仕込み傘
「それでね、メル。今日押しかけた用件なんだけど、わたしが送ったメールは見たかい?」
私と椋露地メルの紹介を終えて、今屋敷蜜は本題に入ったようだった。
「うん」とメル。
私は彼女に提供されたティーカップに注がれた紅茶をひと口飲んだが、最高級のダージリンで入れ方も完璧だった。
「どうかな? おばさんの持つ情報の中に、髑髏を置いた犯人に該当するものはあるだろうか?」
椋露地メルは目を閉じて首を横に振った。
「そうか、おばさんの情報網にも引っかからないとなると、意外と規模が小さいのか、新興の組織かもしれない」
細いあごに手を当てて思案する今屋敷蜜に、椋露地メルは視線を合わせていたが、見かねたように口を開いて「実は」と言葉を発した。
「朱寧から、蜜に話さないようにって言われてる」
「おばさんがわたしに話さないようにだって?」今屋敷蜜は少し驚いたような表情を浮かべた。
彼女のそのような顔を見るのは新鮮で、実際、彼女が意表をつかれてそれを露骨に人前に出すのは稀なことだ。
「いったいなぜだろう、メル、おばさんは他に何か言ってたかい?」
椋露地メルはうなずいて、「芸術家の弱点は年齢ゆえにひとりで行動できないことだ、って」と文字を読み上げるような調子で告げた。
「まったく!」 憤慨して今屋敷蜜は立ち上がった。
「あのおばさんは、どうしてそんな嫌味を言うんだ、競ってるわけでもあるまいし! ねえ、メル」
彼女は子ども扱いされることをひどく嫌う。うろうろと絨毯の上を歩く今屋敷蜜と、主人との間で、板挟みになった椋露地メルはそれでも動じた様子はなく「わからない」と答えた。
今屋敷蜜が「そうなるとメルの協力を得ることはできないだろうね」と落胆を表明したが、しかし「いいよ」と椋露地メルは協力を了承した。
「いいのかい?」と今屋敷蜜。
「おばさんからわたしに協力しないように指示されてるんじゃないのかい」
「協力するなとは言われてない」
ファッジをぱくっと食べて「できる範囲で手つだうよ」と淡々と告げた椋露地メルに、今屋敷蜜はいきなり襲いかかって、ソファに押し倒してその胸に顔をうずめてもふもふして喜びを表現していたが、椋露地メルは無表情でもぐもぐと口を動かしながら、嵐が過ぎ去るのを待つように、天井を見つめてされるがままにしていた。
私は咳払いをひとつしてから紅茶を飲んで、部屋の内装を改めて見回した。
中世ヨーロッパ趣味で、天井からシャンデリアが吊られ、壁には二本の細身の片手剣が十字に掛けられている。
猫脚の書斎机の上に陶器製のパイプが置かれていて、それはまだ使用されているようだった。
一画に派手な貴族風ドレスが飾られていたが、実際に着用しているわけではないだろうと考えていると、今屋敷蜜は満足したらしく「ふう」と息を吐いて上体を起こした。
「それじゃあ、魔女の居ぬ間に退散するとしようか。そういえば、おばさんはどこに出かけているんだい?」
椋露地メルはソファに座り直して、ぐしゃぐしゃにされた赤髪を直しながら、「国外」と答えた。
「なんだ、それなら今日はここに泊まっていこうかな」という今屋敷蜜の申し入れを「仕事だから」と椋露地メルは断った。
今屋敷蜜はにやりと笑って、「それじゃあ、オリバー、帰るとしようか」と面接室を出て玄関に向かった。
靴に履き替えている最中、彼女は傘立てに置かれた一本の傘を見つけて、おやっと声を上げた。
「おばさんの仕込み傘じゃないか、置いていくなんて珍しい、いつも持ち歩いているのに。メル、これを持っていってもいいかな? 何度も頼んでいるのに、いつも断られるんだよ、オリバー」
「いいよ」と玄関まで見送りについて来た椋露地メルは答えたので、今屋敷蜜は嬉しそうにその傘を持ってドアを開けた。
「それじゃあ、メル、またね」と彼女は手を振って、私たちはメリーヴェール探偵事務所をあとにした。




