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第56話 無責任な責任者

「ん……ん……ここは……?」

「姉上! お気づきになりましたか! ただちにお水を」


 ベッドの隣に置かれている水差しをそっとトトリトートに口に持って行く。真っ青な唇、蒼白な表情。今にも消えてしまいそうな儚げな存在感。それでも水分を口に含むと、ゆっくりと嚥下していく。虚ろだった瞳が徐々に意思を取り戻していく。


「……トトちゃん?」

「よ゛か゛っ゛た゛で゛す゛あ゛ね゛う゛え゛~」

「ど、どうしたの? 目、真っ赤よ?」

「あ゛ね゛う゛ね゛い゛き゛て゛た゛~」

「トトちゃん、私は大丈夫だから。落ち着きなさい。ね?」


 状況が呑み込めていないトトリトートにトトリートが抱き着く。泣き崩れる妹の背中をぽんぽんと撫でながら、トトリトートは周囲を見回す。様子を固唾を飲んで様子を見守っていたドリルディアや他の従者達も一様に目に涙を浮かべていた。ベッドから起き上がろうとしたトトリトートは身体の自由が効かず、その場でよろけてしまう。


「あ、姉上、まだ動いてはいけません!」

「そうだよ! ごめんね。活性化の魔法は使っちゃ駄目ってクレイスちゃんに言われてるから、自然回復を待たなきゃなんだ。だから安静にしてて」

「ドリルディアさん? 私は……いったい……そうだ、魔獣は――!」

「姉上、心配は要りません。魔獣は既に討伐されております」


 ハッと我に返るトトリトートだったが、浮かんだ懸念はアッサリと解消される。トトリトートは魔獣の討伐に失敗して以降のことを妹やドリルディア、従者達から説明を受ける。それらは荒唐無稽なものだったが、今こうして自らが生きているという事実が、それらが全て現実なのだと物語っていた。


「クレイス様の処方によると、駆虫薬を飲んで排泄されるまで2~3日。10日間隔で3度ほど繰り返せば完全に排出できるのではないかとのことです」

「下腹部にあった鈍痛が消えています。投与してもらった薬が効いているのね」

「活性化魔法を使っちゃうと胎内の寄生虫にも影響があるかもしれないからダメなんだって!」

「そうですか。呪い……ではなかったのですね」

「解呪が効かないはずだよね。ごめんね力になれなくて……」

「いえ、来てくれただけでも力強いです。ドリルディアさんありがとうございます」


 申し訳なさげに頭を下げるドリルディアに礼を返す。体力が戻ってないのか身体を動かすのは億劫だった。点滴を打っていたとはいえ、しっかり食べて体力の回復を図らないことには動くこともままならない。それでも、快方に向かっているというだけでもトトリトートの心は軽くなる。


「死骸だけではなく、卵も完全に排出しきる必要があるそうです。消化を促すため、なるべく多めに水分を摂取するようにと言ってました!」

「そうなの? まだしばらく時間が掛かりそうね」

「はい。ですが、もう安心です姉上!」


 ガバッとトトリートが姉の手を取る。双子なのにどうしたことか自分より基礎体温の高いトトリートを懐かしく感じ、笑みが零れる。


「トトちゃん、迷惑掛けてごめんね?」

「い、いえ! 姉上の苦しみに比べれば私など……! それに、今回のことも私だけではどうすることもできませんでした」

「それでも、一生懸命助けようとしてくれたのでしょう?」

「姉上は唯一の肉親ではありませんか!」

「トトちゃん。ありがとう」


 優しくトトリートの頭を撫でる。【聖女】の回復魔法でも効果がなかった呪いの正体が寄生虫など、原因の特定はエルフ達では不可能だっただろう。聞けばもう長らく病に伏していたらしい。先程立ち上がろうとしてよろめいたのも筋力が低下しているからだった。まずは通常通り動けるようにリハビリが必要になりそうだ。


「トトちゃん、それでクレイス様は何処にいらっしゃるの? お礼をしなければなりませんね」

「それが……」


 一転、困惑気味の表情を見せるトトリート。魔獣の討伐。絶滅したと思われていたエリクサーの原料を含む植物の採取。そのために高濃度魔力汚染地域に向かったという妹。それらすべてが一人の人間種族による手引きだと幾ら話を聞いても理解できない。


 魔獣に立ち向かったからこそ分かる。あれは紛れもなく終滅を司る存在だった。生きとし生ける存在全てに仇名す天敵。それを苦も無く一蹴するなど到底信じられない。そして魔獣から受けた攻撃をこうまで完璧に対処する知見といい、いったいどんな人物なのだろうか。謝意を示すのは当然だが、どのような存在なのか見極める必要もありそうだ。考え込みそうになるのを中断してトトリートに視線を戻すと、トトリートが苦悩の末、重たい口を開く。


