脅迫文
決死隊に今屋敷蜜を加えた六人は、次の事件現場へ移動した。
第二の事件は、教室にある今屋敷蜜の机に彫刻刀が突き刺さっていたというもので、事件発生日は「毒の色彩事件」が起こった春休みに入る前のことであったため、彼女が二学年に進級する前に所属していた一年A組の教室が事件現場であった。
美術室のある校舎は敷地の西側で、一学年から三学年までの教室がある校舎は北側に位置していてL字型に接続している。
西側校舎三階の美術室から出た一同は、階段で一階まで下りて、直線の廊下を北に移動し、渡り廊下を歩いて北側校舎に入った。
そのまま少し進むと、「1-A」という表札が見えた。
ドアに鍵はかかっていなかったので、無人の教室にぞろぞろと入って黒板を背に教室を見渡すと、ロッカーを背景に整然と机と椅子が並べられていて、上級生の教室とはどこか違う新鮮なたたずまいを感じさせた。
「どの机だろう」と六人のうち誰かが言って、全員で並べられた机の中から問題の傷物にされた机を探すことになった。
おのおのが担当の列を決めて手前から奥に順番に机の板を調べていったが、絵野沢美知子が一番早く列の最後まで来て、折り返してこれまで背を向けていた黒板に視線をやると、悲鳴をあげた。
ほかの五人は何事かと、ぽかんと口を開けて立っている彼女を見たあと、黒板を振り向いた。そこには、白いチョークででかでかと『この恨み必ず晴らす』と書かれていたのだ。
六人が黒板に書かれた文字を読むための間が少し空いたあとで、まっ先に発言したのは、剣道部主将・剣持将人だった。
彼は背筋をぴんと伸ばした姿勢で「女々しい奴め!」と声を張り上げた。
その時の彼は武士道を絵に描いたような男で、剣道着姿で竹刀を二本腰に差していたのだが、このような姑息な嫌がらせをしたことが明るみに出るくらいなら自分なら腹を切るとでも言い出しかねない、と学修一は思った。
彼は銀縁眼鏡の中央に右手の人さし指を添えて、長身を少しかがめながら「これは今屋敷さんに対するメッセージでしょうか」と考えを述べた。
それに対して、「ちょっと待ってください」と推名探。
「僕たちがこの教室に来ることを決めたのは、ついさっき、美術室でです。黒板にこの文字を書いた人物はどうして僕たち、いえ、今屋敷さんがこの教室に来ることがわかったのでしょう?」
この疑問は、猪戸亜威にはもっとものように思えた。そこで彼女は、進級したことに気づかなかった外部の人間が、今屋敷さんがまだ一年A組だと勘違いして書いたのでは、と周囲に同意を求めた。
決死隊はその場で、この脅迫文についての意見交換を行ったが、納得のいく答えは出なかった。
全員の心のうちには「この中の誰かが書いたのでは?」という疑念があったが、しかし誰もそれを口にしなかった。
実際、六人でこの教室に入ってから絵野沢美知子が悲鳴を上げるまでの間、互いの行動に注意を向けていたわけではなかったが、誰にも気づかれずに黒板に字を書くのは至難の業だと思われた。
決死隊が意見交換をしている際中、今屋敷蜜は廊下側の壁にもたれかかって黒髪を指でもてあそびながら、興味深そうに五人を観察していた。
推名探はひとまず結論の出ない脅迫文のことは棚上げして、時間も限られているから机の調査を進めようと提案した。
それぞれが進めていた位置まで戻って傷のついた机の捜索を再開し、数分後にすべての机を見終わったはずだが、彫刻刀が刺さった跡はどこにも発見できなかった。
おそらく、新入生が入学して新学期が始まるのに備えて、問題の机はほかの壊れた備品とともに交換されてしまったのだろう、と学修一が眼鏡を持ち上げた。
結局、一年A組の教室で新たに得た情報は謎の脅迫文だけだったかに思えたが、推名探は思い出したように、学生鞄からプラスチックの丸いケースを二つと、引っ越しで使うようなビニールのテープ、謎の黒い棒、白と黒のシートを複数枚取り出して、「これは指紋採取セットさ」と説明して目を細めた。
一同は彼の言わんとすることを察して、黒板にパウダーを振りかけていくのを黙って眺めた。
それを待っている間、手持ちぶさたなほかのメンバーはお喋りをしたり、水を飲んだり用を足しに教室から離れる者もいたが、数分ですぐに戻ってきた。
十分ほど時間が経って、体中粉まみれになった推名探はようやく作業を終えて、教室の電気を消した。
薄暗い教室の中でブラックライトを黒板に照らすと、そこには無数の指紋が浮かび上がった。
彼は同じ人物の指紋をなるべく複数取らないように根気強く判別して、ビニールテープで採取したものをシートで挟んで保存した。
そのシートは合計で二十枚以上になった。窓の外はすでに薄暗くなっていたが、今屋敷蜜が彼に「お手柄だね!」と声をかけたので、推名探の苦労はそれだけで報われたのであった。




