第74話 そして世界を見捨てた
促されるままゼオルに着いていく。目的の場所には場所にはシロツメクサが咲いていた。その中にひっそりと小さな墓標が置かれている。
「生憎と止めきれなくてな」
「そうか」
何がとは聞かなかった。ゼオルが何を語ったとしても、それは既に終わったことだ。2年の間に何があったのか、その答えなど別に求めてはいなかった。
クレイスがこの場に来たのは、あることを伝えに来たからだが、恐らくそれはゼオルが描いていたシナリオから逸脱している。
「実際に死体が埋まってるわけじゃない。目の前で自壊して消えていったよ。それを知ってるのは俺だけだ。骨でも残ってれば少しは違ったんだろうが……。ま、それでもな。気分みたいなものさ」
「お優しいことだ」
何処までも甘い隣にいる男が悪役を担うのは無理があるのではと、そんな益体もない考えが思い浮ぶ。
「寿命を対価にした強制的な成長。だがそんなものは生命への冒涜だ。だが未来を失っても滅ぼしたかった。この世界の全てを憎んで嫉んで壊したかった。誰かの幸福が許せなかった。自分さえも。それは覚悟さ。否定なんてできねぇ」
ゼオルは自嘲する。クレイスが見てこなかった2年間を見てきたのはこの男だ。ならばこの場に自分がいるのは場違いなのではないかと感じる。何故なら自分は何も関わってこなかったのだから。
「どういうことだこれは? おかしい。女神の代行者足るお前は【剣神】と同じように俺を殺すはずだった存在。俺が世界を滅ぼし、お前が俺を殺す。それが規定路線だったはずだ。だからこそ俺とお前は交わることはない。俺は立ち塞がるお前を殺し、俺を殺す役割はもう一度全ての種族に委ねられる」
「知るかよそんなもん。ぽっと出のラスボスなんか誰が望むんだ」
「アリスの破壊は俺の手に負えるものじゃなかった。憎悪に身を焦がし世界を呪った。俺が果たすべき役割はアリスのものとなり、過剰に世界を焼いた。そして俺はお前と同じようにこの2年何もしてこなかったのさ。いやできなかった。アリスの覚悟を邪魔したくなかったんだ」
目の前の墓標に眠るのはアリス。
その姿をクレイスは知らない。
だからだろうか。ゼオルの語る言葉が夢物語のように空虚に響いていた。本当にそんな存在が実在していたのかさえも実感がない。まるでそれは書物に記載されている歴史上の人物のように。
アリスはあらゆる種族を滅ぼす煉獄の炎として命を燃やし、ただひたすら殺し続けた。
「殺して殺して殺し続けて。最後は泣いてたよ。それでも殺しきれないことに。滅ぼしきれないしぶとさに。一向に消えない憎しみにな」
「それを選んだのは自分だろ。さっきから何が言いたい?」
そこで初めて不快そうにゼオルがクレイスの表情を覗き込んだ。
「お前は知りたくないのか? その存在の意味を。その理由を?」
「知ってどうなる? そう思うなら2年も引きこもってない」
「はぁ……。本当にお前が女神の御使いなのか? アリスは世界を滅ぼすことの他にもう一つだけ目的を隠していた。死ぬ間際に教えてくれたよ。ただ一人会いたかった奴がいるってな。伝えたい言葉が、渡したい物があると。……ホラよ」
「これは……?」
ゼオルから手渡されたそれは小さく歪な黒い塊だった。見覚えがある。クレイスの記憶にあるそれは美しく綺麗な球体だった。だが、砕け散ったはずの黒蘭宝珠がどうしてここにあるのか分からない。
「無理矢理固めたんだろうな。何の意味があるのは分からねぇがアリスはそれを大切に持っていた。お前に渡すために。その理由を口にすることはなかったが」
「俺を殺すつもりだったんだろう」
「そうか? 俺にはそうは思えないがな。どのちみお前は選択を間違えた。間に合わなかったのさ。アリスが懸命に生きお前を探し続けたこの2年。お前はその時間を無為に費やした」
そこでハッキリとゼオルの膨れ上がる殺意がクレイスに向けられる。
「クレイス、お前は何を考えている?」
◇◇◇
選択を間違えた。そんなことは俺が一番分かっている。
一番最初に間違った時点でもうどうにもならなかった。この復讐心も無価値さも。あまりにも他力本願なこの世界で、俺が無責任であることを誰が責められるというのだろうか。
