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第59話 空腹のフーガ

「これからどうなさるおつもりですか?」

「さぁな。気ままにやるさ」


 病院を後にし、目に付いた酒場で軽く食事を済ませようと向かうが、何故か用件が終わったはずのミロロロロロが一緒に付いてくる。


「聖女がこんなところで油を売っていて良いのか?」

「構いません。作り笑いを浮かべて愛想を振りまく日々よりも有意義ですので」

「聞きたくない真実だったな」


 注文したエールを呷る。冒険者とは酒が好きな生き物だ。クレイスとて冒険者に染まりきったとは思っていないが、そうした習慣は身に付いていた。クエストに向かうわけでもなく、何か急いでやることがあるわけでもない。真昼間からアルコールを口にしたところで誰かに咎められることもない。


 食堂まで付いてきたにも関わらず、ミロロロロロは何も注文していない。このままではただの迷惑な客だ。


「飲まないのか?」

「聖女ですので、お酒は禁止されています」

「誰が決めたんだ」

「分かりませんが、教会の規定ではそうなっています」

「つまらん規定だな。破棄するか改定しろよそんなもん」

「クレイス様が仰ればそうなるかと思いますが……」

「なんでも俺を理由にするな」


 教会に興味など一切ない。【聖女】が派遣されてきたのも教会の意思に違いないが、組織に影響を与えるようなことをする気は微塵もなかった。できれば関わりたくないというのが本音である。


「といってもな。すまない、子供エール」

「はい。少々お待ちください」


 店員を呼び止め注文を済ませる。


「お待ちください! 子供エールなど飲んでは聖女の沽券に関わります!」

「別に誰も馬鹿にしたりはしないさ」

「そうではなく、確かに身長は悲しくも伸び盛りとは言えませんが、もう私も子供ではありませんのよ!」

「そんなことで意地を張っているうちは子供なんだよ」


 譲れない何かがあるのか必死に抗議してくるミロロロロロをよそにテーブルに子供エールが置かれる。ジョッキに並々と注がれた黄白色の液体がミロロロロロを挑発するように波打っていた。


「子供用だから酔ったりしない。アルコール度数0%だ。心配するな。それに保護者として俺がいるしな」

「聖女が保護者付きで酒場で飲んでいるなど、教会の者が見たら卒倒致しますわ」

「朝刊一面を飾ることは確実だな」

「嫌ですわ! 堕ちた聖女などと書かれるのは嫌なのですわ!」


 いやいやと被りを振っているが、そうはいっても本物のアルコールではない。所詮は子供でも飲んだ気分になれる子供エールだ。


「うるさい。俺の奢りだぞ? 俺の酒が飲めないっていうのか」

「どうして急にパワハラ上司みたいなことを言い出しましたの?」

「思ったんだが、聖女に上司っているのか?」

「上司……? そうですわね。曲がりなりにも聖女は教会のトップですし、聖女としての教育を受けることはありましたが、直属の上司と言えば女神になるのでしょうか?」

「女神ねぇ」


 聖アントアルーダ教会は女神ミトラスを絶対と崇める一神教であり、ギフトは女神の祝福とされている。この世界に生きる人間種族にとっては否応にもその存在を感じざるを得ない。


(……アンタは俺になにをさせたい?)


 胸中でボヤくが、それが女神届くことはないだろう。酷く馬鹿げた力の使い道などありはしない。しかし、この世界が管理統制されているなら、力を得た意味が、その価値が分かるときがくるのだろうか。


「素直に従う気はないがな。まぁいい。ということは、その使いだとか言われている俺が上司ってことなんだろ。飲めミロロロロロ」

「うっ。これが初めて味わう中間管理職の理不尽さですのね」


 渋々とジョッキを口に運ぶ。その間にも注文した料理が届き始める。香草の匂いが充満し味覚を刺激する。ありきたりな午後、ありふれた時間。いつもこうしてヒノカと食事していたことを思い出す。そんな時間があったことが、今ではただの幻想だったのではないかと記憶を朧気にしていく。


