第47話 剣神邂逅
あっけなく刈り取られようとする命。真っ赤な鮮血が壁や床に飛び散り綺麗な花を咲かせていく。辿り着いた帝都の中枢。こんなにも人は脆いのか。こんなにも命とは軽いものなのか。単純な事実が足をすくませる。切り落とされた四肢、今にも千切れんばかりになっている胴体。
なんとかしないと! 私がなんとしないと――!
それが出来るのは自分しかいないのに。なのに動けない。助けられるのは自分だけなのに目の前の男を背にしてその場を離れることは自殺行為だった。そうなれば何もかも終わりだ。これまで払ってきた犠牲、それが全て水泡に帰す。
「貴様が【剣神】マリア・シエンか」
現れたその男、オーランド・ウインスランドは傲然と笑う。その目は、獲物を見定めるように、待ち焦がれた恋人に再会したかのように、ただただ歓喜に溢れていた。犯行の首謀者。事態を引き起こした大罪人。志も理想もなく、自らの欲望を満たす為だけに凶行に及んだ異常者。
こうしている間にも誰かが死んでいるかもしれない。助けられる命が消えていくかもしれない。感じた事もない強烈なプレッシャーに吐き気が襲ってくる。何故自分がこんなことをやらないといけないのか、何故自分がこんな目に遭わないといけないのか――。
ぐるぐると思考が堂々巡りを繰り返すが、目だけはその男から逸らせない。
「ウインスランドの悲願、【剣神】。この世に蘇りしこの力、これこそ俺に相応しい。それがどれほどのものなのか貴様で試させてもらうぞマリア・シエン」
なんてくだらない。なんて馬鹿げている。あの男を思い出す。強さにも世界にも何ら興味を抱いていないあの男。彼からすれば、目の前にいる【剣神】はあまりにも矮小だった。まるで我慢のできない我儘な子供だ。
苛立ちが募っていく。こんなことの為に、こんな男の為に誰かが苦しみ、誰かが死ぬ? そんなことがあって良いのだろうか。
御使いが言っていたことを思い出す。何故俺が? 今の私の心境と同じだ。思えば、私達も彼に同じことをやらせようとしていた。その本当の意味を考えていなかった。出会ったときから、私は彼がやるのが当然なのだと思っていた。
でも、それは違っていた。個人に頼っていはいけない。それが重要であればあるほど誰かに依存してはいけない。決断は多くの人の意思によってなされなければならない。
誰かがやらねばならない。だとしても何故自分なのか。自分だけがどうして背負わなければならないのか。そんな疑問を持つことは当然だ。その無責任な他力本願さに彼は嫌気を差していた。だからわざわざこんな回りくどいことをしたのだろう。
御使いの冷たい目を思い出す。オーランドとはまるで正反対だ。つまらなそうな眼差し。事実、彼にとって面白いことなどあるのだろうか。強さなど、それを求めたところで何もないのだと彼の視線が語っていた。だから思う。眼前の相手は所詮紛い物だと。【剣神】を名乗るこの男など取るに足らないのだと。彼は言っていた。私は自分の次に強いと。ならば私が負けるはずがない。
「【剣神】オーランド、貴方は私が倒します」
「この俺を前にして怯えを見せぬとは。少しは楽しませてくれよ」
オーランドの身体から吹き出す桁外れの圧力が空気をきしませる。呼吸が苦しくなり、筋肉が萎縮しそうになる。だが、もう足の震えは止まっていた。どんなことでも、あの男の無茶ぶりからすれば大したことはない。
「私はただの事務職員。良いじゃないですかそれで。そんな相手に貴方は負けるんです。長年強さを追い求め、悲願を達成した貴方はただの事務職員にも勝てない」
きっと、彼はそんな絶望を植え付け、煽り、相手の心をへし折る為に、私を選んだ。
「ふふっ。クレイスさん、あなたは残酷な人ですね」
こんな場面で笑いがこみ上げるなど、私も随分毒されているのかもしれない。視線がオーランドを射抜く。自然と剣を持つ手に力が入った。数日前の私なら持ち上げることも出来なかった。でも今はとても手に馴染んでいる。無名で無骨な一振りの剣。売ったら50億ギル? 折ったら身体で払えと言っていた。
「いいですよ、払ってあげますクレイスさん」
折れるはずなどない。あの男が丹精を込めて打った剣なら、それは誰にも折れない。そうだ、私がやるしかないのだ。その為の力を彼は授けてくれていた。
「私は【剣神】マリア・シエン。いきます!」
◇◇◇
「そうだマリア、それでいい」
クレイスはその様子を見ながら、無造作に両腕を斬り飛ばした。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁあ! きき、貴様クレイス!?」
「しばらくぶりだなニギ」
勝ち誇っていたニギは一転、苦悶の表情を浮かべる。今にもグリッドにとどめを刺そうとしていたところだった。警戒を緩めていたつもりはない。にも関わらず、その男の接近に一切何の気配も感じとることが出来なかった。
「マツカゼ、なにをやっている!?」
しかし、帰ってきた返事はマツカゼではない。のほほんとした気の抜けた声。猫人族の戦士。