この2年。何を成すべきなのかを考え続けた。復讐か、女神の御使いとして生きるのか。時間だけは沢山あった。だが、導き出される解答はいつも同じだ。
世界を救う役割も――世界を滅ぼす役割も――自分以外の誰かという存在に押し付けて、助けてもらうことが当然で、女神という不確かな存在に縋り、自分達は被害者だと喚き散らすばかりの世界で、役割という呪いの枷を嵌められた俺がやるべきことは一つしかない。
――全ての思惑からの逸脱。
それは世界への干渉を止めること。誰の思い通りにもならず、誰の願いも叶えない。
全ての期待、信仰、希望、理想、安寧、幸福を否定し、絶望だけをもたらして、この世界を何処までも無責任に突き放す。
だから、今こうして俺はここにいる。
ヒノカ・エントールの元に。
◇◇◇
「……クレイス!」
見慣れたはずだった姿は記憶にある面影とはあまりにもかけ離れていた。瘦せ細りかつてのような快活さは見られない。
随分と昔に忘れてしまった感情が想起する。ヒノカが浮かべていたあの頃の無邪気な笑顔も、初めて触れた温かかな体温も、今では懐かしく感じるほど、遠い過去になってしまった。
俺は何を間違った? 何故ヒノカと俺は今この瞬間対峙している? 俺達はいつ道を違えた?
何度も現実に否定された妄想を振り払う。いや、それは妄執。彼女の心が確かに俺に向いていたその時に、俺は答えることができなかった。結局は全て俺が悪い。彼女はその被害者でしかない。
数多存在していた分岐点。
それらは過去にあり、その全てで選択を間違えてきた。
だからこそ、この瞬間こそが俺が手繰り寄せた現実だ。
裏切られ復讐を決意し、どうしようもなく遠回りして邂逅したのが今だ。
崩れ落ちた魔王城。崩壊を免れた地下の一室に俺の良く知るその人物は静かにベッドに座っていた。ヒノカを保護したのはアリスかゼオルか、それ以外の誰かなのか。だが、どちちらにせよ目の前にいることには変わりない。
驚き、逡巡。幾多の感情の到来と共に虚ろだったヒノカの瞳に光が灯る。涙が溢れ、よろめく身体を無視して倒れ込むように俺の胸に飛び込んでくる。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 会いたかった。会う資格なんてないって分かってた。それでも会いたかった。会って、全てを清算したかった。私は――」
吐き出される激情に嗚咽が混じる。意味をなさない言葉の羅列、繰り返される謝罪がとめどなく続いていく。
フラッシュバックする記憶。その姿を最後に目にしたときもギルドの中で、ヒノカはこうして泣いていた。
「アリスは私で、私が全てを憎んだからアリスはああしたの。ああさせたのは私なの! 止めることなんて無理だった。だって私がそれを望んでいたから。私達を引き裂いた全てを殺したかった。本当はクレイスには私なんて必要なかったのに。私がいなかったら、あんなことをしなかったら、クレイスは世界を救っていたのに!」
もしなにもなければ、いつか俺は自然に自らの力に気づいたのだろうか? いずれ起こるウインスランドの馬鹿共が引き起こすくだらない事件がその契機になっていたのかもしれない。もしそうなら俺は素直に女神の御使いとしてこの力を揮っていたのだろうか。
幾重にもあったかもしれない可能性は、決して結実しなかった今だ。
「魔王は手を差し出した。そして聖女様達もその手を取った。それなのにアイツは魔王を殺して。アイツはまたこの世界から希望を奪った。私から全てを奪って、今度は世界から未来を奪って……」
それが誰を差しているのか数瞬考えて思い至る。【勇者】という巨大な力に溺れた憐れな存在。
「あんな奴は【勇者】なんかじゃない! それはクレイスだったのに。クレイスだけが大切だったのに。私はそれを裏切った。ずっと貴方に殺される日を待っていた。それだけを望んで私は惨めに今日まで生きてきた」
ヒノカが離れる。その目に強い決意を宿して。俺が知っている大人になりきれない少女だったヒノカはそこいない。
「――お願い。この世界に災厄を産んだ私を殺して」
