第72話 物語からの逸脱者
――2割。
大したことないように思えるその数字は絶望的なものだった。
途方もない虐殺。
怨嗟の声が、恨みが、無念が、悲しみが、至ることに溢れていた。
大陸から2割もの生物が死滅すれば、その影響は計り知れない。そして2割という数字はあくまでも平均だ。実際には各種族によってその被害は大きく偏っている。
最も大きな被害を受けたのは魔族だった。種族の約3割が死亡。そしてなによりその中には魔王やそれに連なる眷属、側近なども混ざっている。戦火の中、混乱に乗じて魔王を殺害したのは勇者との情報もあるが定かではない。
それでも魔王軍の必死の抵抗は虐殺者に大きなダメージを与えたらしい。しかし討伐したとの話は聴こえてこない。つまりまだ渦中の真っ只中。悪夢に怯える日々は続いていた。
次に被害が大きかったのは人種だ。約3割近くの犠牲者を出した。帝都は壊滅。瓦礫の山と化している。比較的に被害が軽く政治体制の変革を進めていた共和国に集まっているというが、かつて王国だったその地にはそんな余裕はない。肥沃な大地を持つ帝国跡地の復興が喫緊の課題となっている。
それだけではない。帝国は滅び、王国はその形を変えたが、主要な組織も軒並み壊滅していた。帝国に本拠地を持ち大陸全土に展開していた冒険者ギルドは既に機能していない。再編にはどれほどの時間が掛かるか分からないが、生き残った者達を中心に組織の建て直しが進んでいる。
だがより大きな被害を受けたのは教会だった。当初、誰も彼もが楽観していた。何故なら、この事態の為に遣わされた存在がいるからだ。女神はこの事態を予見し、故にその対抗策として一人の男を見出した。それが答えだと信じて疑わなかった。
いや、この事態こそが、その男の存在意義、必要性を改めて証明するものだった。
幾ら聖女が、自ら立ち上がることを求めても、立ち上がろうとはしない。それもそのはずだ。この事態をどうにかしうる存在がいるのだ。自分達にできるのは女神に祈ることだけだとそう考えるのも当然なのかもしれない。
そもそもギフトとはそういうものだ。
選ばれし存在である【勇者】や【聖女】。
そうした者達に格段の恩恵や権力が与えられているのはその責務によるところが大きい。ましてや女神の御使いなどと、そのような超越者が存在しているのなら、選ばれなかった者達の出る幕などありはしない。
故に、選ばれなかった者達は決して選ばれた者達を助けない。当事者足りえない。選ばれなかった誰もが心の奥底に劣等感を抱えている。もし、選ばれなかった者達が世界を救うなら、それは選ばれし者達の否定でしかない。
それがギフトというロールの本質だった。
しかし膨らみ続ける被害者の数。幾ら待っても幾ら祈っても助けはこない。教会の権威が失墜し、女神に対する不信感が募るまでにそう時間は掛からななった。
魔族、人種より被害は軽いとはいえ、他種族も決して無傷というわけにはいかなった。
エルフ種もまた変化を迫られた。他種族と協力し討伐に打って出るべきだと主張する急進派と様子見に徹する守旧派。意見は真っ向から対立し内紛を引き起こす。その過程で守旧派の筆頭だった五人の長老達が死亡することになり、種族間の亀裂は決定的なものとなっていく。
ダークエルフ達は闇に息を潜めたままその姿を表舞台に表すことはなかった。龍種もまたこの災害のような虐殺が通り過ぎるのを姿を潜めジッと待っていた。
◇◇◇
「随分とまぁ酷いものだ」
たった二年。されど二年。
クレイスが高濃度魔力汚染地域に閉じ籠っていた僅か二年で、世界はその様相を大きく変えていた。まるで滅びへと一歩ずつ突き進むように破滅へ向けて行進している。
あまりの惨状に首を傾げる。これをあの男が望んだのか?
ゼオルが掲げていたあらゆる種族が手を取り合い協力することで到達する理想の未来。それは夢物語ではなく過去、確かに実現していた。
そしてゼオルはそれをやり遂げる覚悟と力を持っていた。各種族が協力しゼオルを討つ。そんなシナリオを描ていたはずだが、それにしてはやりすぎだ。
ゼオルの主張を全て鵜呑みにしていたわけではないが、ゼオルが語っていた理想とかけ離れている。それにこの虐殺を引き起こしたのは女だという。情報を集めた限りではこの二年間の何処にもゼオルという男は浮上しない。
ならば女はゼオルの仲間なのか、眷属なのか。或いは全く関係ない第三者なのか、それともただ単にゼオルが嘘を付いていただけなのか。とてもそうは思えなかったが、何も分からない。だが別に全ての真実を知る必要もない。自分は決して神などではないのだから。
やるべきことをやるだけだ。
そう納得し、ふわりと地面に足を降ろす。
大陸を見て周ろうとここまで飛んできたが、顔を顰めるしかなかった。
かつて魔王城が存在していたその場所は、今や見る影もない。倒壊した巨城。未だ死の気配が充満している。夥しい血が染み込んだ地面からは草も生えない。その様子は、何処か高濃度魔力汚染地域で見た廃墟を彷彿とさせる。
これを見れば、魔族が如何に高い文明を有していたいたか分かる。少なくとも人種とは比較にもならない。生き残った者達は何処にいったのか、少なくともこの周辺にいそうもないことは分かる。
瓦礫を避けつつ進んでいく。
ふと、既視感に囚われる。まるで二年前と同じだ。
あのときもこんな風に廃墟の中を歩いていた。
そして、出会った。
「ったく、来るのが遅いんだよ」
魔王城の中枢で玉座に座るゼオルがニヤリと声を掛けてきたことにクレイスは驚かなかった。