「そいつはもういないのニャ」
「くるならもっと早く来てくださいクレイスさん」
「授業参観だ。見守るのが仕事なんだよ」
「いつから僕達はクレイスの子供になったのさ」
苦笑を浮かべるグリッド。その表情には安堵感が滲んでいた。
「だいたいクレイス全然駄目じゃないか。【剣神】なら問題なく勝てるんじゃなかったのか」
「面倒だから全員【剣神】にしてみたが、考えてみれば人によって得意な武器とか違うよな」
「おい……まさかそんな理由で最大限に力を発揮出来なかったって? 君も抜けてるというかなんというか……」
半眼で睨んでくるグリッドから目を逸らす。
「クレイス、早くあっちも助けにいくのニャ。おっさん達が死んじゃうのニャー」
「現場を引退したからって、怠けているから動けないんだ」
「クレイスさんが出てくると、なんだか一気に緊張感がなくなりますね」
「多少手応えがあったが、この程度か。つまらんのう」
興味を失ったかのように乾いた声が響く。目の前には2人分の死体。いや、辛うじて生きていた。しかし、大量の出血。息があるのが不思議な状態であり時間の問題でしかない。【剣神】のギフトが生命力を強化していなければ既に数回は死んでいるだろう。
「ハイデル君……どうやら……我々の勝ちのようだ……」
「おせぇんだよ……アイツ……はよ……」
「何を言っておる……錯乱でもしたのか?」
怪訝そうなシャックウにミゲルは掠れた声を返す。
「我々に……手応えを感じているようでは……ご老人、貴方はその程度だということだ……」
「ジジイ……底が知れているのは、てめぇなんだよ」
「わけのわからぬことを……」
「シャックウ・フロイド。過去に53人を殺害し大陸指名手配に。逃亡の最中、20年前に行方不明となっていたがカラマリスに逃げ、そこでウインスランド家に入る。以降の経歴は不明だが、まぁ、ロクなもんじゃないな」
つらつらと来歴が述べられる。歩いてきたのは1人の男。この場において不自然なまでの自然体。この場に不釣り合いな異質な気配を身に纏っていた。
「ほう……お前がクレイスか。当主様の4男坊というのは本当か?」
「アンタとは島で会った事がないな。俺は早々に本家を追放された出来損ないだから仕方ないが」
「ならば我らの同士ではないか。一緒に来ぬか?」
「それで何をするんだ? 強い奴を探して殺して周るのか?」
「それもよかろうて」
クレイスは不敵な笑みを浮かべる。既にそのときにはハイデル、ミゲル2人の肉体は回復を見せ始めていた。
「遠慮するなよシャックウ・フロイド。強い奴を探しに行く必要はない。俺が相手をしてやる」
「その自信、大言壮語だと思わぬのか?」
「爺さんこそ、家で大人しく孫でも可愛がっておけ」
「ぬかせ!」
目にも止まらぬ速さでシャックウが短剣をクレイスの心臓に突き刺した――――はずだった。
「……ぐふっ! 何故……なにが……この儂が目で追えないなど……」
気づいたときには、突き刺したはずの短剣が自分の心臓に刺さっている。ありえない。自分の手から短剣を奪い、心臓に突き刺した? この一瞬で? 気づかせもせずに? 呆気ない終わり。呆気ない最後。ただそれだけの幕引き。人生の集大成、極めた技量。それがたったこんなことで、これだけのことで終わってしまう。なんだそれは、そんなことが許されて良いのか?
遠のく意識の中、脳内は疑問だけで埋め尽くされる。なんだ? こいつは何をした? こいつは誰なんだ? この強さはいったい? こんな奴がいるはずが? 畏怖、恐怖、戦慄、驚愕、あらゆる感情が怒涛の如く流れ去る。現実を目に焼き付けるように、大きく目を見開き、その老人は呆気なく息を引き取った。
「悪いけど、もう少し早く来てよクレイス君。うっ、血が足りないからフラフラする」
「御使い、お前いい加減なこと言ってるんじゃねぇ! こっちは死ぬとこだったんだぞ!?」
「他にもメテウスの馬鹿とかいてな。片付けてきたが、ちょっとした計算違いだ」
「それで殺され掛けたんじゃ堪ったもんじゃないよ」
よろよろとハイデルとミゲルが起き上がる。肩を貸し支え合うように立っている。
「増血剤だ。飲んどけ。怪我している奴はミロロロロロが治療しているから心配ない」
「それにしても助かったよ。ありがとう。来てくれなかったら全滅しているところだ」
「ったく。現役の頃でもここまでヤバいと思った事はなかったぜ」
「普段からもう少し運動しておいた方がいいかもしれないねぇ」
被害は甚大だが、それでもクレイスの協力が得られない場合に想定していた犠牲から考えればあってないようなものだった。それほどまでに当初は絶望感が漂っていた。だからこそ冒険者ギルドの判断としてクレイスの協力を求めることにしたのだから。
「さて、後は弟子の様子でも見てくるか。負けたら破門だ」
「だからクレイス君、マリアちゃんはうちのだって言ってるでしょ」
「そもそもいつお前に弟子入りしてたんだうちの事務員は……」