死を願う程に。殺されたいと零すその姿は凛としていて、隔絶した美しさを誇っていた。
その提案は検討する価値もない。相変わらず彼女は自分勝手で無責任だ。まるで俺のように。――なんだそうか。ようやく理解する。最初から俺達は上手くいくはずなどなかった。俺達は互いが望むことを何一つ叶えられない。
すれ違いは何処までもすれ違ったまま。決して望むゴールには辿り着かない。
「……これを」
「こ、これって!? どうして、どうしてクレイスが持ってるの……?」
その指輪には完全なる球体の宝石。
魔法で修復した黒蘭宝珠は傷一つなく、あのときのまま美しく光り輝いてる。
2年前より幾分細くなったヒノカの指にそっと嵌めた。
「クレイス? ――待って! これ……は……! どうして記憶が……いやっ! それだけは止めて!」
突然、狂ったようにヒノカが叫び出す。
「私に残ってるのはもう思い出だけなの! だから……それだけは奪わないで……嫌だ忘れたくないよ……消し去りたくない! 奪うくらいなら殺してよ! これ以上、大切なものを消さな……い……で」
全身から力が抜けて気を失ったヒノカが倒れ込む。咄嗟にその身体を支えてベッドに寝かせた。
これでいい。もっと早くこうしていれば良かった。中途半端な決別をしたことが間違いだった。その結果、彼女は業を背負った。過去は消せない。だが、罪深いその記憶を消すことはできる。
高濃度魔力地域には高度な魔法技術が存在していた。物質に術式を刻み込むことで永続的に魔法を発動させる魔道具。その技術を解析し身に付けた。
ゼオルから受け取った黒蘭宝珠に込めたのは忘却の魔法だ。ヒノカから俺に関する全ての記憶を簒奪する。それだけじゃない。【勇者】やアリスに関しての記憶。一人が抱え込むには大きすぎるほどの悪夢を消し去る。
そっとシーツを掛けようとして捲れ上がった服の隙間から腹部に傷があるのが見えた。
「復讐か赦しか。全ては運次第だ」
回復魔法を掛けると傷が一瞬で消える。目が覚めたとき、彼女は新しい人生を歩み始める。それはきっとこれまでより遥かに幸福であるはずだ。
そして今度こそ俺やロンドとは違う心から信頼し寄り添える相手を見つけるだろう。頭を撫でて部屋を出る。
記憶が戻る条件は黒蘭宝珠を破棄すること。それならそれで良い。だが、持ち続けている限り記憶は戻らない。これは復讐であり赦し。
――そしてもう一つの条件こそが。
「願わくば気づかないことを祈るよ。幸せを掴んで長生きしてくれ」
どこまでも身勝手で矛盾した本音を覆い隠す。
それが、殺して欲しいという願いを叶えられない俺にできる唯一の選択だった。
◇◇◇
「俺の役目だったはずだがな……」
「どっちが正解ってことはないさ。ただ即効性を求めただけだ」
クレイスはゼオルと共に高濃度魔力汚染地域へと戻ってきていた。元より一人で進めるつもりだった。手伝うと言い出したのはゼオルだ。
「良いのか? これでお前は未来永劫咎人として罪を背負うことになる」
「死んだ後のことまで考えられるか。俺はお前みたいな長生き仙人じゃないんでな。それにやっぱりアンタには悪役は似合いそうにない」
ゼオルのやり方が間違いというわけではない。単に冗長だと言うだけだ。ゼオルは他者に希望を託し待つことを選んだ。クレイスは全てを切り捨て絶望し自ら決断したにすぎない。
「もう一度言うぞクレイス。お前は選択を間違った。だがやり直せるんだ。この物語にはもっと適した結末が用意されていたはずだ。こんなこと誰も望んじゃない。お前はお前のことを想う誰かがいることを知るべきだ」
「……お前みたいな奴が主人公って言うんだろうな」
優しすぎるこの男にラスボスは似合わない。
故にその役目を果たすのは自分だと理解している。
「準備は終わりだ。そろそろやるぞ」
魔法陣を起動する。およそ人類史上存在したことのない規模の強大な魔法の発動。大気中に充満する魔力、魔力増殖炉が吐き出す魔力、クレイスが有する魔力、そしてゼオルが持つ魔力。あらゆる魔力を糧に変え、終極の鐘を鳴らす。
「――さぁ。この腐った物語もそろそろ終わりだ。世界を見捨てようか」
「 【Deprive】 」




