第64話 全身電気男
ポタポタと空から流れ落ちた水滴が傘を叩く。
場所も状況も、なにもかもがあまりにも非現実的でありながら、振り続く雨の冷たさだけが真実を宿しているような空想に囚われる。
「……とうとう……俺を……殺しに来たか……?」
巨大な石碑に刀で磔にされている男は、ニヤリと口を歪めると、そう言って皮肉気に笑った。
「殺さなくてもそろそろ死ぬんじゃないか?」
素直に見たままを答える。この異常な状況で、答えを模索する程の材料もない。
「バカが……こんなもんで……俺を殺せるはずないだろ……」
「そうか。タフなんだな」
そうとしか答えられず、そう答える。
なるほど確かに馬鹿げた会話だった。
「……無関係……いや、そんなことあるわけねぇか……」
「何を言いたいのか知らないが、俺は関係ない。ここにも散歩がてら来ただけだ」
「……ついでに来るようなところかよ……」
どうにも会話が噛み合わない。
埒が空かず、時空鞄から椅子を取り出して腰を下ろす。
「……どうして……平然としていられる……?」
「ここまで何一つ理解出来ない以上、開き直るしかないからな」
「……お前にとって俺は……」
「知らん」
男は真意を探るようにクレイスの瞳を覗き込む。敵か味方か。そんなことを考えているのかもしれないが、クレイスの答えはどっちでもない。無関係の他人だ。或いは他人事だからこそ、こうして平然と対峙していられるのかもしれない。
「……だったら、この刀を抜いてくれ……」
「死なないんじゃなかったのか?」
「動けないだけさ」
未来を予知することが可能なら、その選択がどのような結果をもたらすのか分かるのかもしれない。どうしたものかとクレイスは嘆息する。
思えば、未来どころか長年連れ添った最愛の人の心さえ分からなかった。これまで最悪な選択で最悪な未来ばかり選び続けてきた。ならば、ここで自分がどんな選択をしようと、それは最悪な未来に繋がるだけなのかもしれない。
「分かった。とにかく俺はなにも知らないんだ。聞きたいことは幾らでもあるしな」
立ち上がり、絶刀に手を掛ける。
所詮はちゃちなガラクタだ。生涯を賭けオーランドが欲していた力。神器と言えば聞こえは良いが、しかしその正体は文字通り神の――
ズブリと男に突き刺さっていた刀を引き抜く。絶大な力を秘めていたはずの刀は、男の身体から完全に抜きさる前に、呆気なく脆く崩れ消失していく。
「なんらかの力で現世に無理矢理固定していたのか? ――なに?」
突如、途方もない力が渦巻き始める。これまで感じた事のない膨大な力の本流。迸る濁流が一つの小さな河川に流れ込むように束になって集束していく。バチバチと産毛が焼け焦げ全身の毛穴が開く。熱源は男そのものだった。身体中が、脳が全身全霊で危険を訴えかけていた。
咄嗟に距離を取り、大きく後退する。
男の周囲を取り囲むように、辺り一帯だけが雲が霧散していた。
「全身電気男……」
「おいおい、なんだそれ酷ぇな」
ゆらりと、蒸気を迸らせながら男が磔にされた石碑から身体を離す。改めて見てみれば、オーランドに引けを取らない体躯をしている。しかしその若々しくエネルギー溢れる姿は正反対だ。
「ったく、石碑をこんなんにしちまいやがって。先人達に申し訳ないと思わないのかね」
男が手をかざすと、ひび割れが綺麗に修復されていく。同時にこびり付いていた血痕も綺麗に消え去っていた。
「すごいな。アンタ」
クレイスは素直に驚いていた。男が使ったのは魔法は複合魔法だ。原理的に魔法とは単一の効果しか発揮しない。各属性の魔法をバラバラで使う事は出来ても、一つの工程で複数の効果を同時に発生させることは出来ないとされている。
クレイスが高濃度魔力汚染地域に突入する際も、飛行魔法とバリアはそれぞれ別に仕様していた。当たり前だが、理論も構築難度も魔力返還効率も異なる別種の効果を一つの魔法として使用することは困難だからだ。
にも関わらず、今目の前の男は、石碑を修復する効果と血痕を浄化する効果を同時に一つの魔法として使ってみせた。似ているようで全く異なる2つの魔法の合成。
複合魔法。あり得ない。何故なら、それ可能とするのは、それこそ【賢者】のギフトを持つ者だけであるとされているからだ。ならば、目の前の男こそが、【賢者】だと言うのだろうか。
「とてもそうとは見えないがな」
得体の知れぬ男は、修復され新品のように蘇った石碑を満足そうに眺めていた。
「その碑文、何が書いてあるんだ?」
「おいおい。こんなところまで来ておいて読めないのか?」
「生憎とそこまで労力を払う気になれなくてな」
「最近の若いもんはこれだから」
やれやれと呆れたように男がボヤく。
「なんだ老害だったのか。アンタも若いもんに含まれそうだが」
「若作りだっていうのか? 辛いねぇ。でも、嬉しいから深く追求するのは止めておくぜ」
「柔軟だな。どうやら老害じゃなさそうだ」
「そりゃあな。ハハ」
男がこちらに振り向く。黄金色の瞳。瞳孔が一瞬、獲物を見定めるかのように細く鋭くなったかと思うと、フッと丸く変わる。
「助けてくれて、ありがとな」
ニカッと笑顔を浮かべて男が礼を言った。
「どういたしまして」
クレイスもニヤリと笑顔を返した。
結局のところ、こんなところで出会った自分達は笑うしかないのだと、そう言われているような気がした。




