出発
そして、翌週の金曜二十五時五十五分発の便に乗って、私と今屋敷蜜はロンドンへ飛んだ。
それまでの一週間で、私はプライベートで良いことがあって幸せな気持ちでヒースロー行きの便に搭乗した。
(この記録の読者は私の私生活には興味ないだろうから、ここから三十行程度は読み飛ばしていただいても構わない)
例によって彼女に「おめでとう、清水さんと正式に交際することになったんだね!」と見破られて、私はなぜわかったのか説明を求めた。
思い返せばこの頃の彼女は、自分は恋愛に興味ないと言いながら、私の色恋沙汰を目ざとく嗅ぎつけて突っ込みを入れていた。明らかに私の反応を面白がっていたのである。
「君の顔には幸福な出来事があったことがありありと表れているし、仕事で成功しても君はそんな顔はしないから、私生活のことだとわかる。それに、今回は危険な旅だし、前回の経験も踏まえて出発前に彼女に気持ちを伝えるだろうことは想像に難くないからね。でも、おそろいの指輪を買う時間はなかったようだね」
彼女が言い当てたとおり、私は最悪の事態に備えて、日本に帰れなかった場合の事務所経営と労働契約関係について事務員の清水夢衣可に折り入って話をした。
その際に彼女への好意を伝えるつもりはなかったのだが、もう二度と会えないかもしれないという事実は、彼女にとっても仕事上のことだけではなかったので、互いの気持ちを確認する機会になったのだ。
今屋敷蜜は何気ない様子で「彼女に財産を譲るという遺言まで用意してないだろうね?」と聞いたので、そこまではしていないと答えた。
私は当然、生きて帰るつもりだったし、清水夢衣可と話してからその意思はより強いものとなった。あくまで念のために話をしたに過ぎないのだ。
今屋敷蜜のその質問の意図を勘繰って、私はいささか気分を害して「まさか、彼女が遺産目当てで、私の好意を受け入れたと考えているのかい?」と問い詰めた。
今思えば、彼女は本気で聞いたわけではなかっただろうし、私も神経質になって過剰に反応していたと思う。
「オリバー、気を悪くしないで欲しい、わたしも彼女の君への好意は本物だと思うよ。しかしその時の感情に流されて遺言を書いていたとしたら、少々やりすぎだと思ってね」
「私も弁護士だからね、そんな話題になればさすがに怪しいと感じるよ」
「わたしは案外、君は自分のこととなると感情に流されやすいタイプだと思うけどね」
それについては私自身思い当たることがあった。この時は、彼女の言い分に納得したわけではなかったが、彼女と口論するつもりもなかったので、それ以上その話題には触れなかった。
機内ではそのほかに、今屋敷蜜から、学校に置かれた髑髏についての調査報告を聞かされた。
警視庁にいる彼女の知り合いに依頼して個人的に調査に動いてもらったらしく、校内の防犯カメラの確認をしたが、死角が多く、そもそも設置している数も少ないため、犯人らしき人物は映っていなかった。
一月以上前の出来事で日時も不明なため聞き込みも困難な状況だったにも係わらず、意外なことに、警視庁の友人に対して上司から調査を取り止めるよう圧力がかけられた。
彼女の友人が言うには、これは不自然で、偶然ではなく犯人の息がかかった人間が警察内にいるかもしれないとのことだった。
「敵は外国政府の末端捜査員の勝手な行動を止められるくらいには、影響力を及ぼせる組織ということだね。まあ、予想通り収穫はなしだ」
私は、彼女の足元に置かれている傘について尋ねた。仕込み傘という話だったが、見た目は高級感のある、アラベスク模様が織り込まれた臙脂色で、持ち手が鳥を象ったL字型になっているいわゆるステッキ傘だ。
搭乗前の保安検査に引っかからずに、彼女は何食わぬ顔で機内に持ち込んでいた。
「この傘は、手元から石突きまで特殊な機構になっていて、X線の検査をされてもわからないようにカモフラージュされている。一応言っておくと、中に刃物や火薬が仕込まれたりはしていないよ、適度に重さがあるから鈍器として使えるし、緊急時に身を守る役に立ってくれるけどね」
ヒースロー空港に到着したのは現地時間で午前六時二十五分。私たちは空港でのんびり朝食を取ったあと、ブラック・キャブに乗ってスコットランドヤードへ向かった。




