第63話 栄枯盛衰
崩れ落ちた瓦礫、陥没した地面。穴には泥水が溜まり、濁った水溜まりを形成している。雨音と共に、砂利を踏む足音だけが辺りに響いていた。
これほどまでに栄えた文明とて、あっけなく終わる。諸行無常の世界。都市とは機能を維持する者がいなければ成り立たない。そんな当たり前を改めて認識することは新鮮だった。いずれ今の人間社会もこうなるのだろうか。だとすればその原因はなんなのか。意外とくだらないことだったりするのかもしれない。
風化した都市の中をクレイスはただ一人歩いていく。
高純度の魔力を帯びた雨。触れてみれば、肌がひりつくような刺激を受ける。生物にとって有害なのは確実だった。だからだろうか、人間だけではなく、動物や魔物のような生物の気配も感じ取れない。
帝都や王都などとは比較にならない緻密で計算された都市構造。都市の区画は明確に意図を持って設計されている。洗練とも呼べるような美しさ。かつては賑わっていたであろう巨大都市。交易や産業、どんな名産が存在し、どんな文化が発展していたのか。知識欲が刺激されないこともないが、だからといって詳しく知りたいと思うほど知識欲に満ちてもいない。
より魔力の濃い方へ向かって進んでいく。指針となるのはそれだけだった。日は落ち、辺りは既に暗がりに沈んでいる。しかし、魔力を燃料にしあちこちに設置されている外灯が微かな光をまだ失っていなかった。ぼんやりと浮かび上がる照明が、まるで道標のように続ていく。
しばらく歩くと、広間のような開けた空間に辿り着く。複数の大通りの合流地点になっていた。数多くの建物が並んでいる。半壊しているもの、崩壊して原形を留めていないもの、恐らくこの場所がこの都市の中心部であったことを直感的に理解する。これほどまでに風化した今になっても、そんな残滓が色濃く残っていた。
「なんだ……?」
その威容に目を奪われる。この都市のシンボルなのか、巨大な板状の柱が地面に突き刺さっていた。時計塔かと思ったが、そうではない。びっしりと書き込まれた文字。いや、掘られた文字が、それが石碑だと物語っている。そうまでして残したい何か、伝えたい言葉があったのだろうか。
しかし、クレイスが気になったのは文字ではなかった。一瞬だけ視界に入ったそれに脳の認識が追い付かない。ゆっくりと近づく。徐々に輪郭が明らかになっていき、その光景が誤解でなかったことに毒づく。
「悪趣味にも程があるだろう」
石碑に一人の男が磔にされていた。
巨大な刀が突き刺さっている。まるで石碑を割らんとするのかのように乱暴に叩きつけられたのか、石碑には亀裂が入り、ひび割れが広がっている。すぐにも倒壊するようなことはないだろうか、怒りのようなものを感じさせた。
あちこちドス黒く変色しているのは男の流した血だろうか。掘られた文字に凝固した血の塊がこびりついている。いよいよ手が触れるほど近づいてみれば、奇妙な点が幾つもあることにクレイスは気づいた。
「絶刀だと? なんでこんなガラクタがここに……それにこの男どうして……」
あるはずのない刀。現世に存在しないはずの武器。異界からの召喚術。オーランド達、ウインスランド家の力の源泉でもあった技術の一つ。かつてクレイスも欲した力。しかしいざ使ってみれば、それがどうしもない欠陥品であることに気付いたが、だが、こんなところで見かけるものでは決してないはずだった。
「何故留まってるんだ? 魔力の影響なのか……?」
本来なら長時間顕現させることなど叶わぬ武器。それがまるでその男を縫い付けるかのように、その刀は確かにこの場に存在していた。それに奇妙なのは刀だけではない。そもそも男が人間としての形を保っていることすらおかしい。都市が風化しているように、ならばこの誰もない都市にいる男は何故原形を留めているのか。ミイラ化しているのなら分かるが、どういうわけか人間としての形を維持していた。
まさかこうなったのが数時間前だと言うのでもなければ――
「考えても仕方ないか。見なかったことにしよう」
クレイスは思考を放棄した。無駄な時間だ。考えても分からないものは考えない。何故なら考えても分からないからだ。あっさり納得し、その場から離れる。
「……ま、待て……随分と薄情じゃ……ねーか……」
微かに声が聴こえた。掠れるような弱々しい声。それでも確かに意味を持った言葉が耳に届く。この場において、自分以外に声を発する人物いるとすれば、それは――
「聞かなかったことにしよう」
クレイスは聴覚を放棄した。きっと空耳だ。聴こえるはずのないものは聴こえない。何故なら聴こえないからだ。あっさり幻聴だと納得し、その場から離れる。
「そりゃ……ないぜ。なにしに来やがったんだ……お前……」
流石に無視しきれず、振り返る。
絶命していると思っていた男の相貌がクレイスを確かに捉えていた。存在しないはずの刀に磔にされた男と、雨の中それを眺めている男。どうしもようなく滑稽でふざけた邂逅。相手に対して取るべき無数の選択肢が頭の中を駆け巡る。
思案の結果、クレイスは最も気になる言葉を口にした。
「とりあえず、それ、痛くないのか?」