「姉上にお伝えしなければならないことがあります」




◇◇◇




「――族長が目を覚ましました!」

「なに!? ありえぬ……ではまさかあの男の言ってることが事実だと?」


 エルシオからの報告を受けてにわかに慌ただしくなる。トトリートが突如連れてきたその男の言う事は何一つ信憑性がなかった。虚言にすぎないはずの戯言。何から何まで懐疑的だったが、唯一その力だけは本物だと認めざるを得なかった。


「あのトゥランからエリクサーを採取してきたと、そんな話を信じるのか?」

「ですが、現に族長は意識を取り戻しました」


 トトリトートが目を覚ました、その事実があの男の全てを肯定している。否定しきれない現実が目の前に立ち塞がっていた。エルシオ達の思惑は外れ計画は軌道修正を余儀なくされている。


 五大老と呼ばれる支族の代表達はトトリートが持ち帰った書簡に目を通していた。冗談にしては笑えない。歳を重ねた五大老と呼ばれる老人達でさえ知ることのない、知るはずもなかった真実。これまで伝わってこなかったのだとすれば、それは先代達が隠蔽し続けた歴史の闇に違いなかった。それはあってはいけないものだ。エルフを脅かす禁忌に他ならない。


「虚言の可能性は? あの男が何かを企んでいるのではないか?」

「トトリートに入知恵したと?」

「このような世迷言など信じるに値するとは思えぬが……」

「七支族だと? 我らの歴史は改竄されてきたとでも? つまらぬ妄言と思いたいのう」


 書簡を投げ捨てる。その書簡には初めて見る押印がなされていた。それぞれ支族は独自の印を持っている。ならばその印こそ七つ目の支族である証拠だとでも言うのだろうか。高濃度魔力汚染地域に置き去りにされたという黒いエルフ達の存在。歴史の中で消された一つの支族。災厄から逃亡する過程で犠牲にした存在。それらが生きていたなど、今になって聞かされたところで、どうしろと言うのか。


「復讐を目論んでいるだと? 愚かな」

「どうされるのですか?」


 エルシオは落ち着かない要素で指示を仰ぐ。エルシオ自身副族長という立場であっても、その権限は実質的な決定機関である五大老に及ぶものではない。族長という存在こそシンボリックなものだが、その補佐でしかないエルシオの立場は低い。


「なに恐れるなエルシオ」

「そうじゃ。先人達に倣えば良い」


 五大老達の決断は迅速だった。いつだって何か問題が起きたときどう判断するかは一環している。本来、取り決めの際は多数決が用いられることになっていたが、そのようなルールは形骸化している。五つの支族で意見が割れることなどなく、全会一致で方針は決定される。


「このような虚飾で我らの歴史は崩れ去るのか? 馬鹿げておる。先代が見捨てたのだ。そのツケを未来に先送りしたところで払えるものでもあるまいに」

「事実かどうかは重要ではない。いずれにしても、きゃつらは出ることすら叶わぬ牢獄の中。我らが交わることは二度とない」


 浮足立っていた五大老達は落ち着きを取り戻していた。考慮する必要すらない。どのような種族でも、この程度のことは往々にしてあるのではないか。不都合な真実。この場からそれが広がることすらありはしない。そして再び歴史の闇へと消えていく。ありふれた一コマにすぎない。


「しかしそれで俗物のトトリトート達が納得するでしょうか?」

「関係あるまいよ」

「トゥロンまで救出に行けるとでも?」

「あぁ。これもまたよくある歴史の一幕でしかない」


 だが老人達は知らなかった。消えるはずだった闇は、確かに今、光さす表世界へと出ようとしていることを。




◇◇◇




「予想通りだな」

「良かったわ。また見捨ててくれて。その方が好都合だもの。今になって改心された方が胸糞悪いから。これで心置きなく殺し合えるわね」

「まともな奴もいるかと思ったが、どうやら何も変わってないらしいな」


 エルフ達の様子を映像で見ている者達がいた。肌の黒い異端のエルフ達。目的を定めたように、ブレることなく爛々とその瞳は黄金色に輝いている。クレイスの隣にはシェーラやジールといった面識のある顔ぶれが並んでいた。


「ですがダーリン、良かったのですか? このままでは戦争に……」

「それが俺に何か関係あるか?」

「そうですが、トトリートさんは短いながら一緒に旅した相手。折角、お姉さまの意識が戻ったというのに、これではあまりにも――」


 ミロロロロロが沈んだ様子で呟く。クレイス達は高濃度魔力汚染地域にいたエルフ種全員をこちら側へ転移させていた。およそこれまで使用したことがない規模の途方もない大魔法だったが、高濃度魔力汚染地域の高い魔力濃度がそれを実現した。


