負傷者
絵野沢美知子と学修一は、一人で逃げ出した猪戸亜威を探しに向かった。
その前に、「携帯電話番号を聞いておくべきだった!」と推名探が後悔したように二人にも聞こえる大きさでボヤいたので、美術室を出る前に三人で番号を交換した。
彼女の行き先に心当たりはなかったが、「あの様子だとおそらく校舎内にはいないだろう」と学修一が言ったので、階段で一階まで下りて、北側校舎の昇降口まで移動して靴を履き替えて外へ出た。
辺りはもう閑散としてカラスが鳴いていた。
とりあえず校門まで行ってみようということになったが、二人が校門に着いても彼女の姿はなく、「もう帰っちゃったのかも」と絵野沢美知子が諦めがちにつぶやいた。
他に当てもなかったので、今屋敷蜜と剣持将人に肖像画の件を報告がてら髑髏の捜索を手伝おうと決めて、校舎の反対側にある裏門へ歩いた。
するとその途中で、猪戸亜威の後ろ姿が見えた。
彼女は地面にうずくまって、右手を上下に動かしている。
絵野沢美知子が遠くから「猪戸さん」と声をかけると、彼女は露骨にびくりと体を揺らして硬直した。
学修一が眼鏡の位置を几帳面に直して彼女を観察すると、前方に誰かが倒れていた。
「何をしているんだ?」
二人が歩み寄ると、そこには今屋敷蜜と剣持将人が身動きひとつせずに地面に倒れているではないか。
猪戸亜威は何故か右手にハサミを持って、左手で倒れた今屋敷蜜の髪に触れていて、その周囲の地面にはばっさりと切られた毛髪が散らばっていた。
「き、君は何をしているんだ?」学修一が驚いて尋ねると、彼女は狼狽して、「あ、亜威は何も、ただ、今屋敷さんの髪を切っていただけです」と答えた。
二人はこの異常事態に脳の処理が追いつかず、混乱した。
「なぜ髪を?」と絵野沢美知子が聞くと、猪戸亜威は両目をぐりぐり動かして両手をばたばたさせて「へ、へあ、ショートカットの方がかわいいと思いまして」と答えた。
二人は不審な言動をするこのスタイルの良い新入生の扱いに迷ったが、とりあえずそれは後回しにして、倒れている男女の状態を確認した。
どちらも息があり気絶しているだけだったが、剣持将人は仰向けに倒れていて、右手に竹刀が握られており、おでこに打撲の跡があった。
今屋敷蜜はうつ伏せに倒れていて後頭上部にたんこぶができている。
もう一本の竹刀は二人の間の地面に転がっていた。
絵野沢美知子と学修一は話し合って、下手に動かさずに安静にして、医務室へ先生を呼びに行くことに決めた。
絵野沢美知子が校舎へ走って、その間に学修一が猪戸亜威を尋問した。以下がその記録である。
「亜威は何も知りません。美術室のインド人の肖像画が怖くて逃げ出して、校舎から出たあとで、亜威は心細くなって今屋敷さんたちに会うために裏門へ向かいました。すると、今屋敷さんが初めから倒れていました(※)。剣持さん? はい、あの剣道部の方も倒れていました。亜威は急いで駆け寄って脈を測ったら気絶しているだけで安心しました。周囲に他に誰かいたか? わかりません。あ! いえ、でも、怪しい大男が物陰から見ていた気がします。どの物陰か? それは、わかりません。え、そのあと? 覚えてません。ハサミ? ええ、あれは、亜威のハサミです。なぜ今屋敷さんの髪を切っていたか? 覚えてません! きっとインド人が亜威に乗り移ったんです!」
(※今屋敷蜜による注釈:わたしはその時、気絶した剣持将人の容態をしゃがんで確認していた。すると、突然、背後から後頭部を殴られたように記憶している)
幸い、絵野沢美知子が医務室から養護教諭を連れてきて診てもらうと、二人とも目を覚ました。
その際、剣持将人と今屋敷蜜は何が起きたのか詳細を語ろうとせず、先生に「もう大丈夫です、ご面倒をおかけしました」とお礼を述べてその場を収めた。
ただ今屋敷蜜は、自分の切り落とされた黒髪を見て一瞬、悲しそうな表情を浮かべたのであった。




