはその建物に行ってみる。メルはエリオットを調べてもらえるかい?」
「りょうかい」のあとに、ふあーと椋露地メルのあくびが聞こえて通話が切れた。
インカムを外して「聞いたかい?」と今屋敷蜜が私に呼びかけた。
「火災現場になったハリー・モリスの自宅は借家だった。大家は遠くに住んでいるということだったね。火事で人が死んだ家だ、手放したいと考えるのは当然だろう。しかしそんないわく付きの物件を事件直後のほとぼりも冷めないうちに誰が買ったというんだろう? これは不自然だ、何かあるよ。犯人が残した手がかりかもしれない」
今屋敷蜜は目的地を変更して、コリンガムロードのハリー・モリスが焼死した建物へ向かった。
そして私たちは、「毒の色彩事件」の始まりとなった事件現場へ二ヶ月ぶりに戻って来ることとなったのである。
私はタクシーを降りて、この場所で今屋敷蜜と一緒に見た夕日を思い出しながら、薄茶色の土壁で造られた二階建ての小じんまりとした建物を眺めた。
消火の際に破壊された玄関ドアが新しいものと交換され、割られていた一階の窓も修復されているが、それ以外は前回来たときと変わらないように感じられる。
室内の明かりは窓から確認できない。
建物はもう警察の管理を離れているし、売買されて名義も変わっている。となると勝手に入るのは不法侵入だ。
「新しい所有者が住んでると思うかい?」と私は尋ねた。
「わたしが考えている通り、売買が犯人の計略の一部なら中には誰もいないはずだ。そして――」
今屋敷蜜は玄関のドアノブを回して、押し開いた。
「ほら、鍵はかかっていない」




