とある計画
結末を語る前に、彼女の言うハリー・モリスの一連の事件とは関係がないが、私たちの今回の休暇の締め括りにふさわしいある出来事について書こうと思う。
それから五日間はゴアで過ごした。
今屋敷蜜はほとんどホテルの部屋からは出ずにスーツケースから取り出した絵の具とカンバスで窓からの風景画を描いていた。
たまに一緒に二百メートルほど離れた場所にあるロックビーチまで散歩をして、ホテルのレストランで夕食を食べた。
ゴアでの生活は途中に起きた一つの事件を除いて私にとって素晴らしい休暇になった。
翌月に予定されている離婚調停に関して、パソコンの中にこれまで書き連ねて準備してきた私の主張をすべて破棄して、妻の主張をすべて認めるという内容の答弁書を東京家庭裁判所に国際郵便で送った。
滞在中はちょうどホーリー祭が行われていて見知らぬ人から何度も色の粉を投げられて服が何着かダメになったが、今屋敷蜜はそれでも楽しそうにしていた。
ホーリー祭は満月の日から開催される習わしで、この時期のインドはほとんど雨が降らないため、三日目の夜に彼女から天気がいいからビーチに散歩に行こうと誘われた。
ホーリー祭の最中でビーチまでの道には人もいたが、その時間になると色粉をかけられずに済んだ。
ロックビーチは名前の通りゴツゴツとした岩がむき出しになっていて、その夜は人影もなくわびしい印象だったが、その代わりに静かで満月の明かりがやけにまぶしく感じた。
ビーチ沿いの岩場を歩いて海辺を見下ろせる位置まで来て、彼女が急に「しまった!」と声を上げたので、私は驚いてどうしたのか尋ねた。
「オリバーに渡すプレゼントがあるんだけど、部屋の引き出しに忘れて来てしまったので取ってきて欲しい」
どの引き出しか聞いて、私は歩いてホテルまで戻った。
その時は彼女からのプレゼントと聞いて嬉しい気持ちがあったし、今屋敷蜜には遠慮がないところがあるので私が取りに行かされたことを特に変だとは思わなかった。
私は歩くのが速い方だが、その夜はのんびりと歩きたい気分だったので十分くらいかかってホテルの部屋に着いた。
彼女に指定された引き出しを開けて、その中にあったそこにあるはずのないものを見て私はひどく驚くと同時に、膨らんでいた期待は弾けてしぼんだ。
私宛のメッセージが入っていたので、それを読んで、私は全速力でロックビーチへ向かった。
彼女と別れた場所まで来ても姿が見えなかったので、名前を呼んだが、返事は返ってこなかった。
岩場を下りて海辺まで行くとインド人の男がうずくまって倒れているのを見て、私は彼女が襲撃にあったことを悟った。
そこまで時間は経っていなかったが、周辺を見渡してもほかに人の姿はなかった。
足元には多くの足跡が残っていたのでそれを辿った。
また一人男がのびていて、それを走り過ぎたところで数人の人影が見えた。
私は息を吸って彼女の名を呼んだ。
すると、オリバー、と声が聞こえてきて、私は先ほど部屋の引き出しからポケットに入れた拳銃を取り出して、空に向けて引き金を引いた。
射撃音が海辺に響いてから「彼女から離れるんだ」と私が叫ぶと、銃だ、と男の声が聞こえて、彼女を取り囲んでいた大勢の男が向こうへ駆け出した。
まだ数人その場に残っていて、その場に屈んでいた体格のいい人影が動くのが見えた。
「銃を持ってる、撃つんだ!」
今屋敷蜜の声が聞こえたので、咄嗟にその男に狙いをつけて引き金を引いた。
すると、その男はうめき声を漏らしてその場に崩れ落ちた。残った男たちも悲鳴を上げて逃げて行った。
その場に立っていたのは私だけで、銃を構えたまましばらくの間動けなかった。
彼女には傷一つなかった。
予想済みの襲撃で、計算外だったのはビシュヌ・パリカールが連れてきた人数だと今屋敷蜜は話した。
その辺の男なら、小学生の頃から武道を習わされていたので相手にならないと彼女は述べた。
私がビーチを離れて彼女が一人になったところを狙って、ビシュヌは拉致しようと襲ってきた。
応戦しつつ逃げながら、私が銃を持って戻ってくるまで時間を稼いだ。
あの銃が、彼女から私へのプレゼントだった。
引き出しに一緒に入っていたメッセージには、「安全装置を外すのを忘れるな」と書かれていた。
ビシュヌ・パリカールは、病院へ運び込まれたが死んだ。
私たちは警察の取り調べを受け、拳銃を持っていた理由を聞かれたが、あらかじめ今屋敷蜜から海辺で拾ったことにするように言われていたので、そのように答えた。
なぜか警察には怪しんだ様子はなかった。
ゴアの警察と裁判官はビシュヌの父親、オシリシュ・パリカールの息がかかっているが、事件が起こったロックビーチはゴア州からかろうじで外れた場所だったため、私たちは不正な手続きから逃れることができた。
あとは、ビシュヌがどうやって私たちの居場所を掴んだのかということだが、ディティ巡査からゴア国際空港へ向かったことを聞いたビシュヌが、空港で手下に待ち伏せさせて尾行させたのだろうと今屋敷蜜は語った。
彼女はそこまで計算していたのだった。




