第6話 「約束の日」
「はぁはぁ、落ち着け俺。大丈夫、冷静になるんだ。エメラルドドラゴンの前に立った時だって、こんなに緊張しなかっただろ」
高まり続ける心拍数をなんとか落ち着けながら、気合を入れる。
これから一世一代の大勝負が始まるのだ。どんな結果になっても全力を尽くすしかない。
ヒノカとの出会いは6歳のときだった。
島から追い出されたクレイスは持ち出すことが許された僅かばかりのお金を持って、帝都から遠く離れたママル村という小さな村で暮らすことになった。
母親からは冒険者になれと言われたが、その頃のクレイスは、マーリーの裏切りに呆然自失となっており、生きる気力を失っていた。
そんなクレイスを救ったのが、隣の家に住んでいた自分と同じ年齢の少女、ヒノカだった。
ヒノカは優しい少女だった。初対面で、いきなり抱きしめられたクレイスは、初めて感じる少女の体温と優しさに安心感を憶えた。
きっと放っておけないと思ったのかもしれない。その温もりにクレイスは涙した。泣こうと思ったわけではなかったが、涙が止まらなかったのだ。ようやく泣き止んだクレイスの頭を離すと、そこで初めて2人は言葉を交わした。
「ご、ごめんね? いきなり恥ずかしいところを見せちゃって。僕はクレイス」
「わたし、ヒノカ! 大丈夫。クレイスは、わたしが守ってあげる!」
その屈託のない笑顔はクレイスにはあまりにも眩しくて――
クレイスは初めて「恋」をした。
「懐かしいなぁ。あれから12年、待たせすぎたよな」
そんな甘い記憶を思い出す。
2人で交わした約束だとはいえ、その期間はあまりに長すぎた。
だが、それも今日で終わりだ。
どんな結果になっても、一歩を踏み出す時が来た。
綺麗な包装を施した小さな小箱そっと手の中に包み込んで、大きく息を吐く。
クレイスは勇気を振り絞って、ヒノカの部屋のドアを叩いた。
◇◇◇
「えっと、ヒノカ。話があるんだけど良いかな?」
「……なに?」
クレイスは内心で葛藤していた。
ザックラブから帰ってきた後、2回ヒノカと顔を合わせたが、避けられているのを感じていた。
そして今、部屋から出てきてくれたヒノカの顔は真っ青で憔悴している。
(これは……やっぱり無理だよな)
淡い希望は即座に打ち砕かれた。
だが、ここまで来て逃げるわけにもいかない。
例え結果が見えていても、言わなければならないことがある。
「あのさ、聞いて欲しいことがあるんだ。今日、ヒノカの誕生日だよね?」
「それがなに?」
ビクリと、ヒノカの身体が震えたのが分かった。
「約束、憶えているかな? もう随分昔の話だけど、ヒノカが18歳になったら言おうと思っていたことがあるんだ。俺――」
「帰って」
「え?」
「分からない? 帰ってって言ってるの!」
キッとヒノカの眼差しが鋭くなる。
「聞きたくない! クレイスの言葉なんて聞きたくない! なんで! どうして私じゃ駄目だったの? クレイスは私を裏切ってたの!?」
想像していた告白とは全く異なる流れに、困惑を隠せない。
ヒノカは支離滅裂なことを言いながら、クレイスを遠ざける。
「ごめん、ヒノカ言ってることが分からないよ。どうしたの? 何かあった?」
「それはクレイスの方でしょ! 私に何を言おうとしているの!?」
「そうだ、渡したいモノがあるんだ。これを――」
「だからもういいって言ってるでしょ!」
パンっと、渡そうとした綺麗に包装されていた小箱がヒノカの手によって弾かれる。
乾いた音を立てて床に落ちるソレを、クレイスはただ見ていることしか出来なかった。
(そうか、もうここまでヒノカの心は離れていたのか)
フッと、憑き物が落ちたように理解した。
ここまで拒絶されるとは思っていなかった。
フラれるにしても、せめて話くらいは聞いてくれるだろうと思っていた。
それは自分の甘えだったのかもしれない。
(ここまで嫌われたら、もうパーティーは続けられないな)
「そっか、ごめんヒノカ。調子悪そうだったのに付き合わせて。分かった。次のクエストが終わったら、俺はパーティーを抜けるよ」
「……え……?」
まるで正気に戻ったかのように、激高していたヒノカが動きを止める。
「そうだな、でも俺、冒険者以外でやりたいことなんてないんだよな。ハハ、村にでも帰ろうかな。でも、何処か遠くへ行くのもいいかもしれない」
「……なんで……え? ……辞めるって……」
「俺が悪かったんだよな。ここまで嫌われているのに一緒にパーティーは組めない。ホント俺、鈍感っていうか空気が読めないっていうか、そういう機微に疎くてさ。不快にさせてごめん!」
「なに言ってるの……? ク、クレイスは私のことがキラ――」
ヒノカがその言葉を飲み込む。
それが何故なのか、少しでも冷静に考える頭があれば違った未来があったかもしれない。
ただヒノカと同じようにクレイスもまた悲しさと辛さで限界だった。
勇気を振り絞って、そして使い果たしていた。
真っ直ぐにヒノカの見つめ、震える声を絞り出していく。
「だからヒノカ、今日までありがとう。ずっと一緒にいてくれてありがとう」
――少年が抱き続けた12年間の初恋は終わった――
◇◇◇
「だからヒノカ、今日までありがとう。ずっと一緒にいてくれてありがとう」
「あ……待っ――」
言葉にならない言葉が漏れる。
クレイスは背を向けると、床に落ちたナニカを拾って走っていく。
本能が、その背中を追いかけるべきだと警告していた。
でも、否定されるのが怖くて震える足が動かなった。
最後に見たクレイスの顔は、最初に出会ったあの日より酷くて、そんな顔を私がさせてしまったという事実が、ただひたすらに胸を締め付ける。
どうして泣いているのクレイス?
クレイスはあの女が好きじゃなかったの?
ロンドに会うと、度々クレイスが浮気をしていると言って来た。最初は信じていたわけではなかったが、徐々に不安は積み重なっていった。そこで見てしまったのが、クレイスがニウラと抱き合っている光景だった。
私じゃない誰かがクレイスの心を奪った。
そのことに耐えきれなくて、それを聞くのが怖くて、クレイスを拒否してしまった。
後悔と慚愧。
手に入るはずだった幸せが、スルリと零れ落ちていくのを感じて、私の目から涙が零れた。
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