インド神話
デリー警察長官のアクシャイ・シュリヴァスタヴァはその表情から感情を読み取れない男だった。
褐色の肌に白い髪と口ひげを生やして、インド警察のクリーム色の制服と警帽を身につけ、その肩には、インド連邦直轄領の要所であるデリー警察で最高ランクであることを表す記章(交差した剣と国章であるアショーカの獅子柱頭)がつけられていた。
彼の、くぼんだ黒い大きな瞳がやけに印象に残った。
「ご協力感謝します」
シュリヴァシュタヴァ長官はスコットランドヤードから派遣された少女、つまり今屋敷蜜を見ても動じた様子もなく敬礼した。
「あなたがテロを事前に察知されたとうかがっています。助言いただいた通り、各署には警戒に当たらせている」
この時の私の驚きようと言えば、きっと顔に出てしまっていたに違いない。
彼女はスコットランドヤードを通してインド警察を動かすために、テロを口実としていたのだ。
私の知らない事実を彼女が掴んでいるのか、それともまったくの口から出任せなのか、私には判断が付かなかった。
「わたしもできるだけのことをします」と言って彼女は敬礼を返した。「それで、ビシュヌ・パリカールと話をしたいのですが」
「保釈中の身なので今は自宅にいるでしょう。やつは危険な男です、特にあなたのような若い女性は格好のターゲットだ。念のため付き添いをつけましょう」
すると、長官の後ろに立っていた若いインド人の男が勢いよく敬礼した。
「マドハヴァディティア・パドゥコーネ巡査であります、以後お見知りおきを!」
ちなみに、これまでの会話はすべて英語で行われている。
インドはヒンディー語が公用語であるが英語も準公用語となっているため、都市部では専門的な会話を除いて、大体の場合において今屋敷蜜にも英語で意思疎通が可能だった。
結局、今回の旅において私の通訳としての役割はなかったのだった。
私たちはマドハヴァディティア巡査とともに、ニューデリーの高級住宅街の一つであるディフェンスコロニーにあるパリカール邸へ向かった。
名前が長くて呼びにくかったため巡査の許しを得て、私たちは彼のことをディティ巡査と呼ぶことにした。
デリー警察本部からディフェンスコロニーまでは十五分足らずの距離だったが、その道中、車内でディティ巡査から興味深い話を聞かされた。
今回の事件と因縁が深いホーリー祭の由来となるインド神話についてだ。
自分のことを神様だと思い込んでいたある傲慢な王様が、ヴィシュヌ神に傾倒し熱心に崇拝する息子のことをねたみ、殺害計画を立てました。
そこで、王様は魔女であり決して燃えることのない妹のホリカと息子を、火の中に誘惑し、息子だけ焼き殺そうと計画を立てました。
しかしその計画は失敗。
息子はやけど一つしませんでしたが、ホリカは焼け死んでしまったのです。
息子はホリカの死を悔やみ、その年の収穫物を燃やして出た灰をホリカの死体に振りかけたといわれています。
その伝説が、体に色の粉をかけ魔を追い払い、春の到来と収穫を祝福する現在のホーリー祭の風習に繋がったのです。
ディティ巡査はそこで一呼吸置いて、淡々と告げた。
「ビシュヌ・パリカールは神話に出てくる息子みたいなやつだ。悪事をはたらいても権力に守られ、運もビシュヌに味方して毒物からも助かった。たとえ神様だろうと奴を裁くことはできないんだ」




