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第57話 魔人アリス

「対象αとβの所在地は?」

「はい。高濃度魔力汚染地域に向かったと報告が来ています」

「なに? エデンか。いったいなんだってそんなところに……」


 ラボで部下からの報告を聞き、ベインは顔を顰めた。

 高濃度魔力汚染地域。魔力増殖炉の暴走事故によって立ち入ることのできなくなった不毛の地だ。現在は放置され、観測することもままならない。地図からも殆ど抹消されている失われし原初の地。


 もともとあらゆる種族は、その地で暮らしていたという。ゆえにエデンと呼ばれるようになった。しかし事故により高濃度魔力汚染で住めなくなり、その地から出ることを余儀なくされた。それぞれの種族はバラバラになり、現在の生息範囲に落ち着くことになる。つまるところ魔族もまた移民にすぎなかった。


 ベインとしても、どうにかエデンを一目見れないかとあれこれ手段を講じてみたが断念した。立ち入る者を拒む壁の存在。飛行艇の建造も考えたが、強度に対する不安、開発にかかる予算、どれもハードルが高い。なによりそこに行ったとして、得られるものがあるかは不透明だった。成果不明の好奇心に注力している時間はない。


 そんなところに対象αが何の目的で足を運んでいるのか、壁を抜けるだけの力があることも恐怖だが、ただただ不気味さを覚える。この世界で最も危険な生物。それがエデンに言っているなど、それこそ本当に女神の御使いではないか。


 事故を引き起こした魔力増殖炉。

 今では再現できない旧世代の異物だった。

 

 その優れた科学技術は現在の水準よりも遥かに高度だ。 

 滅びた超古代文明圏。かつて存在していたという「融和の時代」。


 あらゆる種族が分け隔てなく共存していたとされるそんな時代があったのだと、そんな夢物語を語られても信じるものはいないだろう。僅かながら残された文献から読み取れるその事実は、現在が過去よりも衰退していることを暗示している。


 現在、あらゆる種族は独立性を保っている。そういえば聞こえは良いかもしれないが、結局のところその本質とは種族の断絶だ。交流を断ち互いが互いの種族のみで成り立っている。故にそこには何の発展もない。


 人種。魔力に優れ技術に劣る。

 魔族種。技術に優れ魔力に劣る。

 エルフ種。長命種だが、子孫繫栄能力に欠ける。

 竜種。強靭な肉体を持つが、思考力に劣る

 ……etc


 いずれにしても、各種族にはそれぞれ欠点があり、それが種族の繁栄を妨げている。完璧な種族など存在しない。だからこそ、かつてそれぞれの種族が融和し共存していた時代が存在しているのだとすれば、それは現在よりもはるかに繁栄していたはずだ。現在の技術レベルを大きく上回っていたとしても納得できる。


 互いの欠点を埋め合う理想的な関係。

 それは自分と魔王イルハートの関係に似ているかもしれないと苦笑が零れる。


 互いを信頼し合うことができれば、世界は今よりもっと前に進めるはずだ。かつてそんな時代があったのなら、それは決して理想ではない。


 ならば、どうして現在は対立しているのか?

 人間と魔族の長きに渡る対立。何故それが続ているのかわからない。他種族との断絶もそうだ。エデンを追われたとしても、どうして種族間の交流が失われてしまったのか。



 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()調()()()()()()()()()()



 なんとしても争いに終止符を打つ。そうでなければ、守りたい者も目指す世界にも辿り付けない。思考の海に陥り掛けたところでベインは頭を振り払う。今はまだ考えても仕方ないことだ。


「アリスの方はどうだ。母体に異常はないか?」

「順調に成長しています。ですが……」

「何か気になることでもあるのか?」


 部下に続きを促す。この実験は失敗するわけにはいかない。どのような些細な兆候も見逃すことはできない。常にリスクを想定し対処する必要がある。


「成長速度が非常に早いんです。母体が人間種であることから十月十日を予定していましたが、生体になるまで恐らくそこまで時間は掛かりません。既に胚は各臓器、機関を形成し身体を形作っています。これは魔族側の影響でしょうか?」

「さてどうだかな。どれくらいになりそうだ?」

「3ヶ月程で一般的な赤子と呼ばれるサイズにまで成長するかと」


 一見すればそれは朗報のようにも思える。結果が出るまでの期間が単純に1/3に短縮されることになるからだ。だが、内容が内容だ。それが良い方向に働くかどうかは未知数だった。より具体的なことを言えば、身体の形成が早くても脳の成長が追い付かなければ生物として生きることは不可能だ。


「その早さでの成長に母体は耐えられるのか?」

「幸い母体が頑強なのと、栄養面では常時モニタリングし不足が生まれないようにしています」

「くれぐれも目を離すなよ。何かあったら呼んでくれ」

「はい所長」


 ラボを後にしイルハートの下へ報告に向かう。胎内の赤子は母体から栄養を摂取する。常軌を逸した成長速度はその分、母体に掛かる負担も大きいだろう。実験を繰り返すことはできない。チャンスは一度きりだった。赤子の性別は判明している。どうやら女性らしい。対象のコードネームも決定した。



 魔人アリス。



 【勇者】と【剣聖】のギフト情報を持ち、魔王イルハートのDNA情報を受け継ぐ人間と魔族の子。


 非人道的な実験であることは分かっていた。許されることではないと自覚している。それでも、成し遂げなければならない。生まれてくるアリスは大切に育てるつもりだ。決して実験動物にしたいわけではない。願わくば幸福で恵まれた人生を生きて欲しいと本心からそう思っている。そのためにあらゆることをしよう。それが自分の贖罪なのだから。


 魔族の救世主足り得えんことを。賽は投げられている。


 イルハートにしても納得はしているが、感情の面では思う所があるのだろう。いつも以上に不安そうに気に掛けている。その姿を見る度に幼い頃の誓いを思い出す。必ず護り抜く。幼馴染で泣き虫の魔王が苦しまないで自由に生きていける世界を作り上げるために。純然たる決意。もう後戻りなどできない。するはずもない。



 この世に生を受けて誕生したその存在が、決してこの世界を呪うことなどないように。



 そう願うベインの瞳に迷いはなかった。

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