死の赤
さて、いよいよこの一連の事件、つまりハリー・モリスの復讐劇の全貌を語る時が来た。
「モリスがいつリシンの毒に発症したのか?」 と今屋敷蜜は私に問いかけた。
私は考えて「モリスがビシュヌに毒を送った際にうっかり摂取してしまったのではないか」と答えた。
「リシンが発症するまでの潜伏期間は十八時間から二十四時間、そして発症してから死に至るまではおよそ三日、自力で行動ができなくなるのはずっと早いだろう。ビシュヌに毒が送られたのはモリスが死ぬ五日以上前だから、計算が合わない」
「モリスが毒を摂取したのは、ビシュヌに毒を送ってからもっと後ってことか」
「そう、それに、さっき説明したようにリシンはちょっとやそっとじゃ致命的になるほどの量を摂取することはできない。誰かから直接リシンの付着した針で射たれたり、大量のリシンに触れて肺から吸入しない限りは」
「つまり、モリスは誰かから故意に毒を投与された可能性があると?」
「その可能性はある。でも、わたしは別の経緯でモリスは発症したと考えてるんだ」
私は頭を振った。 「話が見えないよ、蜜」
「モリスが大量のリシンに触れたということさ。順を追って説明しようか、私が懸念を抱いたのは、友人のエリオットからモリスの精神状態を聞いたときだよ。怒りの傾向が強く、実際にビシュヌの暗殺を企て、実行に移していた。しかし、その対象がビシュヌに留まらずもっと広範囲に及ぶ可能性があるとわかったからだ」
「もっと広範囲だって?」
「そこでわたしは、スコットランドヤードにモリスの足取りを調査するように依頼した。ついでに焼死体の毒物検査もね、これは、もしかしたらと思ったからだ。そして調査の結果、モリスは頻繁にインドへ来ており、さらに、リシンが焼死体の肺から検出された。ここで私はほぼ確信した」
「いったい何を?」
「無差別殺人さ、リシンを無差別に散布する。それがモリスの復讐計画だった」
「なんだって!? そんな恐ろしいことを!」 私は驚愕した。
「その情報を元にインド警察には被害の防止とリシン精製工場の捜索に動いてもらった。スコットランドヤードが迅速に調査を進めてくれて助かったよ、インド警察に働きかけるには相応の根拠が必要だからね。わたしが現地調査に駆けずり回らなければならないところだった」
「ビシュヌに会ったのは、何のためだったんだい? 君の今の話だと、ビシュヌとは関係がないじゃないか」
「詳細は言えないけど別の考えがあってのことさ。気づいたかい? サングラスをしてたけど、わたしを見るあの目! おぞ気が走ったよ」
「私も気づいたよ」
「ふん! ああいう連中は単細胞の獣みたいなものだからね、思考を誘導するのもたやすい。話が逸れたね。それで、そうそう、さっきデリー警察長官から来た電話さ」
彼女は急いで話題を変えたがっているように見えた。
「インド警察には、わたしが前もって、トウゴマの生産農家から被害届が出ていないか調べるように助言しておいたんだけど、予想通りゴア南部にある農場の倉庫から大量のトウゴマが盗み出されていたことがわかった。大量のリシンを精製するには原料になるトウゴマが必要だからね」
「なるほど」
「その後は、盗難にあったトウゴマ農家の周辺からインド警察の地道な捜査でモリスの工場を発見したってわけさ。民家から離れて使われていなかった小さな工場をこっそり利用していたみたいだ」
「モリスの計画が明るみに出たわけだね。それでモリスは、一人でどうやってリシンを散布するつもりだったんだろう?」
「そこが、この計画の巧妙なところなんだ。モリス自身が散布する必要はない。インド国民が自分たちで毒を撒いてくれるんだから」
「それは一体どういうことだい?」
「ホーリー祭で投げつけ合う色粉にリシンを混入させたんだ。モリスの家にレッドサンダルウッドの粉末があったのを覚えてるかい? あれは赤色の粉だから、ホーリー祭でも使われるんだよ。工場には大量の赤い粉が残されていた。おそらくリシンを赤粉に混ぜる際に、飛沫したリシンをモリスは誤って吸入してしまったんだろうね」
つまりハリー・モリスがリシンの毒に発症したのは、本人の過失による事故だというのが今屋敷蜜の推理だった。
「あとは、リシン入りの赤粉を適当な場所に置いておけば、付近の住人が勝手に持って帰ってくれる。これがモリスの計画さ」
「驚いた! 君がテロと言っていたのも間違いじゃなかったんだね」
「ほかに質問はあるかい、オリバー?」
「モリスの自宅二階にあった冷凍庫は何だったんだろうか」
「あれは、リシンはたんぱく質性だから適切に保管しておかないと毒性が低下してしまうんだ。自宅で保管方法を試していたんだろうね」
以上が、今屋敷蜜と私が手掛けた「毒の色彩事件」のすべてだ。
「インド政府は国民に対して、今年のホーリー祭では赤色の粉を使わないように公式に注意を呼びかけた。リシンが混入されたのは赤色だけとわかったからね。さて、あとはインド警察に任せて我々は休暇の残りを楽しむとしよう」




