第52話 高濃度魔力汚染地域
カツカツと硬質な床を叩く足音だけが響く。五大老の下に向かう。床に付したまま立ち上がることも出来ない老人達、そしてエルシオを冷めて目で見ながら、言葉を続ける。
「別に誰が死のうが俺には関係ない。お前等に手を貸して助ける義理が俺にあるのか? 俺はトトリートに頼まれただけだ。なんならトトリート、こいつら全員この場で殺してやってもいいぞ?」
先程まで威勢の良い言葉を発していたエルフ族の者達は一様に蒼白になっている。目前に迫る死。ここにきてようやく彼らは理解する。死神の鎌が自らの首に突き付けられていることに。
「お止めくださいクレイス様! 申し訳ありませんでした! どうかお許しを――」
「コイツ等はお前のことを体よく利用したいみたいだが?」
「ですが、彼等とてエルフ族の為に必要な者達なのです!」
必死に懇願するトトリートを尻目にエルシオに視線を向ける。
「トトリートはそう言ってるみたいが、俺にはお前等が必要には思えないな」
「も、申し訳ありませんでした……」
先程までと打って変わり恐怖を宿した目で、這いつくばったまま掠れた声をあげる。だが、クレイスは更に殺気を強めていく。
「カハ……み、御使い殿、どうか慈悲を……」
「このままでは我ら支族が……」
「どうでもいいな。死に絶えようがそれまでだろ」
「馬鹿な……お主はそのようなことをして許されると思っているのか!?」
「誰が裁くんだ俺を?」
誰が裁く【勇者】を? 恵まれたギフトがあるからと言って、何をしても許される。そのような異常な世界で、いったい誰が自分を裁くというのか。誰が裁けるというのか。そんな世界だから自分は今こうしているのに。そんな世界だから、アイツは裏切ったのに。
「くだらないな」
クレイスは殺気を打ち消す。解放されたエルフ達が空気を求めてもがく。萎縮した心臓、酸欠になりつつあった脳が新鮮な酸素を空気を取り込もうとしている。
「トトリート、行くぞ準備しろ」
「クレイス様?」
「高濃度魔力汚染地域か。何があるか知らんが、最後まで面倒をみてやる」
「あ、ありがとうございます!」
そこで初めて【聖女】達に視線を向ける。彼女達もまた部外者だ。わざわざ関わる必要などない。
「私もご一緒しますわ! ドリルディアさんはどうなさいますの?」
「私は残るよ。トトリちゃんが心配だし。それにあの様子じゃそっちの方もね」
ドリルディアは苦笑いを浮かべながらエルフ達に視線を向ける。
「危険かもしれないぞ?」
「ダーリンより危険な存在などありませんわ」
「確かに」
反論不能だった。高濃度魔力汚染地域は未知の場所だ。転移は使えない。
「馬車で向かうなら半月は掛かるかと」
「そんなに時間を掛けてると姉が死ぬぞ」
「で、では、どのようにすれば?」
クレイスはニヤリと口を歪めた。
「陸を走るより、空を飛んだ方が早いと相場は決まってる」
◇◇◇
「あのような人間がいるなど信じられぬ!」
「奴は本気で我らを消そうとしていたと思うか?」
「分からぬ。しかし、あれは……あの力は……」
クレイスが去った後、五大老、そしてエルシオ達は疲れ果てていた。彼等は何も知らなかった。魔獣の討伐にしても最前線に立ったわけではない。だから魔獣の力を知らない。いつでも彼らは安全地帯にいただけだ。故に常に何かを軽んじている。
エルフ族の寿命は長い。だからこそ徐々にその感情は摩耗していく。何事にも動じなくなっていく。しかし、今まさに彼らの心臓は早鐘を打ったように鳴り響き、直面した恐怖に恐れ慄いていた。それは長く生きてきたエルフにとって恥ともいえる感情だった。
「我らに仇名す存在か――」
「しかし、どうするのだ? 勝てるなどとは到底思えん」
歯向かえば抵抗さえも出来ぬまま殺されるだけだ。たったあの一瞬で、そう理解してしまった。魂の根源があの男を否定している。もう一度直面したとき、逆らおうなどという気は微塵も起こらないだろう。五大老の一人が動揺をかき消すべく無理に笑顔を作る。