「……苦いですぅ」

「こんなんで苦いなんて言ってるようじゃアルコールはまだ早いな」

「お酒なんて飲みませんからいいんです! うっかり酔って聖女がお持ち帰りされるようなことになったら、前代未聞の不祥事ですのよ?」

「そこまで迂闊な大馬鹿野郎はいないだろ。聖女に手なんか出したら、教会から暗殺者でも送り込まれそうだし」


 そもそも厳重に行動を管理されている【聖女】がそこら辺を飲み歩いているはずもない。多少の外出でも多くの護衛が帯同している。ミロロロロロのように自由に動き回っていることの方が異例であり、それを教会が許容しているという事実そのものが、自身の立場の特殊さを示している。


「でも、このような自由。聖女になってから初めてですわ。あの頃に戻ったような、懐かしい気分です」

「聖女になんてなりたくなったか?」

「分かりません。ですが、授かった以上、私が聖女ではない未来は存在しません。それだけのことで、きっとこれまでも多くの者がそうだったのだと思います。だから私もそれに従う。ですが、それでもこうして自由をくれたことに感謝しているのです。あの日から、私には聖女として生きる道しかありませんでしたから」


 たった一つの決められた未来に従う。ミロロロロロもそれを疑ってはこなかった。何故なら自分は【聖女】なのだから。誰からも必要とされる稀少なギフトを授かった選ばれし者。


 だが、そんな意識は徐々に変わりつつあった。目の前にいる男は、誰にも何にも従おうとしない。力を振るわず、まるで他人事のように静観している。そんな生き方が許されている。まるで女神にそう見せつけるかのように、ただ部外者であり続ける。


「ダーリン、トトリートさん達の様子を見に行きませんか? ヒノカさんを捜索している間、時間があります。それにシェーラさん達の言っていたことも気になります」

「災厄だったか? 興味ないし原因を探るみたいなことしたくないんだが……」

「良いではありませんか。こうして呑んだくれているより遥かに有意義です。まだ若いうちからそんな生活をしていてはダーリンはどんどん社会不適合者になっていきますわよ?」

「既に世界不適合者だけどな」

「……微塵も笑えないギャグですわね」


 子供用エールには難色を示していたミロロロロロだが、料理に関しては文句はないらしくパクパクと口に運んでいく。


 正直なところトトリート達のことは気にしていなかった。シェーラ達との遺恨は一朝一夕に晴れるものでもないだろう。衝突は避けられない。どちらの種族が全滅するまで殺し合うかもしれない。それでも、そこまでしなければ溜まりきって沈殿してきた感情の軋轢は解消されない。


 多少知り合った縁もあり、トトリート個人には多少贔屓してある。種族がどうなるかはともかく、彼女は無事だろう。


「シャーラ達も災厄としか言ってなかったが、どうして伝承ってものはもっと具体的に伝えないんだ。詳細を克明に記録したレポートでも残しておいてくれると有難いんだが」

「そんな不躾なものは、伝承にはならないのではないですか?」

「確かに。反論の余地はないな」

「だったら、行きましょう! 善は急げですわ!」

「チキンを咥えながら喋るな。口の周り油でベタベタだぞ」


 仕方ないので拭いてやる。


「ありがとうございます。ですが、こんなの袖で拭っておけば良いのです」

「まさかいつもそうしてたんじゃないだろうな……」

「聖女の服は毎日洗濯され、常に新品なのですから、そんなこと気にする必要ありませんわ」

「世間の聖女に対する幻想が崩れ落ちるぞ」

「ミラやドリルディアさんだって、裏ではやることやって――」

「これ以上余計なことを言うな。ほらもっと喰え」


 チキンをミロロロロロの口の中に突っ込む。もしゃもしゃと大人しく咀嚼し始めるが、案外人間なんてそんなものなのかもしれない。ミロロロロロにしても、これが本来の彼女の人格なのだろう。【聖女】として振舞っている姿が真実とは限らない。


「それにしても、災厄か。いったい何から逃げ出したっていうんだ……?」


 高濃度魔力汚染地域。

 置き去りにされたシェーラ達。


 別段興味も関心もなかったが、それを確かめるくらいはしても良いかもしれない。


「ま、なるようになるか」


 時間は幾らでもあるが、やりたいことなにもない。そんな空虚さを埋めるくらいにはなるかもしれない。


「すみません、こちらのスープと、絶怪鳥チキンおかわりくださいな」

「めちゃくちゃ食うなお前」


 ミロロロロロがまたすぐ口をベタベタにして料理のおかわりを注文していた。

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