第8話 追想の篝火
パチパチと篝火が音を立てる。
辺りは既に暗くなり、夜の帳が下りている。
向かいにはヒノカが膝を抱えて座っていた。
周囲への警戒はしているだろうが、ずっと俯いて塞ぎ込んでいる。
河口に陣取り、俺とヒノカは見張りを担当していた。
ロンドは少し離れた木陰で休んでいるはずだ。
「何事もなく終わると良いな」
「…………」
返ってきたのは静寂だった。
この至近距離だ。聞こえてはいるだろうが無視されている。
アンドラ大森林に来てからというもの、というより、あの日以降、ヒノカはずっとこんな調子だった。何度か話しかけてみるのだが、まるで相手にされていない。
「なぁ、ヒノカ。俺達これで最後なんだ。最後くらい楽しくやらないか?」
ヒノカがゆっくりこちらに虚ろな視線を向けてくる。
「……なに……最後って……」
反応が返ってきたことに少しだけ嬉しくなり、言葉を続ける。
「言っただろ。このクエストが終われば俺はパーティーを抜ける。だからこれがヒノカとの最後のクエストになるんだ」
「…………」
今度は返ってこない。沈黙をかき消すように重ねる。
「憶えてるか? 2人で初めてのクエストに行ったとき、単なる薬草の採集なのに俺達、森の中で迷って、そのときもこうして2人で篝火を囲んでいたよな」
それは遙か昔の記憶。だが、ヒノカとの日々は俺にとって掛け替えのない思い出だ。
ヒノカのことが好きだった。だからこそここまで来れた。
「危険の少ない場所だったから良かったけど、どうなるのかヒヤヒヤしたよ」
「クレイスが悪いんでしょ……地図の読み方も分からないなんて」
「それはヒノカもだろ?」
自信満々に私に任せなさい! と言いながら進んでいくヒノカについていくと、それは目的地とは大きくかけ離れた場所だった。地図が読めなかったから勘で進んでいたらしい。冒険者にあるまじき大失態であり、なんとも無謀な話だ。
だが、そんな経験を幾つも積み重ねてSランクパーティーと呼ばれるまでになった。
ヒノカにフラれ、このクエストを最後に俺は冒険者を辞めるつもりだが、それだけは誇っていいだろう。
「これからも応援してるよ。ヒノカならきっと何処までもいけるさ」
「なん……で? どうしてそんなことが言えるの……クレイスはそれで良いの?」
良い訳ないだろ!
と、叫びたかったが、俺にその資格はない。
あの日、いやそのずっと前から、ヒノカが俺に冷たく返すようになっていった頃から、こうなる運命だったんだろう。
「ヒノカが俺を嫌ってることは分かってる。でも、俺はそれでも――!」
「分かってない、クレイスは何も分かってないよ! ずっと私だけだったのに……私だけがクレイスの傍に居たのに!」
ヒノカが激高して立ち上がる。
不味い、森の中で大声を上げるのは危険だ。
俺も立ち上がり、慌ててヒノカに近寄る。
「ヒノカ落ち着け。ごめん昔の話なんて嫌だったよな。変なこと思い出させて悪かった」
「クレイス、私達の12年間は何だったの? 教えてよ! 私は貴方の何なの!?」
慌てて宥めようとするが、それは逆効果だった。
「だから落ち着け! こんなところで大声なんて出したらどうなるか分かるだろ?」
「……もう嫌だよクレイス、こんなに苦しいのはもう耐えられない!」
更に一歩、ヒノカに近づく。
「――来ないで!」
ヒュンっと、目にも止まらぬ速さで白刃がきらめいた。
「――ッツ!」
それがヒノカが咄嗟に振るった短剣であることに気づいたときには、俺の右腕は真っ赤に染まっていた。拳を握ってみる。傷は浅いようだが、だからといって放っておいて良いものでもない。腱が切れてないのが幸いだが、回復ポーションを使う必要があるだろう。
「……う、うそ!? ……なんで……どうして……私……が……クレイスを……」
ヒノカは茫然自失となり、短剣を取り落とした。
自分がしたことが信じられないとばかりに動揺している。
「いつから、こんなに嫌われてたんだろうな俺。楽しくやれてたと思ってたんだ。クソ……俺の独りよがりな勘違いだよなそんなの。俺もう行くよ。ここに俺がいると、嫌だろ?」
「ちが、違うのクレイス……ごめんなさい……悪いのは私で!」
「もういいんだ無理しなくて。極力ヒノカには話しかけないようにするから許してくれ」
「――だから違うの! そうじゃない!」
ここまで嫌われているのならもう言葉は届かないだろう。
離れるしかない。
いつからか、俺とヒノカの道はすれ違っていた。
「クレイス、どうして裏切ったの!? 私は、私はクレイスのことがずっと好――」
背筋にゾクリと悪寒が走った。
「――魔物の気配だ! かなり多いぞ! こっちに向かってる」
ヒノカが何かを言いかけていたが、俺達の下に複数の魔物が近づいてきていた。
「ロンドに伝えてくる! ヒノカ、君は安全な場所まで走れ!」
俺はヒノカを振り返らずに走り出した。