「【秘呪】ならばどうか?」
「そんなもの使えるわけないだろう!」
【秘呪】とは、エルフ族が持っている秘宝の一つ、宝珠を使った呪いである。かつて、その力を使いエルフ族は大いなる災厄を退けたという。伝承はいつしか正確性を失い曖昧なものとなって風化しつつあるが、その秘宝は今でも確かに現存していた。
「しかしあれには犠牲が……」
「犠牲なら既にいるではないか。眠り姫が」
「まさかトトリトートを――?」
「エリクサーなど馬鹿げた話だ。魔獣の犠牲になったのであれば、最後は我らの為に犠牲としてその命、使わせてもらおう」
族長といっても傀儡にすぎない。所詮はただの小娘でしかない。なにより、エルフ族にとっての脅威は最早あの男だ。あの男がいる限り、常に恐怖に怯えて生きていかねばならない。そのような屈辱など耐えられない。
「神気取りの無法者か。ならば我らが裁いてやろう。その傲慢さで死にゆくのは奴だ」
彼等は最早トトリトートのことになど関心がない。自らの存在を脅かす、ただそれだけが許せなかった。エルフという人間より遥かに優れている高位種族が迎合するなど許されない。結局のところその本質とは、たったそれだけの差別主義だった。
◇◇◇
「なんですのぉぉぉぉぉおこれぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!! 痛っ!」
「舌噛むぞ」
「もう少し早く言って欲しかったですわ」
「た、高すぎませんか!? それとシートベルトはどこなんでしょうか!?」
「あるわけないだろ」
「そんな!?」
上空600メートル程の高さをホワイトドラゴンに乗り疾駆する。
「まさかあのホワイトドラゴンに乗って移動するなんて……」
「初めてみました。毛がフカフカなんですね!」
「霊峰に行ったとき、なんだか懐いてきてな」
「それは単に死にたくないから媚びを売ってきただけなのでは?」
以前、クレイスが力試しに霊峰に向かった際、一斉にドラゴン達が襲い掛かってきた。これ幸いとブルードラゴンを倒したが、それを見た瞬間、一目散にドラゴン達は撤退を始めた。そんな中、意気揚々と後からやってきたこのホワイトドラゴンだけが逃げ遅れる。しばし見つめ合った結果、ゴロンと寝転がると恭順を示してきたのだった。
「じゃあテイムしているわけではないのですか?」
「あぁ。ノラだな。野良竜だ。首輪してないしな」
「こんなのと遭遇したら死を覚悟しますけど」
「意外と可愛いんだがなぁ……」
「きゅー」
「やっぱり媚びてますわよコイツ!」
撫でてやると、可愛く声を上げるホワイトドラゴンだが、見た目は決して可愛いなどとは程遠い生物である。そもそも最上位に位置する黒竜よりも希少なのが白竜だった。もし仮に人の目に付くところに現れたならば、即座に冒険者ギルドが緊急指令を発するだろう。決して気軽に乗り物替わりとして使えるような存在ではない。……普通なら。
馬車なら半月掛かる道のりも、障害物のない空を移動すれば半日程度だ。徐々に高濃度魔力汚染地域が見えてくる。暖気と寒気がぶつかり合う。常に滞留する前線が極端な天候を引き起こす。この距離から見るだけでも地獄絵図だった。
「……あれが高濃度魔力汚染地域ですか」
「なんだが身体が重いですね」
この周囲に人間が近づくことなどあり得ない。物理的に不可能だった。ホワイトドラゴンの動きが緩慢になり、遂には止まる。これ以上、前に進めないという意思が伝わってくる。
「よし、もういいぞ。ありがとな」
ホワイトドラゴンから降りる。眼前には巨大な渓谷。その向こうに存在するのが高濃度魔力汚染地域だ。クレイスは周辺にバリアを張った。この距離からでも伝わる高濃度の魔力。バリアを張らなければ濃密な魔力酔いによって動くことも出来ないだろう。
「さっさと見つかればいいが」
目的はエリクサーだけだ。だが、クレイスは肌で感じていた。恐らくそれで終わらない何かがあるのではないかということを。