「心配するな。悪いがシェーラ、トトリート達とはキチンと話し合ってみてくれ。どうやら一枚岩じゃないみたいだからな。姉の方は握りつぶすつもりはないらしい」


 映像の中、恐らくトトリートから顛末を聞いたトトリトートは驚愕と苦悩の表情を浮かべている。トトリートから聞いた人物通りなら、なんらかのアクションを起こすだろう。一方で、シェーラ達が送った書簡は五大老達に握り潰されていた。それは再び過去と同じ選択をするという意味でもある。


「分かってる。まさか彼女がトトリントンの直系だなんて思わなかったけど、誠意はみせた。それに貴方にも交渉してくれたしね」

「俺は俺で聞きたいことがあっただけなんだが」

「それでもよ。貴方は恩人だから対立したくないわ。私個人の感情としてはトトリートも。こんなにアッサリ悲願を達成して、どうしていいかまだみんな感情が追い付かないのよ」

「未だに信じられない。俺達、本当に壁を抜けたんだな……」

「身体は大丈夫なのか?」

「慣れるまでしばらく時間が掛かると思う。それまではあまり派手には動けないわね」

「その間が猶予だと思ってくれて構わないさ」

「なるほど」


 恐らくその言葉はそのままトトリトート達へ伝えられるのだろう。それをどう判断するのか、それはトトリトート達エルフ種の問題だ。


「彼女個人は別。でも、それで憎悪の炎は消えたりしない。和解するつもりなんてないの。したくもないし、あっちもそのつもりなんてないでしょうしね」


 これまでの様子を見ていればそれは明らかだった。トトリトートが族長といっても、支族全てを掌握出来てはいなかった。五大老との軋轢はいずれ修復不可能なほどに広がり対立の火種になることは目に見えている。


「勝手にすればいいさ。それにミロロロロロ。トトリートには付与を施したアミュレットを持たせてある。姉の分もな。ジジイ共が何をやろうとしているのか知らないが、連中にどうにかできるようなものじゃない。アフターケアだ」


 それくらいはオマケとしてサービスしても良いのではないかとクレイスは思っていた。高濃度魔力汚染地域でシェーラ達と遭遇したトトリートは、一切の反論をせず、まず何よりも相手の言い分を聞くことに務めると頭を下げ謝罪を口にした。後から聞けば、「私はバカなので余計なことを言わないように、常々姉上から言わているので」と、恥ずかしそうに言っていたが、それをそのまま口に出来るのは彼女の素直な性格があってこそだろう。それが良い方に働いたのかもしれない。


 その様子に気勢を削がれたのか、警戒を強めていたシェーラ達の敵意は霧散し交渉の余地が生まれた。シェーラ達にしても、敵対することが是なのか躊躇すべきタイミングだったのが功を奏したと言える。


「俺は最低限全員の要望を叶えたはずだ。それにはアンタ達も含まれている」

「ありがとう。後は私達の問題だから。――それがどんな結果を迎えたとしてもね」

「あぁ」


 ミロロロロロの言う通り、このままならエルフ種達は戦争になるだろう。黒いエルフ、ダークエルフとでも名付けるべきその種族は、他のエルフ種より圧倒的に魔力適正を持っている。魔法の威力も比べ物にならない。それは高濃度魔力汚染地域を抜けても変わらない。数では少ないながも、真正面から対立すれば勝敗はどう転ぶか分からない。熾烈なものになることは明白だった。


 そしてその過程で双方多くのエルフ種が死ぬことになる。しかしそんなことはクレイスには関係なく、それを止める道理も理由もなかった。復讐はどこまでも身を焦がす動機足り得る。それは本人達にしか分からない。赤の他人でしかない誰かが説得したところで鎮めることは不可能だ。


 やりたい用にやるしかない。納得するまで殺し合うしかない。それでしか終わらない。それでしか満たされない。戦争を止める力があるから止めなければならないなどと、そんな綺麗事は無意味だった。燻ったままの感情はいずれまた大きな争いへと繋がる導火線にしかならない。


 シェーラ達、ダークエルフもそれを理解している。それでも復讐の道を選び、エルフ達も対立を選ぶのだとすれば、その果てに種族が全滅したとしても、それなることが分かっていても、そうしたかったのだからしょうがない。それが歴史であり、正解など何処にもないのだから。


「後はトトリトート達次第だな」


 願わくば、彼女達が望む未来があらんことを。

 そんなことを考えながら、クレイスはその場を後にした。

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